Vol.33:
"Flat-Fish Car" - Brabham BT55
(written on 25th.May.2000) |
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1.マーレイの野望再び |
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ターボF-1の理想形 マクラーレンMP4/2 |
フラットボトム規制(*注1)になって4年目、'86年シーズン。'84年にマクラーレンのジョン・バーナードが、MP4/2というターボF-1の一つの理想を示してしまったことで、F-1のシャシー技術は画一化の方向へ向っていました。 |
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そんな中、他チームに差をつけるには、大メーカーと手を組んでハイパワーのエンジンを手にいれば良い、という状況が生まれていました。なぜなら、ハイパワーになった分ウィング(*注2)を壁のように立てれば、同じストレートスピードながら強大なダウンフォースを得て驚くべきコーナーリングスピードを両立できたからです。 だからこそ逆に、トップチームよりも劣るチームこそ、彼らを出し抜くべく、彼らにないトライをシャシー(*注3)側で行おうとしたのは至極当然のことではありました。
BMWエンジンとともにピケをチャンピオンに押し上げたブラバムでしたが、直列4気筒に過給圧を上げて強引にパワーをひねり出していたエンジンは、もはやホンダやTAGポルシェら新世代のV6エンジンには太刀打ちできなくなっていました。そして、'86年にはとうとう、虎の子のピケも移籍することになりました。
2.「究極の低さ」のためにマーレイはBT55の異常なまでの低いフォルムを実現するために、これまた異常なまでのアイディアを詰め込んできました。 |
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72°傾けられたBMW M12/13エンジン |
まずは、BMWに対して要求したのが、なんと、直列4気筒エンジンを72度傾けることでした。 直列4気筒エンジンはコンパクトではありましたが、シリンダーが直立しているため、高さに関しては、ホンダやTAGポルシェらのV型と比べるとかなり高かったため、それを補うべく、縦長のエンジンを倒して、全幅を犠牲にしてでも高さを削ろうとしたのです。 |
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さらに、ドライバーの姿勢は寝そべるように低く設定され、モノコック(*注7)もその寝そべったドライバーの肩ぎりぎりの高さしかありませんでした。
3.マーレイの真意
しかし、なぜマーレイはこれほどまで執拗に低さにこだわったのでしょう?確かにレーシングカーの運動性能を語る上で、重心の低さは非常に重要な要素ではあります。しかしそれにしてもBT55の場合は上記のように他に犠牲になる要素が多すぎます。
ウィングは確実にダウンフォースを発生し、コーナーリングスピードを上げてくれる一方、大きな抵抗が発生するのも事実でした。特に、ボディの発生する乱流の中ではその効率は著しく落ちます。
ところがマーレイは、この規制から20年近く経過して、これを乗り越えるコロンブスの卵的発想に辿り着いたのです。
...いや、このような実に単純明解な発想は誰でも考えたことでしょう。しかしながら、考えても誰もやろうとしなかった、もしくできなかったアイディアをこれほどまで徹底的に、形にして実現したのは、やはり革命的と言わなければならないでしょう。 |
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「フラットフィッシュカー」ブラバムBT55 |
ボディの高さは66cm、一方リヤウィング高は規定いっぱいの100cm。明らかに他のマシンよりもリヤウィングが飛び出して高い位置にあるように見えたBT55は前年型のBT54比で全面投影面積を10%削減し、ダウンフォースは30%も増加。直線ではマーレイの狙い通り、飛び抜けた加速を実現しました。 |
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しかしBT55は結果的に、少しずつ危うくなってきていたブラバムチームの運営に引導を渡す大失敗作となってしまうのでした。 4.理想と現実の狭間で破綻したBT55
直線の加速では狙い通りの性能を発揮したBT55。しかしながら、肝心のコーナーリング時にはそうはいきませんでした。異常に長くなったホイールベースのために、マシンバランスをとるのが非常に困難になり、トラクション不足に悩まされてしまったのです。
結果、BT55は延べ29回のスタートで20回ものリタイヤを喫してしまいます。あまりのパフォーマンスの低さに、地元イギリスでは前年型のBT54が引っぱり出されたほどです。 さらに、そんな最悪の状況に追い打ちをかけるような悲劇まで発生してしまいます。粋な佇まいと奔放な生き方で人気だったエリオ・デ・アンジェリスが、このBT55をテスト中にクラッシュを喫し、帰らぬ人となってしまったのです。(ちなみに、アレジのヘルメットデザインは彼のデザインを踏襲しています) この不振に疲れ果てたマーレイは、長年二人三脚を組んできたオーナー、バーニー・エクレストンと半ば喧嘩別れのような形でマクラーレンに移籍。バーニーの方もチーム運営への熱意をなくし、F-1事業の拡大にのめり込むようになります。 |
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'87年マシンBT56 |
チームに残されたセルジオ・リンランドら技術陣は'87年シーズンに向け、マーレイの超低重心コンセプトを捨て、よりコンベンショナルなマシンを作ろうとしましたが、皮肉なことに、BMWはBT55と同様の72度傾けたエンジンしか供給する意志はありませんでした。 |
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それでもBT56はそこそこの活躍をしましたが、もはや斜陽となったチームはバーニーの手を離れ、'88年1年間を休養期間にあてることが決定されたのでした。 5.まとめ結局のところ、BT55はそのコンセプト自体の成否を問う以前の段階でつまづいてしまい、その実力を発揮せずに終わりました。マーレイはこの後、マクレーレンでより現実的な形でこのフラットフィッシュカーの優位性を存分にアピールすることになりました。
しかし、フラットボトム規制下でのグランドエフェクト(*注11)に懐疑的で、コークボトル(*注12)も非常に消極的にしか採用していなかったマーレイがウィングにこだわっている一方で、時代の最先端ではグランドエフェクトの徹底的な追求が行われつつありました。
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