Vol.34:
"Richly Colored Aero-Machine" Benetton B186
(written on 09th.Jul.2000) |
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1.アヴァンギャルド・ベネトン
「ターボウォーズ」の真っただ中であった'86年。
まずは当時のベネトンチームの情勢から見ていきましょう。
一方、'85年、トールマンという'81年から参戦した若いチームがピンチに陥っていました。
ここで、この年からトールマンのスポンサーも開始していたベネトンが立ち上がります。スピリットチームからピレリの使用権利を買い取って参戦を可能とすると、続く第9戦のドイツGPでは、完全にチームの経営権を買収したのです。(奇しくもそのドイツGPでテオ・ファビが、祝杯のごとくポールポジションを獲得しています) ベネトンのF-1参戦の意図は、非常にシンプルでした。「F-1マシンを広告塔として使う」。現に、'85年のトールマンTG185も、白地に万国旗が描かれた、なかなかにヴィヴィットなカラーリングで、明らかに他のマシンとは一線を画した色彩を放っていました。 |
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美しいカラーリングのB186 |
しかし、正式にベネトンチームとなった'86年にデビューしたニューB186のカラーリングに、人々はさらなる度胆を抜かされることとなります。緑を基調としたボディには、さまざまな色がブラッシングされ、まさに「アート」なカラーリングとなっていたのです。驚くべきことに、テオ・ファビ、ゲルハルト・ベルガーの二人のドライバーのヘルメットまでこのブラッシングカラーで統一されていました。 |
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さらに、予選ではタイヤの側壁までベネトンカラーに塗られるという徹底ぶりでした。 2.先進の空力マシンB186アヴァンギャルドなカラーリングばかりに目を奪われがちなB186。しかし、戦闘力向上の努力ももちろん行われていました。プライベーターのハートエンジンに替え、BMWエンジンを獲得(これはブラバムとは違い、直立のノーマルエンジンです)。これにトールマン時代からの南アフリカ出身のデザイナー、ロリー・バーンが、大幅に増額された開発予算でデザインしたシャシーが組み合わされました。 バーンはこの頃既に、独自の空力理論が評価されはじめていました。マーレイがフラットボトム(*注1)でのグランドエフェクト(*注2)に懐疑的で、ウィング(*注3)を重要視したのとは対照的に、バーンは徹底的にグランドエフェクトにこだわっていました。
とりわけ、フロント部分でのグランドエフェクトへのこだわりは執念すら感じるものでした。
この以前からもモノコック(*注5)を細くすることは空気抵抗を減らすことにつながるので、フォーミュラカーでは当たり前のことではありました。
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ディフレクターを装着した マシンの空気の流れ |
そこでバーンはB186のために、当時としては異常とも思えるほど非常に細いモノコックを製作。さらにフロント部分の空気流を整理するべく、モノコックの下面にはV字型のスプリッターを設け、空気を左右に振り分けるようにしました。これは現代F-1マシンのハイノーズ(*注8)にもつながる非常に先進的な考え方でした。
また、フロントタイヤの直後には現在のF-1では標準装備となっているディフレクター(*注9)も取り付けられ、タイヤの発生する乱流に対処していました。こうして、マシンのフロントからサイドへ抜け、ディフューザの上へと導かれる空気の流れが完成したのです。
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バーンがこだわったのはフロント部分の空力だけではありません。ブラバムと違い、背の高い直立のBMWエンジンを使用したB186でしたが、そのリヤカウルは徹底的に低くデザインされ、また、極力フラットな面を形成するような努力が垣間見えました。このようにバーンは、グランドエフェクトに固執しながらも、マーレイ同様にリヤウィングの徹底効率化も果たそうとしていたわけです。 3.速さの影の、空力マシンゆえの弱点 |
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ベネトンB186 |
先進の空力マシンとなったB186。チームの期待通り、このマシンはシングルグリッドをコンスタントに獲得できる速さを身につけました。第12, 13戦ではテオ・ファビが見事連続ポールポジションを獲得。そして第15戦のメキシコでは若いゲルハルト・ベルガーがピレリタイヤを無交換で走り切って劇的なチーム初優勝を遂げました。 |
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しかしその影で、B186は空力マシンゆえの弱点を持っていました。フロントウィングによるグランドエフェクトを見事に引き出したものの、その効果はやはりマシンの姿勢によって大きく変化し、不安定だったのです。
また、マシン自体の信頼性もまだトップクラスには遠かったと言わざるを得ません。2度のポールを獲得したファビでしたが、11度ものリタイヤを喫してポイントはわずかに2ポイント。17ポイントを挙げたベルガーも8度のリタイヤと、トップチームと呼ぶにはもう一歩という状況でした。 とは言え、同じBMWエンジンながら、ウィングにこだわってエンジンを傾けてまで低重心マシンを作り大失敗したブラバムと、直立のエンジンながらグランドエフェクトにこだわった先進の空力をまとい、ポールポジションや優勝に恵まれたベネトンは、非常に対照的で面白い存在でした。 4.急速に強まりつつあるターボ規制さて'86年はターボ時代の転機と言える年かもしれません。この年は、F-1史上でたった一年だけ、ターボエンジンが義務付けられた年です。もっとも、前年度途中にティレルがルノーを搭載してからは全てのマシンがターボエンジンになっていましたが、今思えばそれが規則化されたことは驚きに値します。
一方では、無法のパワーウォーズと化していたターボエンジンに対し、前年度から燃料積載量制限によってパワーを抑える方策が始まっていました。'86年には220lから195lへと強化されています。また、'88年いっぱいでターボエンジンを禁止することも発表されました。
こうしてターボエンジンに支配されたF-1でしたが、各チームは、 一方では'89年からのターボ禁止をにらみつつ、一方では厳しい燃費制限などに対処する効率的なターボエンジンの開発を行わなければならないという難しい状況に追い込まれることとなってしまったのでした。 こうした状況を踏まえつつ、次回は'86年シーズンのトップ争いに目を向けてみることにしましょう。
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