Vol.12 :
Fan Car - Brabham BT46B (1)
--- Lotus 79 & Rivals (3)
(written on 22.Aug.1997, corrected on 29.Sep.1998) |
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'78年に入ってその秘めたる力を爆発させたロータスのベンチュリー・カー78。 |
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一方、その開幕直前、ブラバムのゴードン・マーレイは前年の8月に早くも発表していたニューマシンBT46のテストに苦しんでいました。 BT46はラジエターを排した表面冷却器という野心的な試みがされていました。
これは、エンジンの冷却水を放熱用の金属板の取り付けられた隙間に流すことで冷却するというもので、ラジエターが抱えた大きな抵抗、重量と無関係になるという優れたものとなるはずだったのです。
しかし、残念ながらこれではエンジンの冷却には全く追い付かず、慢性的なオーバーヒートに苦しみます。 とはいえ、他のほとんどのチームの使用するフォード・コスワースDFVのV8よりもはるかにパワーのあるアルファロメオのフラット12エンジンを擁し、また前年度チャンピオンであるニキ・ラウダを獲得した体制はかなり強固なもので、それに成功を収めていた特徴的な三角モノコック(*注1)を組み合わせれば、'78年シーズンはかなり楽観視できるものだったことでしょう。 ところが蓋を開けてみればロータスの独走。第3戦南アフリカGPになって投入されたそのBT46も、ラウダがポールポジションを獲得し、ジョン・ワトソンが3位表彰台をゲットしたものの、優勝したロータスのピーターソンには全く歯が立たなかったのです。 このコラム第五回でも触れたように、マシン底面を負圧にするとダウンフォースが発生するというグランドエフェクトの存在はマーレイも薄々は気付いていたようです。また、当然ロータス78もそれなりに興味を持って見ていたはずです。しかし、'77年度は78がさほどの成績を残せなかったので、その大げさなサイドポンツーン(*注2)ほどの効果は発揮していまい、と読んだのでしょう。しかし、甘かった。 さらに追い打ちをかけるように、第6戦ベルギーGPに登場したロータス79は決定的とも言える素晴しい性能を誇っており、マーレイはその79が見事なデビュー1-2フィニッシュを達成するのを指を食わえて見ていることしかできませんでした。
第5戦モナコGPでウルフが急遽ベンチュリー(*注3)を組み込んだニューマシンを投入するなど(コラム第10回参照、時代は確実にベンチュリー・カーの方向に向かっていました。
ロータスはサイドポンツーンのベンチュリー空間をなるべく広く取るために、細身のフルモノコック(*注1)を製作しましたし、幸いにもこの時代のほとんどのチームが使用し、ロータスも搭載していたフォード・コスワースDFVはV型エンジンであるため、幅が狭かったのです。 長くF-1界を独占してきたDFVを今やそのハイパワー打ちのめそうかをしていたそのフラット12エンジンが逆に足枷になってしまうとは、なんたる皮肉なのでしょう?こうした事実も「革命を起こした」としてロータスのベンチュリー・カーは意義があるわけです。
しかし、そのまま手をこまねいているのがゴードン・マーレイではありませんでした。なんとかベンチュリー以外の方法でグランドエフェクトを獲得できないかとアイディアを巡らせます。 そしてマーレイはBT46に改造を加える事を決意します。これが後生に語り継がれることになる問題作BT46B「ファン・カー」なのです!
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