Lotus 97T
< Lotus91 BenettonB188 >

INTRODUCTION

 その独特なレース哲学と攻撃的な走りが今もファンの心に焼き付いているアイルトン・セナ。彼の雨での走りは特に伝説的なものとなっていますが、その初勝利も豪雨の中のものでした。それは、F-1二年目の'85年ポルトガルGP。そしてその時のマシンがこのロータス97Tだったのです。

 創始者コーリン・チャップマンの死後、技術部門を引き継いだのは、ジェラール・ドゥカルージュでした。彼は'83年からのフラットボトム規制("U-N-C-H-I-K-U"第二十五回参照)に際し、いち早くディフューザを投入するなどし、指揮官を失った中でもロータスを一戦級に留まらせることに成功していました。
 そしてルノーターボエンジンとのコンビも3年目に突入したこの'85年、前年度圧倒的な強さを誇ったマクラーレンMP4/2の要素を多く盛り込んで製作したのがこの97Tというわけです。

 97TはMP4/2を参考に、その効率的なレイアウトを導入してデザインされたわけですが、ロータス独特のカーボン板を折り畳んだ強靱なモノコックや、'90年代になって標準的となったディフレクターを導入するなどオリジナリティーのある空力によって、純粋な速さだけならばMP4/2シリーズを上回るパッケージングになっていました。
 それに加え、2年目ながら既に先輩デ・アンジェリスを圧倒する速さを発揮しつつあったセナのドライビングも相まって、97Tは8回のポールポジション(うちセナが7回)、3回の優勝(同2勝)を挙げる好成績をおさめたのでした。


PICTURES & ANNOTATES

slant

 カウル装着状態。精悍なJPSカラーはこの翌年まで。黒いマシンにセナの蛍光イエローのヘルメットが良く映えました。
 良く見ると、フロントウィングは現代とは逆に、内側が大きく、外側が小さくなっています。まだまだ細かな空力に関しては試行錯誤が繰り返されていました。
 フロントタイヤ内側に見えるディフレクターも'90年代になって流行しましたが、この97Tでは十分な開発はできず、翌年からは姿を消しました。

monocock

 カウルを外した状態。モノコック表面に見える無数のリベットが、他チームのカーボンモノコックとは全く違うものであることを示しています。
 88から採用されたこの方式のカーボンモノコックは非常に強靱な強度を誇り、8年間で全損したモノコックはなかったそうです。

engine

 ルノーRE15エンジン。F-1ターボエンジンのスタンダート、V6ツインターボ。トップクラスの高出力でセナのPPに貢献しましたが、信頼性が低く、チャンピオンには届きませんでした。

 ところで翌年のRE15Bには'90年代になって標準となった、画期的なニューマチックバルブスプリングが初めて採用されましたが、結局チャンピオンをとることなく、ルノーはこの年いっぱいで撤退してしまいました。

monocock side

 コクピットサイド。ドライバーの肩まで露出したMP4/2と比べ、いかにも強靱そうなカーボンモノコック。多くの点でチャンピオンマシンを上回る性能を誇りながら、それでもチャンピオンには届かないのです。

 ポルトガルとベルギーにおける二度のセナの優勝を示すステッカーが誇らし気です。

cockpit

 コクピット内部。
 若きセナが戦った現場。

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