Alfa-romeo Tipo179c
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INTRODUCTION

 1950年に始まったF-1グランプリで最初に最強の座を誇ったのはアルファロメオでした。最初のグランプリに優勝したのも、最初のチャンピオンに輝いたのも、アルファロメオを駆ったジョゼッペ・ファリーナだったのです。
 しかし、打倒アルファに異常な執念を燃やしたフェラーリに完膚なきまでに破れると、アルファロメオはF-1を撤退。再び本格的に戻るには、'76年、ブラバムのパートナーとして復帰するまで待たなければなりませんでした。

 当初フラット12エンジンでブラバムに供給していたアルファロメオでしたが、不運にも、ベンチュリーカー革命に直面した結果、彼らはV12エンジンへの変更を迫られました("U-N-C-H-I-K-U"第12回参照)。しかし、短期間の間に作り上げたせっかくのV12エンジンでしたが、ブラバムは結局アルファロメオを見限ってしまいます。結果、彼らは独自チームによるセミワークス参戦を目指すことになりました。

 '79年よりスポット参戦しはじめたアルファロメオですが、なかなか信頼性を得ることができません。翌'80年、ベンチュリーカーとしてツボをおさえたTipo179が登場しますが、このマシンをテスト中にエースのパトリック・デゥパイエがスライディング・スカート(第九回参照)のトラブルでクラッシュ、死亡してしまうという悲劇にあい、翌年からのスライディングスカート禁止の原因を作ってしまいます。
 翌'81年、Tipo179の固定スカートバージョンとして登場したのがこのTipo179cですが、'78年チャンピオンであるマリオ・アンドレッティと、有望な若手ブルーノ・ジャコメリのドライブながら、相変わらず信頼性不足に悩まされ、表彰台一回という成績に終わってしまいました。

 苦悩と悲劇のマシン。それがアルファロメオTipo179cだったのです。


PICTURES & ANNOTATES

slant

 フロントビュー。なんとも捕らえ所のないデザイン。フロントノーズの上にちょこんと乗っかったかのようなフロントウィングが異様ですが、この時代はまだ試行錯誤されていた時代なのです。

 「マクラーレンだ!」などというセリフは絶対に吐いてはいけません (^^;!
 この翌年のTipo182はカーボンモノコックが採用され、さらにマクラーレンMP4/1に瓜二つになっていったから笑えない...。

monocock

 カウルを外した状態。アルミハニカムのモノコックの輝きは、現代F-1の失ったものの一つでもあります。
 職人気質というか、黒く、無味乾燥なカーボンモノコックとは違う、暖かみのようなものがありますね。

engine

 巨大なティーポ1260エンジンと燃料タンク。当時としてはかなりのロングホイールベースとなっていました。

 なお、ドライバーとエンジンの間に燃料タンクを置いて、ベンチュリーをできる限り広くとる手法はロータス79が先鞭をつけ、現代F-1にも引き継がれているものです。

 しっかし、エンジンはこれまたいかにも職人が作った、という雰囲気に満ちていますね (^^;。

rear

 リアから。広大なベンチュリー空間と、そこには最小限しか突起物がないことがわかりますね。
 上方に向けられた排気管とともに、ベンチュリーカーとしては非常にスタンダードなパッケージ。

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