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2000 Round.15
U.S.
24th.Sep.2000

U.S.A.
Indianapolis
Indianapolis



1. U.S.GP コースレビュー & ヒストリー

* * * F-1 ヒストリー in U.S. * * *

 かつてアメリカでは年に3度もレースが開かれるなど、最もF-1が人気のある国と言っても良いほどであった。

 しかし、'80年代を迎える頃、バーニー・エクレストンの台頭によって、F-1開催権として莫大な金を要求されるようになると、各サーキットのオーナー達はこれを拒否し、より安価でオープンなインディやNASCARへと鞍替えしていってしまう。

 このため、アメリカGPは次第に、ダイナミックなF-1の魅力を伝えるにはあまりに辛いコースで開催されるようになっていった。
 '81, 82年に開催されたラスベガスなどは最悪であった。カジノの駐車場を利用して設置された特設サーキットと聞けば聞こえはいいが、非常に単調なレイアウトと、そこで繰り広げられる淡々としたレース展開はアメリカのモータスポーツファンの興味を奪っていった。
 その後に開催されたデトロイトやフェニックスも、高層ビルの下をひたすら90度ターンし続ける単調なレイアウトで、観客動員数も惨澹たるものであった。結局、'91年のフェニックスを最後に、U.S.GPは開催されていなかった。


* * * インディアナポリス・モータースピードウェイ * * *

Pakoda Bank

 「インディアナポリス」...それはアメリカンモータースポーツの聖地。F-1という、最高峰を名乗るレースを開催するには、まさに相応しい舞台だ。



Yard of Brick


 1911年に完成したという非常に歴史のあるこのコース。当時はコース一面が石畳となっていたことから、「ブリックヤード」という別名もある。
 オーバルの鋪装がコンクリートとなった今でも、コントロールラインには1ヤードだけこの石畳が残されており、「ヤード・オブ・ブリック」として名物になっている。



 一周2.5マイル(4.023km)のオーバルを持つ広大なこのサーキットは、1911年から始まった伝統の「インディ500」が行われ、40万人もの観客を飲み込むスタンドを持つ。
 ゴルフコース4ホールさえ収まったそのインフィールドに、ロードコースを設置してF-1を開催することが発表されたのは'98年12月のことであった。そこから急ピッチでコースが建設され、今回の開催に漕ぎ着けたわけである。

 このインフィールドコースは、ジョン・フーゲンホルツによってデザインされた。フーゲンホルツは鈴鹿やザントフールト、ハラマなどの名コースを手掛けたサーキットデザイナーで、チャレンジングで白熱したレース展開を生み出すコースをデザインすることで評価が高い。
 この新設インディアナポリスロードコースも、そのようなコースとなるのでは、と関係者の期待も高かった。


* * * インディ500とF-1 * * *

 さて、「F-1初開催」と言われているインディアナポリスであるが、実は既に11回もF-1グランプリが開かれていた。...そう、'50年〜'60年までの11年間、伝統のインディ500は、正式にF-1世界選手権の一つとして開催されていたのだ。「インディ500」である以上、当然オーバルコースでの開催だ。
 もっとも、これはあくまで形式上のことに過ぎない。「世界選手権」を冠する以上アメリカのレースも加えたかったこと、当時から既にビッグレースとして地位を築いていたことから、名前だけを借りていたようなものだ。その証拠に、他のF-1レースに参加しているレギュラードライバー達はほとんどインディには参加していない。まだこの時代、F-1とインディの交流は皆無に等しかった。

 しかし'63年、まだフロントにエンジンを搭載した大形のマシンが主流だったインディ500に、この年F-1のチャンピオンを獲得することになるジム・クラークとロータスが、小型のミドシップエンジンを搭載したマシンで打って出た。

 既にF-1でも華々しい活躍を見せていたクラークだったが、インディでは全くの新人。彼には「ルーキー・オーディション」が課せられた。
 だがそれは、普段は物静かだが人一倍勝負ごとにこだわるクラークの闘争心に火をつけることになった。凄まじい速さを見せつけてルーキー・オーディションをパスすると、決勝でも僅差の2位に入賞した。
 翌年にも参戦したクラーク&ロータスは今度はPPを獲得、そして'65年にはとうとう優勝を遂げる。そしてその頃にはインディを走るマシン群もロータス同様のミドシップレイアウトに姿を変えていた。

 この頃から少しずつF-1とインディは技術面でも、人材面でも、互いに影響を与える存在になっていったのだ。そして近年ではトップドライバーの行き来が頻繁に行われるまでになったわけである。


2.レース・レビュー

* * * フリー走行・予選 〜 老獪なタイムアタック作戦 * * *

 初めてのインディアナポリス新設コース。そのフリー走行、各チームは手探り状態からスタートすることになった。
 そんな中、初日の1-2を取ったのはマクラーレン。新コースのシミュレーションをきっかりと行ってきたチーム力を誇示する。
 しかし、土曜日になると逆にフェラーリが速さを見せつける。F-1を引っ張る両チームが一歩も譲らぬフリー走行であった。

