Vol.22 : Unfinished 6-wheel-car
(written on 21.Feb.1998, corrected on 09.Oct.1998)
previous Next
 ここまで、ベンチュリーカー(*注1)の話題が続いていたわけですが、どーしても触れておかなければならないテーマがありました。ロータス88のツインシャシー(第二十回参照)にも迫る革命児...それは六輪車です。

 さて、六輪車について。

 六輪車ならば、第六回でティレルP34について触れたではないか、そしてP34は結果的に失敗作だったという結論だったではないか、と言われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、第六回のときにも「六輪車についてはまた後ほど触れることにしましょう」という含みを残していたはずです。
 ようやく、その六輪車について再び触れる時がきました。


ティレルP34
 ティレルのP34が姿を消したことで六輪車は確かに実戦上からは絶滅したかのように見えました。しかし、六輪車によるメリットというのは、常にデザイナー達の頭の中から消えることはありませんでした。

 そもそも六輪車にする意義はどこにあるのでしょうか?おさらいしてみましょう。

 F-1マシンは少しでも空気抵抗を少なくするためにボディワークに様々な工夫をしているわけですが、結局、ボディはマシン全体の空気抵抗の半分しか発生していないと言われています。

 では残りの半分は?

 そう、タイヤです。レギュレーションの範囲で最大のトラクションを得るべく、F-1タイヤは非常に巨大になっており、そして結果として非常に大きな抵抗を生み出しているのです。

 しかし、そのタイヤが従来の性能を保持したまま、小さくなったらどうでしょう?前面投影面積が大きく減り、大幅な空気抵抗の軽減によって、トップスピードが跳ね上がり、ライバルに対し、大きなアドバンテージになるはずです。
 というわけで、第一の理由が「空気抵抗の徹底的な削減」。

 さらに、単純に二輪増えれば、路面へのトラクションも大きく向上するでしょう。空力ダウンフォースのみに依存することなく、メカニカルグリップそのものを大きく向上できるはずです。
 というわけで、第二の理由が「トラクションの向上」。

 さて、六輪車のメリットに最初に気付いたティレルは、グッドイヤーに特注の小径タイヤを作らせてまで、前輪側を小径・四輪化してきました。しかしながら、リヤタイヤは通常のものでした。結果、開発不足のフロントタイヤの信頼性の低さ、そして従来通りの大きさのリヤタイヤの空気抵抗により、結局のところティレルP34は大きな成果を挙げることはできなかったのです。

 こうした前輪を小径・四輪化する際のデメリットは、ティレルもある程度予測していたことだったはずです。しかし、それでも敢えて後輪を四輪化しなかったのにはわけがあります。

 後輪は場合によっては積極的にパワースライドさせてマシンの姿勢を変えるために使う場面が多く、四輪化することで大幅にトラクションが上がると、ドリフトさせることができなくなって、曲がらないマシンになることが予想されたからです。


フェラーリ312T2と
マーチ240

ティレルP34が現役の時代にも、後輪四輪化を試したチームもありました。

 単純にフロントタイヤをトラックのタイヤのように二つ重ねた簡易六輪車を試したフェラーリと(写真上)、実際に六輪車"240"を試作したマーチ(同、下)です。

 これらは、素晴らしい加速性能を示したそうですが、やはり「曲がらない」性格によって実戦投入には至らなかったようです。

 ところが、その後、時代はベンチュリカーとなり、マシンは路面に吸い付いてレールの上を走るようなコーナーリングをするように変わっていきました。つまり、ドリフトアングルを考慮する必要がなくなっていったのです。

 ならば後輪を小形・四輪化したほうが良いのではないか?駆動力を四輪で伝えることによって推進力も増すし、特注のタイヤを作らなくても、巨大なリヤタイヤのかわりにフロントタイヤを流用して使っても、十分前面投影面積を減らせるではないか、と。

 このように、ティレルP34が去ってから、ベンチュリーカーによって皮肉にも時代が六輪車に有利な方向へ動いていったことがわかるでしょう。そして、それに気付き、実際に六輪ベンチュリーカーの試作をしたのが、優秀なベンチュリーカーFW07によって頂点に立ったウィリアムズ(第十七回)だったのです。

