1. 日本GP コースレビュー & ヒストリー
* * * モータースポーツ後進国、日本。 * * *
先日のU.S.GPが開催されたインディアナポリスが1911年に完成していたのとは対照的に、日本で初めての本格的サーキットが完成したのは半世紀以上遅れて1962年の鈴鹿まで待たなくてはならなかった。
モータースポーツが日常に根付いた欧州や米国と違い、日本でのそれは特殊な存在だった。それどころか、暴走族を増長させるものとして、煙たがれる存在ですらあったのだ。
* * * わずか二度に終わった富士でのF-1 * * *
しかし、'63年に始まり、トヨタや日産が壮絶な争いを繰り広げた日本グランプリや、富士スピードウェイで開催されたグランチャンピオンシリーズが人気を博し、日本でのモータースポーツも隆盛を見せるようになった。そして'76年、このシーズンの最終戦として富士が組み込まれることになったのだ。
その'76年のレースは大雨の中のレースになり、ジェームス・ハントが大逆転でチャンピオンを獲得するという劇的な舞台となった。これについてはバックナンバーのヨーロッパグランプリの記事を参照されたい。
しかし、続く'77年のレース。
残り2戦を残してチャンピオンを獲得してフェラーリを去ったラウダの代役として抜てきされたルーキー、ジル・ヴィルヌーブのフェラーリ312T2がロニー・ペテルソンのティレルP34のリヤに激突して宙を舞い、立ち入り禁止区域に入り込んでいた観客の上に落ち、その命を奪った(ジルは無事だった)。
この事故は「モータースポーツは危険なもの」として世論の批判の格好の的となった。そして翌年以降も予定されていた富士でのF-1はキャンセルされ、10年ものブランクが空くことになったのだ。
* * * 日本で根付きつつあるモータースポーツ * * *
そして'87年、舞台を鈴鹿に移し、再びF-1は日本に戻ってくる。
ホンダエンジンの大活躍、バブル経済による日本企業の進出、日本人ドライバーのフル参戦などの要素から、F-1は大ブームを迎えることとなる。
そんな熱狂の中、鈴鹿はチャンピオンが決定する天王山としての役割を果たしてきた。'99年までの13年間で8回ものチャンピオン誕生の瞬間を演出してきたのだ。
だが、その間に日本でのF-1を取り巻く環境は大きく変化した。
バブルの崩壊。ホンダエンジンの撤退。人気を博した中嶋悟の引退とアイルトン・セナの夭折...。こうした出来事を経て、再び日本でのモータースポーツはマイノリティなものに逆戻りした感がある。
しかしそれでも毎年の鈴鹿のF-1には10万を超えるモータースポーツファンが詰め掛ける。決して日本でのF-1が死んだわけではないのだ。静かに、静かにそれは根付きつつあるのだと思いたい。
* * * 世界屈指の難コース、鈴鹿 * * *
劇的なチャンピオン決定の場を演出してきた鈴鹿。それは現在、立体交差を持つ唯一のF-1サーキットである。また、左右コーナーのRをそれぞれ足していくと同じになるという珍しい特徴も持っている。
そのコースは前半(東コース)と後半(西コース)とで性格が大きく異なる。
前半はS字や逆バンク、デグナーなど、ドライバーの技量やマシンの運動性能を求められるテクニカルセクションであるのに対し、ヘアピンを抜けた後の後半はバックストレートや、高速の130Rを含む、エンジンパワーやドライバーの度胸を求められる高速セクションとなっている。
そのため、チームはどちらのセクションよりにマシンを合わせるかで高い次元での妥協を求められる。
昨年、東コースのみで行われたF-Dでゲスト参加ながら独走した福田良が、今年、F-1の前座のフルコースでのF-Dでは一転して苦心したのは、その難しい鈴鹿の特徴を物語っていると言えよう。
2.レース・レビュー
* * * 予選 〜 高次元なタイムアタック争い * * *
この2000年シーズンの天王山となった鈴鹿。
フリー走行一日目はシューマッハが先行する展開であったが、予選前のフリー走行ではハッキネンがトップを奪うなど、一歩も譲らずに予選を迎えることとなる。
そしてその予選もまた、二人が壮絶なポールポジション争いを見せる。最初のアタックから1分36秒フラット付近での百分の一秒単位でのタイムの削りあいが見られたのだ。
当初はシューマッハは第1, 3セクターが速く、ハッキネンは第2セクターで速い、という展開が見られたが、その後のマシンセッティングにより、時にはその関係が逆転することもあった。だが、それでも一周のタイムでは百分の一秒単位という実にハイレベルな戦いであった。
最後は、両者とも35秒代という、コースレコードにも迫る高次元のタイムに突入し、0.009秒差でシューマッハが3年連続のポールポジションを獲得した。
トップ2チームの後ろにはウィリアムズ勢が続いた。バランスの良いシャシーを武器にフリー走行から好調だった二台。特にルーキーのバトンはこの難しい鈴鹿を金曜のうちに攻略し、走り慣れたラルフより上、5番グリッドを獲得してしまった。
* * * 前半戦 〜 別次元のトップ争い * * *
迎えた決勝。
鈴鹿の空はわずかに小雨がぱらつく微妙なコンディションからスタートすることになった。だが、まだ路面コンディションが大きく変化するほどの雨ではない。一体いつ本降りになるのか、というのがスタート前の最大の関心事であった。
ところが、スタート直前に衝撃が走る。2番グリッド、ハッキネンのリヤから白煙が上がっていたのだ。慌てるメルセデススタッフ。
しかし、容赦なくスタート手続きは進行していく。
さあ、スタートだ。
白煙の不安もどこ吹く風で、ハッキネンが抜群のダッシュを見せる。加速の鈍ったシューマッハの横を駆け抜け、トップで1コーナーに飛び込んでいく。過去2年と全く同じ展開だ。
スタートでうまく出たのはアーバインも同じであった。バリッケロやバトンの前に、5位に躍り出た。鈴鹿を得意とする彼だけに期待がかかったが、レースが進むにつれて徐々に入賞圏内から脱落していくことになる。今のジャガーではこれが精一杯のようだ。
|