一周2.5マイル(4.023km)のオーバルを持つ広大なこのサーキットは、1911年から始まった伝統の「インディ500」が行われ、40万人もの観客を飲み込むスタンドを持つ。
ゴルフコース4ホールさえ収まったそのインフィールドに、ロードコースを設置してF-1を開催することが発表されたのは'98年12月のことであった。そこから急ピッチでコースが建設され、今回の開催に漕ぎ着けたわけである。
このインフィールドコースは、ジョン・フーゲンホルツによってデザインされた。フーゲンホルツは鈴鹿やザントフールト、ハラマなどの名コースを手掛けたサーキットデザイナーで、チャレンジングで白熱したレース展開を生み出すコースをデザインすることで評価が高い。
この新設インディアナポリスロードコースも、そのようなコースとなるのでは、と関係者の期待も高かった。
* * * インディ500とF-1 * * *
さて、「F-1初開催」と言われているインディアナポリスであるが、実は既に11回もF-1グランプリが開かれていた。...そう、'50年〜'60年までの11年間、伝統のインディ500は、正式にF-1世界選手権の一つとして開催されていたのだ。「インディ500」である以上、当然オーバルコースでの開催だ。
もっとも、これはあくまで形式上のことに過ぎない。「世界選手権」を冠する以上アメリカのレースも加えたかったこと、当時から既にビッグレースとして地位を築いていたことから、名前だけを借りていたようなものだ。その証拠に、他のF-1レースに参加しているレギュラードライバー達はほとんどインディには参加していない。まだこの時代、F-1とインディの交流は皆無に等しかった。
しかし'63年、まだフロントにエンジンを搭載した大形のマシンが主流だったインディ500に、この年F-1のチャンピオンを獲得することになるジム・クラークとロータスが、小型のミドシップエンジンを搭載したマシンで打って出た。
既にF-1でも華々しい活躍を見せていたクラークだったが、インディでは全くの新人。彼には「ルーキー・オーディション」が課せられた。
だがそれは、普段は物静かだが人一倍勝負ごとにこだわるクラークの闘争心に火をつけることになった。凄まじい速さを見せつけてルーキー・オーディションをパスすると、決勝でも僅差の2位に入賞した。
翌年にも参戦したクラーク&ロータスは今度はPPを獲得、そして'65年にはとうとう優勝を遂げる。そしてその頃にはインディを走るマシン群もロータス同様のミドシップレイアウトに姿を変えていた。
この頃から少しずつF-1とインディは技術面でも、人材面でも、互いに影響を与える存在になっていったのだ。そして近年ではトップドライバーの行き来が頻繁に行われるまでになったわけである。
2.レース・レビュー
* * * フリー走行・予選 〜 老獪なタイムアタック作戦 * * *
初めてのインディアナポリス新設コース。そのフリー走行、各チームは手探り状態からスタートすることになった。
そんな中、初日の1-2を取ったのはマクラーレン。新コースのシミュレーションをきっかりと行ってきたチーム力を誇示する。
しかし、土曜日になると逆にフェラーリが速さを見せつける。F-1を引っ張る両チームが一歩も譲らぬフリー走行であった。
雨が降るか、降らないかという微妙なコンディションの中スタートした予選。
積極的に先行してアタックしたのはハッキネンの方だ。だが、タイムで先行するのはシューマッハの方であった。ハッキネンは残り時間を多く残したままラストアタックに向かうが、シューマッハのタイムを抜くには至らず、最終的には3番グリッドに留まった。
一方、予選ではフェラーリ陣営に不穏な動きが見られた。2台が接近してタイムアタックを行っていたのだ。
彼らの狙いは、アクセル全開時間が連続23秒と言われるこのインディアナポリスの最終コーナーから1コーナーまでの間にチームメートのスリップストリームを利用してストレートスピードを伸ばすことにあった。なんともインディライクな戦術だ。また、その分、ウィングを立ててインフィールドでのスピードも上げようという老獪な作戦である。
だが、バリッケロはこれをうまく利用しきることができず、4番手に留まる。
これを見たマクラーレンも、まだタイムアタックチャンスを残していたクルサードに対し、アタックはできないものの2周を残していたハッキネンのスリップストリームを利用させる作戦に出た。
これは大いに効き、クルサードは2ndセクターまでシューマッハを上回るタイムを示したが、最後は惜しくも2番手のラップタイムに留まった。
これでシューマッハが今季6度目となるポールポジションを決めた。
* * * 前半戦 〜 フレキシブルな作戦を見せたシューマッハ * * *
迎えた決勝。またしても天候は微妙なコンディション。雨は既に止み、ウェットから徐々にドライに転じつつある展開である。そんな中、ハーバートだけが半ばギャンブルでドライタイヤを選択していた。
|