Vol.19 : The Begining of Regulation
Vol.19
: for Ventury-car
(written on 28.Nov.1997, corrected on 07.Oct.1998)
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 F-1界に革命を起こしたベンチュリーカー(*注1)でしたが、あまりに向上しすぎた性能に、安全性を不安視する声も多くなります。また、空気を遮断するため、スプリングによって地面に押し付けられていた、スカートによって(第回参照)サーキットの傷みが激しくなるという被害も出ていました。

 そしてついに'80年8月、アルファロメオのエース、パトリック・デュパイエがテスト中に、サイド・スカートの破損が原因でクラッシュし、死亡するという事故が発生してしまったのです。

 そこでFISA(現FIA)は'81年、ベンチュリーカーの性能を著しく低下させ、また、スカートをも禁止するレギュレーションを制定します。それは「車体のいかなる部分も路面から6cmの間隔を確保しなければならない」というものでした。

 それまで野放しであったベンチュリーカーについに規制が始まったわけです。

 ベンチュリーは通路の狭まった部分に流速の速い空気を流し込むことで力学的な効果を得られるわけで、F-1のベンチュリーカーの場合はそれが1〜2cmでした。
 それが6cmにまで広げられては効果が薄まってしまいますし、ベンチュリー構造を外の空気と遮断していたスカートも地面から6cmの高さになってしまうわけで、全く気密性がなくなってしまいます。

 このように、「車高6cmレギュレーション」は、地面に押し付けられていた可動スカートをも事実上禁止する巧妙なレギュレーションであったと言えるでしょう。

 ところがところが、驚くべきことに、F-1デザイナー達は、そのレギュレーション初年度からさらに巧妙に裏をかくアイディアを持ち出して来たのです。

 「裏をかく」と言えばこの人、ファン・カーBT46Bで物議を醸した(第十三回参照)ブラバムチームのゴードン・マーレイ。

 彼自身はベンチュリーカーに関してはアルファロメオV12を積んだ意欲作「第二世代(*注2)」BT48が失敗に終わっていましたが(第十五回参照)、BT48を「第一世代(*注2)」に戻して信頼性の高いコスワースDFVに換えたBT49はなかなかの走りを見せ、'80年には優勝争いの常連にまで復帰していました。


ハイドロニューマチックサス
を搭載したブラバムBT49C

 そのマーレイが後継型のBT49Cに搭載してきたのは、負荷に応じて伸縮するピストンを組み込んだサスペンション(*注3)でした。

 どういうものかと言いますと、通常ではこのピストンは伸びて車高が上がっており、6cmの規定を守っているのですが、実際走り出してダウンフォースを受けるとピストンが縮んで、従来通りの車高にまで落ちるようになっていたのです。

 ただ、レギュレーションではどんな状態でも6cmを保つように決められていましたから、このシステムは明らかな違反です。しかしながら、車高の測定は走行中にできるわけもなく、ピットロードで静止状態で行います。当然静止状態ではBT49Cは6cmの車高を保っていたので、レギュレーション違反とはできなかったわけです。

 姑息ながらも、その効果は絶大でした。

 さらにマーレイは固定式となったスカートをラバーのような柔軟な材質で作ることで地面に密着させて空気を遮断することにも成功していました。こうして前年度とほぼ同じベンチュリー効果を発生させ、マシンのバランスも良かったBT49Cに乗ったネルソン・ピケは初のワールドチャンピオンを獲得してしまうのでした。
 FISA側も慌てて走行中に車高が変化することは違反として条項を書き直しましたが、走行時の車高を規定することができなかった上、その時点で既にこうしたシステムは他のチームもこぞって模倣しており、結局野放し状態となってしまったのです。

 非常に有効であるかと思われたレギュレーションが開始初年度からあっという間にその効果そのものすら失ってしまうようなこの状態。なんともはや、驚くべきことです。

 とは言え、この車高変化システム(ハイドロニューマティックサスペンション)は、「ファン・カー」と同じくレギュレーションの裏をついたその場しのぎの「抜け道」的なものであったことは否めません。

 しかし、その中でベンチュリーカーそのものの構造すらも根本から変えてしまうようなとんでもない革命的なマシンを考えていた者もいました。その名はコーリン・チャップマン。そう、ベンチュリー・カーを初めて製作したロータスのボスです。
 いわゆる「第二世代」を標榜したロータス80で大失敗し、低迷していた彼は再び革命を起こそうとしていたのです。
 ロータスが'81年シーズン開幕戦に持ち込んだその革命的マシン「ロータス88」は「ツインシャシー」と呼ばれました。

 はい、ここまで (^^;!

 「えっ?シャシーが二つ?どういうこと?」

 次回は「『悲劇の革命児』ロータス88」をお送りします。

 「悲劇ってなんやね〜ん?」
 「待たんか〜い!」

 それではまった〜!

*注1:


ウィングの周りの空気の流れ


ベンチュリーの原理

 ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。

 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである(この場合、地面とマシンの間に力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。

 ベンチュリーの場合は負圧になる部分のみが存在すれば良く、ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がない。

*注2:

 ここではただベンチュリーを取り付けただけで、ウィングも持っているベンチュリーカーが第一世代、ベンチュリーのみで全てのダウンフォースを稼ごうとしてウィングを排したものを第二世代と呼ぶことにする。

*注3:

 サスペンションはスプリング(コイルやトーション・バーなど幾つかの種類がある)と油圧のダンパーの組み合わせで路面の凹凸を吸収し、車体を理想的な状態に保たせるための装置。

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