Vol.6: Ventury-car (1)
(written on 18.Jun.1997, corrected on 28.Sep.1998)
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 F-1界にグランドエフェクトが芽生え始めた'70年代中期、一方ではフォードDFVエンジンの独占状態だったF-1界にフェラーリやアルファロメオがハイパワーのフラット12気筒エンジンで殴り込みをかけてきたのです。
 ハイパワーなこれらのエンジンは少しずつその優位を発揮しはじめていました。

Unchiku12
6輪車ティレルP34

 しかし'76年、そこへティレルが奇抜なアイデアのマシンP34を投入します。
 なんと、「車は4輪」という常識を覆し、タイヤが6つついた、6輪車になっていたのです!

 これは空気抵抗の徹底的な低減を目的としていました。

 F-1マシンは300km/hを超えるスピードで走るわけで、非常に大きな空気抵抗を伴います。しかし、その空気抵抗のうちの半分はむき出しのタイヤであったのです。
 そこで、ティレルのデレッグ・ガードナーは、フロントタイヤを特製の小径タイヤにするとともに前輪を4つにし、小径になったタイヤを第四回で触れたスポーツカーノーズの後ろに隠してしまえば飛躍的に空気抵抗が減るはずだと考えました。

 P34は狙い通り空気抵抗が減少され、たしかにそこそこの戦闘力を発揮し、他チームも注目します。しかし、結果的にこのプロジェクトは失敗に終わってしまいます。


 その原因はタイヤにありました。
 現在のレーシングタイヤは高速回転に強いラジアルタイヤになっていますが、不運にも、当時彼らがGoodyearから供給された小径フロントタイヤはバイアスタイヤだったのです。小径になった分、高速で回転するようになったタイヤは遠心力で膨らみ、セッティングを狂わせていたのです。

 また、前輪は覆い隠せたものの、後輪がむき出しのままで、思いのほか大きな抵抗を生んでいたのも大きな原因の一つでした。本当はエンジンパワーを伝える役割のある後輪の方を四輪にしたかったようですが、当時は現在のようなグリップ走行ではなく、後輪をパワースライドさせる走り方も一般的だったので、いたずらに後輪のグリップを増やす事は避けたいという事情もあったのです。

6-wheel car
後輪を四輪化した
フェラーリ312T2(上)と
マーチ240(下)

 後(第二十二回)でもう一度ふれる事になりますが、実は、ティレルP34が現役の時代にも、後輪四輪化を試したチームもありました。

 単純にフロントタイヤをトラックのタイヤのように二つ重ねた簡易六輪車を試したフェラーリと、実際に六輪車"240"を試作したマーチです。
 これらは、素晴らしい加速性能を示したそうですが、やはり「曲がらない」性格によって実戦投入には至らなかったようです。

 ともかくも、やがてP34は不調に陥っていき、6輪車は姿を消していきます。

 さらに皮肉なことに、この翌年にミシュランがより高速回転に強いラジアルタイヤをF-1で初めて持ち込んだのでした。しかし、P34が示した可能性は数年後もう一度注目されることになります。それは後(第二十二回)で触れることにしましょう。


 一方では'75年夏から、数々の革命的なマシンを送り出してきたロータスがまたしても革命的なマシンの開発に取りかかっていました。コンセプトは..."ベンチュリー・カー"。

 第五回で見たように、ブラバムやマクラーレンがスカートによって実現させていたグランドエフェクトはボディ下面に入り込もうとする空気を極力排除することでボディ下面に負圧を作ってダウンフォースを得ていたわけです。もともとボディ下面に空気が入ることは圧力でマシンを浮かせる結果になったので極力嫌われていた訳です。

 ところがロータスの面々は、逆に積極的に空気をボディ下面に取り込んで積極的に後ろから引き抜いてやれば、もっと強大なダウンフォースを得られるのではないか、と考えたのです。

March701
サイドポンツーンが
ウィング状になっている
マーチ701

 このアイデアは元をたどれば、この時ロータスの一員となっていたピーター・ライトによってBRMやマーチでも実験が行われ、マーチは実際にGPをも走っています。

 結局、サイドに付けたウィングはタイヤやエンジンなどによって気流が乱されているために、ウィングとしての効率が非常に悪く、結局ほとんど効果がなかったのです。

 しかし、ライトはロータスに加入してからも、ボス、コーリン・チャップマンのもとでその可能性の研究を続けました。そして、あることに気付いたのです。

 ライトが"ベンチュリー・カー"のコンセプトに辿り着いたのも研究の中での偶然からだったのです。

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