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2000 Round.14
Italian
10th.Sep.2000

Italy
Monza
Monza



1.モンツァ コースレビュー

 モンツァ...情念の森。ここは他のサーキットとはまるで違った異常な雰囲気に包まれたサーキットだ。深い森に抱かれたこのサーキットは、赤い悪魔に魅入られた人々の坩堝(るつぼ)である。
 1950年、F-1に「世界選手権」が冠せられてから、1980年を除き、必ず毎年グランプリが行われてきた唯一のサーキットである。そして、'50年から参戦を続ける唯一のチームであり、F-1の歴史を築いてきた存在であるフェラーリの地元サーキットとして、その戦いぶりをずっと見守ってきた伝説的サーキットである。


 1922年に完成したモンツァは、現在のレイアウトとほぼ同様のロードコースと、オーバルコースがホームストレートで接している「ツインリング」となっていた。ホームストレートでレーンチェンジをすることで、1周10kmというロングコースとなっていたのである。
 だが安全性が問われ、やがてオーバルコースは閉鎖し、ロードコースが残った。それでも、タイトなコーナーが皆無の凄まじいスリップストリーム合戦が繰り広げられるハイスピードコースだった。5位までが0.61秒差でゴールになだれ込み、マーチのロニー・ペテルソンを0.01秒差抑えたBRMのピーター・ゲシンが優勝した'71年のレースは最小僅差レースとして有名である。

 以降は安全性の観点から、第一シケイン「グッドイヤー」、第二シケイン「ロッジア」、第三シケイン「アスカーリ」が設置され、かつてほどの高速バトルは見られなくなったが、それでも、「グランデ」、「レズモ」、そして最終コーナー「パラボリカ」といったF-1ならではの高速コーナーの迫力は失われたわけではない。依然として、各マシンには、非常に薄いウィングを始めとした超高速セッティングが施される。

 なお、今年はこの「グッドイヤー」と「ロッジア」に改修が加えられた。どちらも、これまでよりもタイトなレイアウトに変化した。


2.イタリアGPヒストリー 〜 '78年モンツァ

* * * モンツァ最多勝、ペテルソン * * *

 この高速コースで最多となる3勝を挙げているのは、ファンジオ、モス、プロストといったグレートドライバー達だ。
 ...そしてもうひとり。豪快にマシンを振り回すドライビングスタイルで多くのファンを魅了したスウェディッシュ、ロニー・ペテルソンである。

 マーチからデビューしたペテルソンは、ロータスに移籍して一挙にその才能を開花させ、このモンツァでも輝かしい勝利を挙げた。だが、徐々に低下しつつあったロータスの戦闘力に愛想を尽かし、'76年にチームを出たペテルソンはマーチに戻り、翌年はティレルの六輪車P34に乗った。
 しかし、それでも成績が上がらなかったペテルソンは、マリオ・アンドレッティのナンバー2扱いを承知で、ベンチュリーカーで息を吹き返したロータスに戻る決意を固めた。

 その'78年。
 真の意味での初のベンチュリーカーと言えるロータス79を完成させたチームは、最強の力を発揮した。ペテルソンはチームリーダー、アンドレッティを越える速さを見せながらも、彼のナンバー2としてサポート役を忠実に遂行した。
 「今年耐えて完璧に仕事を果たせば来年、自由に戦える契約を勝ち取れるはずだ」...彼を支え続けたのはそういう思いだ。

 チャンピオン争いがロータスの二人に絞られた第14戦のモンツァ。
 既にチームのタイトルを決めていたロータスはここで見慣れたアンドレッティ-ペテルソンの1-2でアンドレッティのドライバーズタイトルも決定するという青写真を描いていただろう。
 だがそれは予選から早くも崩れた。クラッシュしたペテルソンは79のマシンを失い、決勝は旧型の78で臨まざるを得なくなったのだ。だがそれは、悲劇の序曲に過ぎなかった。


* * * 死のグリーンシグナル * * *

 迎えた決勝。ポールのアンドレッティがグリッドについてスタートを待つ。ペテルソンも5番グリッドにつく。
 しかし、ここでオフィシャルが重大なミスを犯す。まだ後方のマシンがグリッドについていないにも関わらず、グリーンシグナルを点灯させてしまったのだ。

