1. モナコグランプリ・ヒストリー
今年もやってきた伝統の一戦、モナコGP。特別な世界であるF-1の中でも、さらに別格の扱いなのがこのモナコGPだ。
美しい地中海と荘厳さを感じる街並み。高級マンションやクルーザーの上から観戦する人々の優雅な佇まい。
それとはまるで対照的に、狭く、安全基準からも逸脱した厳しいコースはほぼコース全域にわたってガードレースに囲われ、ドライバー達から優雅な風景は全くと言って見えない。ピットも戦場のように狭く、ドライバーとスタッフは、普段以上の厳しい戦いを強いられているのだ。
このコントラストと渾沌(こんとん)こそが、他のレースにない、F-1の強烈な魅力の一つである思う。
このモンテカルロのコースでレースが開始されたのは、F-1世界選手権の始まった'50年よりもずっと早い'29年のことだ。驚くべきことに、当時よりコースレイアウトはほとんど変更されていない。
モナコGPと言えば、"F"というマンガのクライマックスで主人公のマシンがガードレールに激突し、地中海に飛び込むシーンがあり、「そんなバカなことがあるか」と思った人もいるかもしれない。
だがこれは昔、実際に起こったことだ。
フェラーリで'52〜53年にかけて不滅の9連勝を達成し、二年連続のチャンピオンを飾ったアルベルト・アスカリが'55年、アクシデントにより、海に落ちてしまったのだ。
それ以来、モナコGPでは常に海にはダイバーが待機しているのだ。
この時アスカリは「一応息継ぎの仕方は知っているからね」という名言(?)を残し、自力で岸に泳ぎつき無事であった。
だが、とにかくモナコGPは深刻なアクシデントと背中合わせだ。特にヌーベルシケインは鬼門である。ロレンツォ・バンディーニが死亡した'67年の炎上事故。脳にダメージを受けた'94年のカール・ヴェンドリンガーの事故。
今回ここで大きな事故がなかったのは幸いであった。
モナコマイスターと言えば、グラハム・ヒルであり、アイルトン・セナである。だが、今回はモナコGP語り種のレースとして、'61年を挙げておこう。
この年のチャンピオンを獲得したのは、パワフルな1.5リッターV6エンジンを搭載した「シャークノーズ」フェラーリ156を駆るフィル・ヒルであった。
だが、このレースをリードしたのはロブ・ウォーカーのプライベーターロータスで参戦していた初代「無冠の帝王」スターリング・モス。モスは非力なロータス・クライマックス18のハンディを補うべく、なんとマシンのサイドパネルを外して走っていた。つまり、横から彼の足が見える状態のマシンである。
フェラーリワークスのヒル、ダン・ガーニー、ウォルフガング・フォン・トリップスの3人は自転車レースのごとく順位を入れ替えてモスに対して波状攻撃をかけた。
だが、モスは全く怯むことなくこれらを撃退し、見事に優勝を飾ってみせたのだ。モスの集中力を保った素晴らしい走りだからこそ達成できた勝利である。
余談であるが、モスはその後ニュルブルクリンクでのドイツGPでも同じ展開で優勝を手中におさめ、母国勝利を狙ったフォン・トリップスの夢を打ち砕いた。
そしてトリップスはチャンピオンがかかった翌戦のモンツァにおいてF-1史上最悪という事故で、観客14人とともに命を落としてしまう。そしてドイツ人初のチャンピオンは33年後...ミハエル・シューマッハまで待たなくてはならなかった。
モンテカルロはよほどマシンの速さに差があるか、前車にミスがない限り、追い越しは不可能である。しかし、だからこそ逆にこうしたドラマが発生しうる。'92年、独走していたナイジェル・マンセルの突然のピットインから発生したセナとの刺激的な7周のバトルは鮮烈な記憶となっている。
2. レース・レビュー
* * * 番狂わせの予選 * * *
狭い狭いモンテカルロ。追い越しが難しいこのサーキットでは、当然、予選のグリッドが非常に重要になる。フロントロー以外のドライバーが勝つ可能性は非常に低い。
しかし、その予選は番狂わせ気味であった。ポールポジションを獲得したシューマッハの走りは、今年の彼の充実ぶりを示す素晴らしいラップで順当であったが、2, 4番手に、トゥルーリ、フレンツェンのジョーダン勢が躍進したのだ。
昨年から、比較的高速コースでの速さばかりが目立っていたジョーダンだが、このモナコでの速さは、チームの技術水準が相当上がってきたことの証明でもある。それだけに、マイク・ガスコインを失った今後はどうなるか?
一方、ハッキネンはクリアラップに恵まれず、5番手。クリアラップをとるタイミングを嗅ぎ分けるのもトップドライバーの能力の一つではあるのだが、アタックに出る度に黄旗に邪魔された今回のハッキネンは非常に不運であったと言える。
* * * 3度のフォーメーションラップ 〜 順当なスタート * * *
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