Vol.16: Counterattack of Ferrari
(written on 13.Oct.1997, corrected on 04.Oct.1998)
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 失敗に終わった第二世代ベンチュリーカー(*注1)は、結局'79年シーズンに一つの勝ち星も得られずにあっという間に消えていくことになりました。

 ではこの年のタイトルを獲得したのはどのチームだったのでしょうか?それはなんとフェラーリだったのです。

 なぜ「なんと」なのかと申しますと、フェラーリは水平対向(フラット)12気筒エンジンを使っていたからです。開発が進んだフェラーリフラット12エンジンは、長くF-1を支配してきたコスワースDFVを圧倒するパワーを発揮してきていましたが、そこへロータスのベンチュリーカーが登場してしまった。

第12回などでも取り上げたようにフラットエンジンは重心を低くできるメリットがあるものの、幅が広すぎるためサイドポンツーン(*注2)に理想的なベンチュリー構造を構成するのが難しく、ブラバムなどは早々にアルファロメオのフラットエンジンに見切りをつけ、細身のV型12気筒エンジンを開発させたほどでした(第14,15回参照)。
 しかし、フェラーリはフラットエンジンにこだわりました(ま、新しいエンジンを開発する余裕がなかっただけだとも言えますが (^^;)。

 とはいえ、異次元のコーナーリングスピードを手に入れたベンチュリーカーに立ち向かうには、やはりフェラーリもベンチュリーを取り込まないわけにはいきませんでした。
 結局フェラーリはフラットエンジンを搭載しながらにしてシャシーを洗練・整理することでベンチュリーを強引に搭載する道を選んだのでした。言ってみれば、非常に保守的な道を選んだとも言うことができます。

 現にこのフェラーリ312T4はロータスが78型で導入し、もはやトップチームでは標準であったシングルチューブのモノコック(*注3)ではなく、非常に細身とはいえ、伝統的なバスタブモノコックを採用していました。少なくとも、モノコックが持つべき剛性を持っていたのかといえば、かなり怪しいものがあります。

Ventury
フェラーリ312T4とロータス80の
ベンチュリーの比較

 なによりも、肝心のベンチュリー部分は、横に張り出したフラットエンジンのシリンダーブロックを避けるためにかなり前方から急激に上に向けて跳ね上げられていました。

 また、ベンチュリー部分は第二世代をはじめ、他のチームが後方へ後方へと延ばそうとしていたにも関わらず、フェラーリの場合はそういった制約上から非常に短く、元祖ロータス78よりも短いほどでした。さらには、フラットエンジンの前でベンチュリーを跳ね上げたため、ベンチュリー内を流れる空気流をエンジンが邪魔しているのは明白でした。

 ...ところが。

 なんとも皮肉なことにこれがフェラーリ312T4に優れたダウンフォースバランスを与えることになったのです。

 312T4は、ベンチュリーを急激に跳ね上げたことから、ベンチュリーの狭まる部分は非常に短くなっていました。

difference of ventury
ベンチュリーの形状による違い
 当時はベンチュリーの研究も進んでいませんでしたから、この狭まる部分を長くしたほうがダウンフォースの発生する部分が増え、ダウンフォースが増えるのではないかと考えたチームも多かったのですが、それは逆で、狭まる部分が長いと、空気の剥離が発生して、そこに境界層という空気の渦ができて大きな抵抗となってしまい、ベンチュリーとしての効果も薄れてダウンフォースを著しく低下させてしまったのでした。
McLaren-M23
マクラーレンM29

 その例がマクラーレンM29でした。マクラーレンはM23という名車(第4回参照)で'74年のタイトルを奪取したものの、後継機種のM26がパッとせず、このM29に至って、中団に埋もれる存在となっていたのでした。

 そしてマクラーレンは大幅な組織変更を余儀なくされました。しかし、その成果が現れるにはもう少し時間を必要としました。

 話が逸れましたが、逆に狭まる部分の非常に短かったフェラーリの場合は境界層において、抵抗となる渦が発生しづらく、抵抗を少なくしつつ、ダウンフォースを獲得することができていたのです。

