このヨーロッパGPが開催されたドイツのニュルブルクリンクは古くからの伝統のサーキットで、かつては20kmを越える距離を誇る、ベルギーのスパ・フランコルシャンのような森林コースで、非常に難しいチャレンジングなサーキットとして名を馳せた。
このコースで最も印象的な出来事としてはやはり'76年のドイツGPを挙げざるを得ない。
この年、圧倒的な強さで勝利を重ねた、前年度チャンピオンのニキ・ラウダのフェラーリ312T2が大クラッシュを演じ、炎上。ラウダは瀕死の火傷を負い、牧師が呼ばれて臨終の儀式が行われたほどであった。
だが、奇跡的な回復力でラウダはわずか1ヶ月後、2戦を欠場しただけでフェラーリの地元イタリアGPに復帰したが、その顔はおびただしいまでの痛ましい火傷に包まれていた。
このコースで最も印象的な出来事としてはやはり'76年のドイツGPを挙げざるを得ない。
この年、圧倒的な強さで勝利を重ねた、前年度チャンピオンのニキ・ラウダのフェラーリ312T2が大クラッシュを演じ、炎上。ラウダは瀕死の火傷を負い、牧師が呼ばれて臨終の儀式が行われたほどであった。
だが、奇跡的な回復力でラウダはわずか1ヶ月後、2戦を欠場しただけでフェラーリの地元イタリアGPに復帰したが、その顔はおびただしいまでの痛ましい火傷に包まれていた。
さらに、休養していた間にマクラーレンのジェームズ・ハントにチャンピオンシップポイントで迫られていたラウダ。雌雄は最終戦、富士スピードウェイでの史上初の日本GPに持ちこまれる。
凄まじい大雨に見まわれたこのレース、危険を感じたラウダは3周でレースを放棄。一方、ハントは一度は順位を落したものの、驚異の追い上げで3位に入り、1ポイント差で逆転し、チャンピオンを獲得した。
レースを放棄した行為はエンツォ・フェラーリの逆鱗に触れ、ラウダはフェラーリから冷遇されるようになってしまった。テストなども、カルロス・ロイテマンを中心に行われるようになったのだ。
しかし翌年もその逆境の中で、彼は以前とは違う、計算され尽くした冷徹なドライビングで確実にチャンピオンシップポイントを積み上げていった。
そして2戦を残してチャンピオンを決めたラウダはエンツォ・フェラーリに三行半(みくだりはん)を突き付け、残りのレースを辞退。見事に復讐を果たしたのだ。(ちなみにその代役としてシートを得たのが、かのジル・ヴィルヌーブである)
大きく話が逸れた (-_-ゞ。
現在はその時のコースとは違い、近代的に改修されている。
このレイアウトになってからのレースの中では、やはり'98年のハッキネンとシューマッハのトップ争いが印象的であろう。
先行しつづけたシューマッハを、ハッキネンは見事なピット戦略で逆転。毎度シューマッハにやられた戦術で彼を破ったハッキネンがこの年のチャンピオンに王手をかけたレースであった。
地元で見事に打ち負かされたシューマッハのあの落胆した表情は、F-1では初めて見る顔と言っても過言ではなかった。
当然、天候同様荒れに荒れた昨年のレースも印象的であった。
トップに立つドライバーがことごとく自滅していき、最後にトップに立った14番グリッドスタートのハーバートがスチュワートチームの初めての、そして最後の優勝を飾ったのは記憶に新しいところであろう。
さて、ようやくレースレビューに移る。
10℃を切る非常に寒いコンディション。そして、予選同様、予測しにくい不安定な天候。もともと森林サーキットであったニュルブルクリンクならではである。
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