 雨が降るか、降らないかという微妙なコンディションの中スタートした予選。
 積極的に先行してアタックしたのはハッキネンの方だ。だが、タイムで先行するのはシューマッハの方であった。ハッキネンは残り時間を多く残したままラストアタックに向かうが、シューマッハのタイムを抜くには至らず、最終的には3番グリッドに留まった。

 一方、予選ではフェラーリ陣営に不穏な動きが見られた。2台が接近してタイムアタックを行っていたのだ。
 彼らの狙いは、アクセル全開時間が連続23秒と言われるこのインディアナポリスの最終コーナーから1コーナーまでの間にチームメートのスリップストリームを利用してストレートスピードを伸ばすことにあった。なんともインディライクな戦術だ。また、その分、ウィングを立ててインフィールドでのスピードも上げようという老獪な作戦である。
 だが、バリッケロはこれをうまく利用しきることができず、4番手に留まる。

 これを見たマクラーレンも、まだタイムアタックチャンスを残していたクルサードに対し、アタックはできないものの2周を残していたハッキネンのスリップストリームを利用させる作戦に出た。
 これは大いに効き、クルサードは2ndセクターまでシューマッハを上回るタイムを示したが、最後は惜しくも2番手のラップタイムに留まった。

 これでシューマッハが今季6度目となるポールポジションを決めた。


* * * 前半戦 〜 フレキシブルな作戦を見せたシューマッハ * * *

 迎えた決勝。またしても天候は微妙なコンディション。雨は既に止み、ウェットから徐々にドライに転じつつある展開である。そんな中、ハーバートだけが半ばギャンブルでドライタイヤを選択していた。



Start


 さあ、スタートだ。
 オールレッドが点った瞬間、2ndグリッドのクルサードが僅かに動いた。次の瞬間、ブラックアウト。クルサードはそのままダッシュしてわずかに加速の遅れたシューマッハをかわしてトップで1コーナーに入った。



 しかし、これは痛恨のミスであった。明らかなフライングである。10秒のペナルティストップが課されるのは明白であった。
 そのため、ハッキネンには抜かれずに済んだシューマッハにとっては実質上トップであった。



Coul vs Schumi


 だが、無用のミスを犯したクルサードもこのまま終わるわけにはいかなかった。せめて、シューマッハの頭を抑えて、ハッキネンの支援を試みる。
 しかし7周目、あっけなくシューマッハはクルサードをパス。フェラーリのトップスピードが良く伸びたためとはいえ、全く役に立たないままペナルティストップに向かわざるを得なかった。




 一方この直前、5番手争いをしていたトゥルーリとバトンが接触して両者タイヤをパンクさせてピットイン。ベルギーに続いての接触は非常に残念である。トゥルーリはバトンに対して相当怒りを露にしていた。
 これに乗じてヴィルヌーブは5番手に上がってきた。


 この頃、各ピットの動きが慌ただしくなってくる。ドライタイヤへの交換である。バリッケロが交換したのを見て、ハッキネンもすぐにピットインした。

 ところが、すぐにピットインすると思われたシューマッハが入らない。彼は、バリッケロのタイムを見て、まだレインの方が有利であると判断したのだ。
 加えて、タイヤ交換したハッキネンの前には、依然レインタイヤで粘る4位マッツァカーネが立ちはだかった。ドライタイヤで、ラインを外して走ることのできないハッキネンはこれをなかなかパスすることができず、ますますシューマッハとの差が広がってしまったのだ。

 ハッキネンよりも8周も延ばし、15周目の終わりに満を持してドライに交換したシューマッハは10秒以上の差をつけてトップでコースに復帰した。


* * * 中盤戦 〜 ハッキネン、痛恨のリタイア * * *

 レースが中盤に入ると、スタートからドライタイヤを選択していたハーバートが元気だ。ディニスにプレッシャーをかけてコースアウトに追い込むと、6番手に上がり、さらにフェルスタッペンにもアタックをしかける。来年からCARTシリーズに移る予定であるハーバートはアメリカのファンに大いにアピールする。
 だが、この後フロントウィング交換を強いられるなど失速したハーバートは、結局11位完走に甘んじた。...引退まであと、2戦。



Mika Out


 一方、ドライコンディションに転じていくにつれ、ハッキネンは1周につき1秒近い凄まじいペースでシューマッハを追い上げ始めていた。
 ところが、差を4秒にまで縮めた25周目、メルセデスエンジンが音を上げた。左バンクから火と煙を上げてピットロードにマシンを止めたハッキネンは痛恨のリタイヤを喫す。



 これで、ミヒャエル、ラルフの兄弟1-2フォーメーションとなる。F-1史上初の兄弟1-2フィニッシュが期待されたが、ラルフはニューマチックバルブのトラブルに見舞われて後退、リタイヤとなった。


 このインディアナポリスで、元CARTチャンプ、ヴィルヌーブも気合いの走りを見せる。3番手に上がってさらに2位フレンツェンにもプレッシャーをかけるが、お世辞にも性能の良くないBARのシャシーで無理をしすぎたか、スピンを喫して後退してしまう。