 ウィリアムズのパトリック・ヘッドはまず、'81年、成功したFW07を六輪化したFW07Dを試作。通常のギヤボックスの後部にさらにギヤボックスを延長し、後輪4輪全てが駆動力を発生するものでした。後輪の4輪はフロントタイヤを装着しました。

 シェイクダウンテストでは、やはり強いアンダーステア...「曲がらない」性格が出たものの、強烈な加速で最高速も30km/hほど向上したと言います。


六輪化されることで
FW07B(上)よりも
ベンチュリーが拡大された
FW07D(下)

 さて、六輪ベンチュリーカーには、今までに述べた二つのメリットの他に、もう一つの意味があります。それは、後輪が後ろに増えることによって、そこまでベンチュリー空間を引き延ばし、広大なベンチュリーを形成できるという意味もあったのです。

 ウィリアムズがFW07Dを試作した'81年は、ベンチュリーの気密性を高めるスライディングスカートが禁止された年でもあります。六輪ベンチュリーカー化にはそれによって失われた分のダウンフォースを取り戻す意味も、あったわけです。

 FW07Dは結局のところ、マーチらと同様の強アンダーステア傾向により、実戦投入は見送られました。しかしながら、ウィリアムズはさらに六輪車の開発を続行します。

ウィリアムズFW08
 '82年、実戦には通常の四輪車であるFW08という新型が投入されます。
 これは大成功作のFW07の正常進化形でしたが、ルノーをはじめとするターボ勢に対抗するため、敏捷性を重視して、大幅なコンパクト化が進んでいました。

 現在のF-1マシンは、全幅が削減されたことへの対応もあり、3000mmを超えるホイールベース(*注2)も当たり前のようですが、FW08はなんと2591mmだったのです。同じ年のロータス87でも2718mmだったと言いますから、相当なショートホイールベースカーであると言えましょう。

 FW08はウィナーが11人という大激戦の'82シーズンを戦い、わずかに一勝ながら、ケケ・ロズベルグをチャンピオンに押し上げ、これまた成功作となりました。

 さて、このショートホイールベースにはコンパクト化以上の意味があったと言われています。そう、それは六輪化のために他なりません。
 つまり、後輪を四輪化することでアンダーステアになるのを、ショートホイールベースにすることで、敏捷性を持たせてカバーしようというわけです。

六輪ベンチュリーカー
ウィリアムズFW08B
 ウィリアムズは'82年シーズン途中に六輪のFW08Bを作成し、実戦に向けた最終テストに入りました。そして、それはかなりの完成度に達していたようです。

 しかし、この六輪ベンチュリーカーにも突然の終焉が訪れます。このテストの真っ最中にFISAが発表したのは、翌年からの5輪以上のマシンを禁止するレギュレーションでした。

 こうしてロータス88(第二十回参照)同様、F-1マシンに革命を起こすはずだった六輪ベンチュリーカーは実戦投入されることなく、あっけなく幕を降ろされることになってしまったのです。

 フランク・ウィリアムズはこの時、次のように語っています。

 「なぜFISAはエンジニアの探究の自由を奪うことしか考えていないのだろうか?F-1は全てのアイデアに対する明け放たれた追究の場であるはずであろう。FISAの決議はF-1から技術的な可能性を剥奪する行為にも等しい。」

 長い時間かけて開発した六輪車が実戦に投入されるよりも前にあっけなく禁止されてしまった無念さがわかります。
(もっとも、革命児ロータス88を強硬に反対したのはこのウィリアムズ本人であったようですが (^^;)

 ともかくも、六輪車はベンチュリーカーのようにF-1に革命をもたらすことのできる技術でした。しかし、残念ながらそれは陽の目を見ることなく消えることとなりました。それは既にF-1マシンの開発に「革命」が許されなくなってきたことを暗に示唆するかのようでした。

 こうしてF-1マシンの開発は「革命」の時代から、やがて「継続」の時代へと移ろうとしていました。

*注1:


ウィングの周りの空気の流れ


ベンチュリーの原理

 ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。

 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである(この場合、地面とマシンの間に力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。

 ベンチュリーの場合は負圧になる部分のみが存在すれば良く、ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がない。

*注2:

 ホイールベースとは、前輪車軸から後輪車軸までの距離のこと。一般に、これが延びるほど安定性が増すが、操縦性は鈍感になる。短くなると、不安定になるが、敏捷性に優れたマシンになる。

previous Next

back

back