 さらには、ベンチュリーの全長が短かったことやエンジンが邪魔をしていたというのも、実は良い方向に働いていたようなのです。
 確かにフェラーリのベンチュリーの発生するダウンフォースは第二世代を始めとする他チームに比べると絶対量でかなり劣っていたでしょう。しかし、それがちょうどうまく、他のチームを悩ませていたポーパシングを吸収するように働いていたようなのです。
 ポーパシングを云々という話は科学的に実証されたことではありませんが、空気力学の奥深さを思い知るには十分なエピソードでしょう。

Ferrari312T5
チャンピオンを獲得した
フェラーリ312T4と
ジョディー・シェクター

 ともかくもフェラーリ312T4は結果として非常に優れたバランスを持つマシンとなったのです。それに加え、フェラーリにはもはやDFV勢を圧倒する安定した出力を誇っていた熟成されたフラット12エンジンと、実績のある横置きギヤボックスがありました。

 あとは安定したドライビングのジョディー・シェクターとアグレッシブなジル・ヴィルヌーブのドライブでシーズンを席巻するだけでした。

 結論から言えば、'79年の最強マシン、フェラーリ312T4は妥協の産物として偶然に生まれたグッドバランスカーでした。革命を狙った第二世代達が足をすくわれるのを尻目にシーズンを席巻したのは非常に象徴的でした。

 しかしながら、そんな妥協の産物マシンに悠々とトップを走らせておくほどF-1の世界は甘くあるわけがありません。
 ウィングを無くそうとした「革新」第二世代達は失敗に終わったものの、名機ロータス79を「継承・発展」させようとした「新」第一世代達、そして...新たなるパワージェネレーションの動きもこの'79年シーズンの間から顕著であったのです。事実、'79年に113ポイントでチャンピオンを取ったフェラーリは'80年にはなんとわずか8ポイント/ランキング10位に落ち込んでしまうのです。しかも全く同じドライバーラインナップ、そして同じコンセプトのマシンで、です。

 フェラーリの大逆襲は結局「建武の新政」に過ぎなかったわけです。

 '78年チャンピオンのロータスが足をすくわれ、 今度は'79年チャンピオンのフェラーリが都落ちする...。ベンチュリーカーによって明らかにF-1グランプリは混迷の時代へと突入していました。果たして次の覇者は誰だったのでしょうか?

*注1:

wing
ウィングの周りの空気の流れ
ventury
ベンチュリーの原理

 ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。

 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである(この場合、地面とマシンの間に力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。

 ベンチュリーの場合は負圧になる部分のみが存在すれば良く、ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がない。

*注2:

 サイドポンツーンとは車体側面の箱のような部分のことであり、現在ではラジエターや、車載コンピュータなどを収め、側面衝突時の衝撃吸収の役目もある。もともとポンツーンとは水上飛行機のフロートのことを指す。

*注3:

Tyrell008
バスタブモノコック
Lotus79
ロータス79のフルモノコック

 モノコックはマシンの背骨とも言え、ドライバーや燃料タンクを収める一方、後部にエンジンが連結されるなど、非常に重要な部分である。
 もともとは「一つの殻」を意味する。力を外皮全体で受け止めるため、軽量で丈夫な構造が可能となったというわけである。

 従来のツインチューブモノコックはドライバーの両脇の二つの箱型をバルクヘッド(隔壁)でつなげた構造をしていて、ドライバーの上方が開いていた。そのため風炉桶のような外観で、バスタブモノコックともいわれた。幅が広く、ベンチュリーを構成するには無理があった。

 ロータスでは78で単純なシングルチューブモノコックを採用し、そのことで失われる強度を、ドライバーの足の部分も完全に覆うフルモノコックとすることで補った上、ベンチュリーによって発生する巨大なダウンフォースを受けとめようとした訳である。

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