Vol.17 : Remarkable Progress of Williams
(written on 1.Nov.1997, corrected on 04.Oct.1998)
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 '79年の王座は圧勝でフェラーリのものとなりました。しかし、前回もふれた通り、彼らは全く同じパッケージで臨んだ翌シーズンはなんと未勝利どころか、わずか8ポイント/ランキング10位に落ち込んでしまったのでした。それほどに、ベンチュリー(*注1)によって加速されたF-1の技術開発競争は激しく、そして難しいものとなっていたのです。
 ところで、'79年シーズンを席巻したのは確かにフェラーリでしたが、前半戦絶好調だったのは現在「プロスト」となっている、当時は新興であったリジェチームでした。
 ジャック・ラフィーとパトリック・ドゥパイエというドライバーラインナップで開幕戦アルゼンチンGPのフロントローを独占し決勝も1-4ゴール、翌ブラジルGPでは1-2スタートトゥ1-2フィニッシュと、前年のロータスを思わせる活躍でした。

リジェJS11
 そしてそのマシンJS11は前年のロータス79と瓜二つでした。そしてサイドポンツーン(*注2)もフェラーリと同様に短く、第二世代ベンチュリーカー(*注3)と違って前後ともウィングを取り付けていました。つまりJS11は完全に第一世代ベンチュリーカー(*注3)だというわけです。
 ベンチュリーのシビアな空力バランスに悩まされた第二世代と違って、ベンチュリーの影響を減らし、ウィングによって空力特性をマイルドにさせた第一世代が、結局実戦では有利だったことは前回のフェラーリの時にもお話しした通りです。

リジェJS11の
ベンチュリーの跳ね上げ
 しかし、JS11で特徴的なのは、リアタイヤの前方の部分のベンチュリーが急激に跳ね上げられていたことでしょう。
 この部分でベンチュリーの空気の抜けを良くするとともに、流れを幾つかに分けることでポーパシング(前回参照)をある程度吸収していたのではないか、と言われています。
 この年は第1,2戦はリジェのラフィー、第3,4戦はフェラーリのヴィルヌーブが連勝し、前半戦は完全にフェラーリ対リジェの戦いでした。しかし、リジェは中盤戦あたりから急速に失速してしまいます。シーズン開幕後、開発が進まなかったのがよくわかります。

 替わって台頭してきたのは、同じく当時新興チームで、この前年度パトリック・ヘッドを迎えて製作された手堅いFW06でそこそこの成績を収めていたウィリアムズチームだったのです。

 パトリック・ヘッドはベンチュリーカーではないシンプルなFW06を走らせる一方で、独走を続けるロータスの79を徹底的に研究していました。
 そして、79を「コピー」と言われる程に模倣することでウィリアムズ初のベンチュリーカーFW07を完成させたのです。そして、このFW07を'79年シーズン中盤(第5戦)で投入すると同時にチームも大躍進することになったわけです。

 クレイ・レガッツォーニのドライブで第9戦イギリスGPでチーム初優勝を飾ったウィリアムズはその後、アラン・ジョーンズが3連勝し、チームはなんと年間では5勝を記録したのです。総合ポイントこそシーズンを通して安定した戦闘力を発揮したフェラーリに大きく遅れましたが、シーズン後半はウィリアムズが圧倒的に強かったことがわかるでしょう。


ウィリアムスFW07

 FW07は、申し上げたように、徹底的にロータス79を模倣したマシンでした。

 しかし、79はベンチュリーの性能の追究ばかりにコーリン・チャップマンが固執したために、足周りなどは、かなりいい加減なマシンだったそうです。さらにベンチュリーの追究に走ったチャップマン/ロータスを尻目に、パトリック・ヘッドはそうした、マシンのトータルの洗練を徹底的に行ったという訳なのです。


FW07の強固なモノコック

 特に、モノコック(*注4)はかなり洗練されたアルミハニカムの工作技術で非常に小さく、堅牢なものとなっており、非常に強度の高いものとなっていました。
 もっとも、コクピットの開口部が大きく開いていたため、当初はまだまだ剛性が足りなかったようすが。

 ま、ともかく、こうして見てみると、本来ロータスが出すべきだった79の正常進化・発展型をヘッドが替わって開発してしまったようなものだと言えるでしょう。

 結果、ウィリアムズFW07は確かに見た目はロータス79と瓜二つのマシンとなり、パッと見た目の派手さや、革命的なアイデアとは無関係なものとなってしまいましたが、明らかに79を凌駕する一段階ハイレベルなマシンとなっていました。ただ単にベンチュリーを取り付けただけのマシンから、ベンチュリーを取り付けた上で、さらにトータルの性能を洗練させたという点で、ウィリアムズFW07こそ最初の「新」第一世代ベンチュリーカーと言うことができるでしょう。
 そしてまさにこうした地味な開発こそウィリアムズの強さ、そう、現在にまで至るウィリアムズ技術開発陣の強さなのだと言うことが言えるでしょう。
 大成功した「新」第一世代ベンチュリーカーと、大失敗に終わった第二世代ベンチュリーカー。この'79年で混迷していたベンチュリーカーの開発競争がようやく収束してきたのがわかるでしょう。
 そして翌年、ウィリアムズがFW07Bで年間6勝を挙げてコンストラクターズタイトルを奪取し、うち5勝を挙げたアラン・ジョーンズがチャンピオンとなることでそれは決定的なものとなりました。

 このように、この時代はリジェやウィリアムズのような参戦3,4年のチームでも、しっかりとした技術の裏づけがあればすぐに活躍できる最後の時代だったと言えます。

 ところが、こうしたウィリアムズの活躍の裏でまたしても新たな流れが発生しつつありました。そして、その発展こそ現在のようにトップがある限られたチーム間でのみ争われるようになった元凶とも言えるでしょう。
 それは...「ターボエンジン」です。

*注1:


ウィングの周りの空気の流れ


ベンチュリーの原理

 ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。

 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである(この場合、地面とマシンの間に力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。

 ベンチュリーの場合は負圧になる部分のみが存在すれば良く、ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がない。

*注2:

 サイドポンツーンとは車体側面の箱のような部分のことであり、現在ではラジエターや、車載コンピュータなどを収め、側面衝突時の衝撃吸収の役目もある。もともとポンツーンとは水上飛行機のフロートのことを指す。

*注3:

 ここではただベンチュリーを取り付けただけで、ウィングも持っているベンチュリーカーが第一世代、ベンチュリーのみで全てのダウンフォースを稼ごうとしてウィングを排したものを第二世代と呼ぶことにする。

*注4:


バスタブモノコック

ロータス79のフルモノコック

 モノコックはマシンの背骨とも言え、ドライバーや燃料タンクを収める一方、後部にエンジンが連結されるなど、非常に重要な部分である。
 もともとは「一つの殻」を意味する。力を外皮全体で受け止めるため、軽量で丈夫な構造が可能となったというわけである。

 従来のツインチューブモノコックはドライバーの両脇の二つの箱型をバルクヘッド(隔壁)でつなげた構造をしていて、ドライバーの上方が開いていた。そのため風炉桶のような外観で、バスタブモノコックともいわれた。幅が広く、ベンチュリーを構成するには無理があった。

 ロータスでは78で単純なシングルチューブモノコックを採用し、そのことで失われる強度を、ドライバーの足の部分も完全に覆うフルモノコックとすることで補った上、ベンチュリーによって発生する巨大なダウンフォースを受けとめようとした訳である。

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