Vol.25: "Faster than Arrow!?" Brabham BT52
(written on 3.May.1998, corrected on 10.Oct.1998)
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 '82年に起きた悲劇。その結果、FISAは急遽翌'83年から、マシンのスピードを落とすため、レギュレーションの大幅変更を決断しました。

 その大きな柱が「フラットボトム規制」でした。

 前年の事故は、直接ベンチュリーが原因だとは言えないものでしたが、スピードと安全性のバランスを大きく崩している要因であることは明白でした。
 ここで、ベンチュリーカーは、*注1にもあるように、マシンのボトムに翼の形状に似た凸状の構造物を形成する事でダウンフォースを得るものでした。そこでFISAは「前輪の後端から後輪の前端までの部分の車体のボトム部分は平らでなければならない」という規則を打ち出したのでした。
 第十六回でも述べたように、マシンのボトムと路面の距離が狭まっいる部分が非常に短いと、空気がスムースに流れ、良好なベンチュリー効果が得られたのですが、この規則によって、ボトムがずっと平らになってしまっては、空気はスムースに流れず、逆に境界層を発生して大きな抵抗になってしまうことが予測されました。
 これによって大幅なスピードダウンを期待したわけです。

 このレギュレーション変更の決定は'82年シーズンも深まった中盤戦、ピローニの事故(前回参照)の後、9月の事でした。
 その頃は既に、次の年のニューマシンが完成しているチームも多くありました。現ベネトンである、トールマンチームなどは、翌年のニューマシンを発表後に、レギュレーション改定を知らされたのです。
 それからの数カ月、各チームは猛スピードでフラットボトムのマシンを製作せざるを得なくなったわけです。

 多くのチームは、フラットボトム規制によってベンチュリーは死んだと考えました。ベンチュリーカー時代のような長いボトムだと、かえって大きな抵抗となってしまうであろう。ならばいっそ、マシンの底をなるべく短くしてしまおう。
 結果として、'83年のグリッドに並んだマシンの多くは、非常に短いサイドポンツーン(*注2)を持っていました。

 その一方で、フラットボトム規制による影響はほぼ目に見えていました。
 もともと、ベンチュリーカーは、'70年後半力をつけてきた大陸側の大企業チームのハイパワーなエンジンに対抗するために、イギリス側のロータスが編み出した技術だったわけです。それがフラットボトム規制によって失われれば、イギリス側の小さなチームの得意としていた敏捷なシャシー性能が削がれてしまう。ならば、よりエンジンの戦闘力が如実に結果に影響してくるであろう...。
 そもそも、'81年から'82年にかけての、イギリス系チームと大陸系チームの対立も、ベンチュリーカー禁止を巡る論争が中心だったわけですから。

 しかしながら、ターボエンジンを搭載するチーム、特に、幅の広いV6ターボエンジンを採用していたルノーやフェラーリは、当然、ターボ関係の大きな補機類を納めるスペースが必要でした。
 そのため、これらのチームも本当は短いサイドポンツーンを採用したかったのですが、長いサイドポンツーンにせざるを得なくなっていたのでした。

 その中で、ブラバムチームだけは違いました。ブラバムの搭載していたBMWのターボエンジンは、直列4気筒であり、フェラーリやルノーに比べるとかなりコンパクトになっていました。
 また、ブラバムは、鬼才ゴードン・マーレイの指揮のもと、'82年からレース途中でのタイヤ交換、燃料給油を導入していましたが(今では当然のようになっていますが、当時としては度胆を抜く戦略でした)、この年はさらにその戦略を推し進めました。
 すなわち、途中で補給しなければレースを走り切れないほど極端に燃料タンクを非常に小さくし、よりコンパクトでバランスの良いマシン作りを目指したのでした。

BT52B
ブラバムBT52(B)

 その結果、この年のブラバムのマシンBT52は、非常に小さなサイドポンツーンのマシンとなり、上から見ると矢のような形をしていたことから、「アロウシェイプ」と呼ばれる事になります。
 で、この年、ブラバムはこのBT52でネルソン・ピケをチャンピオンに押し上げ、ターボエンジンでは初のドライバーズチャンピオンを輩出したのです。

BT52
ブラバムBT52
(カラーリング変更前)
 余談ですが、このマシン、地元のイギリスGPで改良バージョンのBT52Bが投入されたのですが、この時、カラーリングもネガとポジを反転させたかのようなものに変更されてきたのです。う〜ん、なんてハイセンス!塗り分け自体も絶妙ですよね。

 ところが、ブラバムが圧倒的な強さだったかというと、決してそういうわけではありませんでした。結局、シーズンを席巻したのは、長いサイドポンツーンを持ったルノーやフェラーリであり、コンストラクターズチャンピオンもフェラーリが獲得しています。
 つまり、ブラバムがピケをチャンピオンにしたことから、フラットボトムにおける最善の回答がアロウシェイプであると当時は思われたのですが、しかし、長いサイドポンツーンのマシンが活躍していた事からも、ブラバムの有利だった点がアロウシェイプだけではないことがわかります。
 そして、フラットボトムでも、ベンチュリー効果が得られるという事が、やがて明らかになるのです。

 結局ブラバムのタイトルは、非常にコンパクトにまとめ、敏捷なシャシーを作った事と、大幅に改良されたBMWのターボエンジン、燃料給油&タイヤ交換による絶妙の作戦、そしてピケの類い稀なるドライビングテクニックという、総合力が秀でた結果であったのです。
 また、他チームが様子見的に、または時間的に無理があって前年度マシンのフラットボトム版といった感じのマシンを投入する中、攻め込んだコンセプトの全くのニューマシンを仕上げてきたのも勝利の一因かもしれません。

 現在のF-1は非常に高度な技術競争になり、総合力の勝負が優劣を分け、一部分だけが秀でただけでは勝てない、という状況になっています。
 そしてそのある意味理想系ともいえる体系が、既にこの'83年にブラバムとピケによって示されていました。

 しかし、皮肉にもこの後F-1は、ターボエンジンの性能に依存したパワーゲームに突入していきます。この'83年途中から、BMWが耐ノッキング性を大幅に引き上げる特殊燃料を投入した事から、ターボの過給圧が急激に引き上げられ、出力が大幅にアップしたからです。
 こうして、長い間F-1を支えてきたフォードコスワースDFVは、静かに駆逐されようとしていました。


Annotates

注1 : ウィングとベンチュリー

wing
ウィングの周りの空気の流れ

ventury
ベンチュリーの原理

 ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。ここで、ウィングの末端で上下の空気が合流する時、それは先端で分離した空気と同じ空気と合流する必要がある。

 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである (この場合、地面とマシンを引き寄せる力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。

 ベンチュリーの場合は密閉された負圧になる部分のみが存在すれば良く、 ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がないが、車高の変化にはよりシビアである。


注2 : サイドポンツーン

 サイドポンツーンとは車体側面の箱のような部分のことであり、ラジエターや、車載コンピュータなどを収め、側面衝突時の衝撃吸収の役目もあるが、ベンチュリーカー時代以降は空力装置としての役割も大きくなった。
 もともと「ポンツーン」とは水上飛行機のフロートのことを指す。

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