 替わって、ドライタイヤへの交換が早すぎて後退していたバリッケロがいつの間にか3位に上昇してきた。さらに、一度目の交換で多くの燃料を積んでいた彼は、二度目のタイヤ交換タイミングでフレンツェンを逆転。ついにフェラーリ1-2フォーメーションを築いていく。


* * * 終盤戦 〜 熱い走りを見せたヴィルヌーブ * * *

 一旦は後退したヴィルヌーブだったが、じりじりと追い上げて、再び3位フレンツェンに接近していた。ホンダエンジン復帰後の初表彰台を賭けて、必死のバトルを試みる。



Jacques vs Heinz


 そして、65周目の最終コーナーのバンクで素晴らしい加速を見せたヴィルヌーブが遂に仕掛けた。しかし、オーバーラン。冷静に対処したフレンツェンが順位を守った。だが、オーバーテイクが非常に困難な現代F-1で果敢な攻めを見せたヴィルヌーブの走りは、アメリカのモータースポーツファンの喝采を浴びた。




 その頃、そんな後方の状況とは無縁でトップを快走していたシューマッハであったが、ダブルヘアピンの一つめで縁石に乗り過ぎてスピンしてしまう。無事コースに復帰したが、独走の気の弛みが出たか。



Podeum


 だが、無事にゴール。フェラーリは見事な2連続1-2フィニッシュで、ドライバーズ、コンストラクターズともに、圧倒的マージンを築いた。



 一方、3位争いはフレンツェンが守り抜いた。ヴィルヌーブは僅かな差で4位に甘んじた。ペナルティを喰らいながら必死に追い上げたクルサードは空しささえ漂う5位が精一杯。ゾンタは連続6位を得た。


3.NOBILES Eye

* * * 再び流れを引き寄せたシューマッハとフェラーリ * * *

 夏のハッキネン怒濤の快進撃の前にポイント逆転を許したシューマッハ。しかし、モンツァでの涙の勝利はこれほどまでに大きな意味を持っていたのか。速さとともに、冷静な判断も冴え渡り、ポイントを逆転したどころか、8ポイント差という大きなマージンを得て鈴鹿を迎えることになった。そう、鈴鹿で、ハッキネンに対して2ポイント以上の差をつけてゴールすれば、彼の3度目の...いや、フェラーリでの初タイトルが決定するのだ。

 一方、ハッキネンはまさに痛恨のトラブルでリタイヤとなった。確かに序盤2戦でトラブルでリタイヤしていたとはいえ、その後彼は全戦でポイントを獲得するという圧倒的な安定性を見せていたのだ。まさかここに来て再びトラブルが出てしまうとは!
 しかし、リタイヤするまでの凄まじいラップペースは救いではある。まだまだ、流れを引き戻すだけの力は残されている証明だからだ。

 再び天王山は鈴鹿で訪れることになった。10月8日。日本のファンの目の前で展開される素晴らしいバトルを期待することにしよう。




Result
1 M.Schumacher Ferrari 1h36'30"883
2 R.Barrichello Ferrari +00'12"118
3 H-H.Frentzen Jordan Mugen-Honda +00'17"368
4 J.Villeneuve BAR Honda +00'17"935
5 D.Coulthard McLaren Mercedes +00'28"813
6 R.Zonta BAR Honda +00'51"694
7 E.Irvine Jaguar +01'11"115
8 P.Diniz Sauber Petronas -1lap
9 N.Heidfeld Prost Peugeot -1lap
10 A.Wurz Benetton Playlife -1lap
11 J.Herbert Jaguar -1lap
12 M.Gene Minardi Fondmetal -1lap
- DNF -

J.Alesi Prost Peugeot -9laps (Engine)

G.Mazzacane Minardi Fondmetal -14laps (Accident)

R.Schumacher Williams BMW -15laps (Pneumatic Valve)

P.De La Rosa Arrows Supertec -28laps (Accident)

G.Fisichella Benetton Playlife -29laps (Engine)

J.Verstappen Arrows Supertec -39laps (Accident)

M.Hakkinen McLaren Mercedes -48laps (Engine)

M.Salo Sauber Petronas -55laps (Spin Out)

J.Button Williams BMW -59laps (Electric)

J.Trulli Jordan Mugen-Honda -61laps (Mechnical)

Fastest Lap : D.Coulthard (McLaren Mercedes) 01'14"711

Drivers
Chanpionship
Constructors
Chanpionship
1 M.Schumacher 88 1 Ferrari 143
2 M.Hakkinen 80 2 McLaren Mercedes 133
3 D.Coulthard 63 3 Williams BMW 34
4 R.Barrichello 55 4 Benetton Playlife 20
5 R.Schumacher 24 5 Jordan Mugen-Honda 17
6 G.Fisichella 18 6 BAR Honda 17
7 J.Villeneuve 14 7 Arrows Supertec 7
8 H-H. Frentzen 11 8 Sauber Petronas 6
9 J.Button 10 9 Jaguar 3
10 J.Trulli 6
11 M.Salo 6
12 J.Verstappen 5
13 E.Irvine 3
14 R.Zonta 3
15 A.Wurz 2
16 P.De La Rosa 2


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