Vol.9: The Revolution of Lotus 79
(written on 16.Jul.1997, corrected on 29.Sep.1998)
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 '77年、満を持して初のベンチュリー・カー78型を投入したロータスでしたが、結局チャンピオンを争うには至りませんでした。
 しかし、ロータスの開発陣は78の問題点を洗い出し、さらに強力にすべく開発を続けていました。

 一方で、他チームもロータス78のサイドポンツーンには注目しましたが、'78年の開幕戦の時点で実際にベンチュリーを搭載してきたのはロータスだけでした。やはり、まだ他のチームにとってはベンチュリーの絶大な効果を信じることはできなかったのでしょう。
 また、そうできなかった理由もありましたが、これは次回に回すことにしましょう。

Lotus79
ロータス79

 さて、78に続いて'78年第6戦ベルギーから登場した79は、果たしてグランプリを席巻する強さを発揮します。
 エースのマリオ・アンドレッティが5勝(シーズン6勝)でドライバーズチャンピオン、チームメートのロニー・ピーターソンも1勝(同2勝。2位が4回もありました)を挙げ、文句なしのコンストラクターズチャンピオンに輝いたのです。

 しかし、余談にはなりますが、この年はロータスにとっては大変悲しい事故も発生してしまったのです。

 二人のドライバーのチャンピオン争いも佳境に入った第14戦イタリアGPでピーターソンがスタート直後の多重クラッシュに巻き込まれて亡くなってしまったのです。両足骨折の手術中、骨髄が血管に入ってしまったためでした。

accident in Monza'78
事故で黒煙を上げる
ピーターソンのロータス78

 皮肉にもこの時ピータソンが乗っていたのはこの年のGPを席巻した79ではなく、古い78だったのです。79が事故で大破し、その修復が遅れ、78を出さざるを得なくなってしまったためでした。

 78ではなく、より洗練され、強度も上がっていた79のモノコックならばピーターソンの両足も守られていたかもしれないという意見もあります。

 この事故の後の残り2戦はその影響か、ロータスは1ポイントも挙げることなく終了することになります。華々しい技術改革を果たした79でしたが、その裏でこんな悲しい事故も起こっていたことを覚えておくべきでしょう。

 親友ピーターソンの死を聞いてアンドレッティがつぶやいた言葉...
「これもまたモータースポーツの一面なのだ」
...なんとも重い言葉です。


 さて、このコラムの趣旨とは大きく逸脱してしまいましたが、本題に戻りましょう。前年度、チャンピオンを争うほどではなかった78は79に至ってシーズンの半分を優勝するほどの強さを見せることになりました。その秘密はどこにあるのでしょう?

Lotus78 and 79
ロータス78から79への
ベンチュリーの進化

 まず大きかったのはサイドポンツーンのベンチュリー構造の改良でした。

 前回、78のベンチュリー形状はどちらかというとウィングに近いものだったと述べましたが、79ではこれがより後方に伸びた純粋なベンチュリーに近いものになっていました。78で前方になってしまったダウンフォースの発生点を後ろにずらす目的がありました。(以降、このダウンフォースの発生点はベンチュリーカーの性能を決定する重要なファクターとなっていきます。)

 また、サイドポンツーンをベンチュリーと見立てるのではなく、ボディ全体でベンチュリーを構成するのだと考え、エンジンやギヤボックスなども空力デザインのなされたアンダーボディで覆い、より洗練した形状となっていました。

 ベンチュリー周辺も徹底的に整理されました。
 まず、78でベンチュリーの空気が抜けていくべきところに陣取っていたアウトボードのサスペンションをギヤボックス周辺に配置し、ロッカーアームだけがベンチュリーの抜け道に突き出しているようにしました。これにより先ほどの、後方に伸びたベンチュリー構造が可能となりました。また、このために特製のギヤボックスも用意されたのでした。
 フロントに収められていたオイルクーラーもサイドポンツーン内部に移動し、よりすっきりとしたノーズとなりました。

 そして、ベンチュリー構造を外部と遮断するスカート( *注1)にも大きな改良が加えられました。78の初期はナイロン製のブラシで、後期はヒンジによって折れ曲がることで路面の凹凸を吸収していましたが、79では板状のスカートをスプリングで路面に押し付ける形式にかわり、より遮断性が高まったのでした。


 さらに79にとって幸運だったのは燃料タンクのレギュレーションが変更されたことです。

 前年の'77年までは一つの燃料タンクの最大容量は80リットルに制限されていたために、各チームは小さな燃料タンクを各所に分割して配置していました。従来のツインチューブモノコック( *注2)を採用していた場合、そのチューブのなかに燃料タンクを収めれば良かったのですが、非常に細身で単純な箱型のアルミハニカムフルモノコック を採用した78は、そのせっかくの細身のモノコックの横にはりだして燃料タンクを配置せざるを得なかったのです。これによりベンチュリー部分に燃料タンクが突き出す恰好になり、また、安全上でも大変なマイナスとなっていました。

 ところが'78年にはこのレギュレーションが廃止され、燃料タンクを一つにまとめることができるようになったのです。
 こうして79では一つにまとまった燃料タンクをコクピットとエンジンの間に配置しました。これによりモノコックがさらに細くなる一方、コクピットは若干広くなり、大柄だったロニー・ピーターソンを満足させることができました。

monocock of 79
ロータス79のモノコック

 また、モノコックの断面が小さくなり、その分捻れに対する強度も上がっていたといいます。(78ではまだ強度が不十分だったためにエンジンに負担がかかったために、エンジンブローが頻発したのではないかという意見もあります。)

 これらの細身のフルモノコック+ドライバーの背後に燃料タンクという配置は実は現在のF-1カーのにおいても基本中の基本といわれる配置であり、非常に先進的であったことがわかります。

Annotates

注1 : ベンチュリーの密閉
ventury
ベンチュリーの原理

 ベンチュリーはその流路の入口と出口で空気の量が同じで、真ん中を絞って空気の流速を上げることで負圧が発生する。そのため、外部との空気の遮断が不可欠である。
 なお、F-1の場合、この関係を路面とマシンの底の間に適用することでダウンフォースを得ている。


注2 : モノコック

 モノコックはマシンの背骨とも言え、ドライバーや燃料タンクを収める一方、後部にエンジンが連結されるなど、非常に重要な部分である。ここの強度によってもマシンの操縦性能は大きく変わる。
 もともとは「一つの殻」を意味する。力を外皮全体で受け止めるため、軽量で丈夫な構造が可能となったというわけである。

monocock
ティレル008のバスタブモノコック

 従来のツインチューブモノコックはドライバーの両脇の二つの箱型をバルクヘッド(隔壁)でつなげた構造をしていて、ドライバーの上方が開いていた。そのため風炉桶のような外観で、バスタブモノコックともいわれた。非常に幅が広く、ベンチュリーを構成するには無理があったため、ロータスでは78で単純なシングルチューブモノコックを採用し、そのことで失われる強度を、ドライバーの足の部分も完全に覆うフルモノコックとすることで補おうとしたのだ。

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