 アンドレッティらグリッド上位は無事に1コーナーを抜けていく。
 しかし、スタートを失敗したペテルソンは、スピードに乗ったまま加速した後方のマシンによって大混乱となった中団グループに瞬く間に飲み込まれた。
 そして1コーナー。アロウズのリカルド・パトレーゼとマクラーレンのジェームス・ハントが接触し、弾かれたハントはペテルソンにヒットした。ガードレールに激突したペテルソンのマシンに、今度はビットリオ・ブランビッラ駆るサーティースが突っ込んでしまった。

 ペテルソンのロータス78が、火を吹いた。
 ハントと、クレイ・レガッツォーニ、パトリック・ドゥパイエらがペテルソンを救出するべく、炎に飛び込んでいく。コースマーシャル達が駆け付け、消火剤をまいた。ハントらはペテルソンを炎から引きずり出すことに成功した。


 ペテルソンとブランビッラは病院に運ばれて治療を受けることになった。サーキットに届いた一報は「ペテルソンは両足骨折で命に別状はない」というものだった。
 しかし、サーキットでは混乱が続いた。再スタートのためのウォームアップ走行中に、ウルフのジョディ・シェクターがクラッシュしてガードレールを壊し、再スタートをするかどうか、ドライバー達とオフィシャルの間で一悶着あったからだ。

 ようやく午後6時に再スタートを迎える。しかし、アンドレッティとヴィルヌーブがフライングを犯した。そのため、彼らには1分のペナルティが課せられたが、レースの最後まで、オフィシャルからその事実を知らされることはなかった。
 結局この混乱続きのレースはブラバムのニキ・ラウダが優勝した。しかし、この混乱のレースに優勝した喜びはなく、彼は表彰も受けぬままサーキットを去った。混乱のモンツァのレースが終わった。

 しかしその翌朝、事態は急変する。ペテルソンの両足骨折の手術中、ミスで骨髄が血管に入り、彼が死亡してしまったのだ。
 ロニー・ペテルソン、享年34歳。華麗な走りでチャンピオンを目指したヒーローは、それを果たすことなく、実に残念な形で命を落とした。
 もしもペテルソンのマシンがより強固なモノコックを持ったロータス79だったのなら...。もしも正常にスタートがきられていたのなら...。もしも医療事故が起こらなかったのなら...。しかし、そんなことをいくら言ってもペテルソンは決して戻ってはこない。


 なお、「モンツァ・ゴリラ」と呼ばれたブランビッラの方は、頭に強いダメージを受けながら、根気強いリハビリを続け、一年後にレースに復帰した。


* * * 全ての責任をかぶせられた若武者 * * *

 スタート直後の多重クラッシュを招いたのは、紛れもなくオフィシャルのミスである。
 しかし、当時この事故は一番最初にハントと接触したパトレーゼに責任があったとされた。なぜなら、彼は非常にアグレッシブで、時にはルールを逸脱するドライバーと見られていたからだ。同業であるドライバー達にまで集中的に批判されたパトレーゼは1戦の出場停止を受けた上、「危険なドライバー」のレッテルを貼られてしまったのである。

 しかし、彼は辛抱強くそれを耐えぬき、F-1で走り続けた。そして長い時間かけてそのレッテルを返上し、史上最多出走記録を打ち立てたのである。


3.レース・レビュー

* * * 予選・序盤戦 〜 マーシャルの命を奪った大クラッシュ * * *

 これまでメルセデスに対し、常にエンジンパワーでは遅れをとってきたフェラーリ。しかし、この地元GPでは新しいスペックのエンジンを投入し、最初のセッションから完全に主導権を握り、最終的には予選1-2を達成した。
 同じように、参戦200戦目を迎えたホンダもニュースペックを投入し、ジャックが4強を崩し、4番グリッドを獲得してみせた。

 対照的に、マクラーレン勢は3, 5位に留まった。ここのところ見せている驚異的な決勝での速さは、ここでは見られるのか?



Start


 さあ、スタートだ。
 今年何度となく素晴らしいスタートダッシュを見せてきたハッキネンが再び好ダッシュ。加速の鈍い2番グリッドのバリッケロをパスし、ポールのシューマッハにも牽制をかける。だが、絶妙のラインでそれを抑えたシューマッハがトップで1コーナーをクリア。スタートが得意なヴィルヌーブは1コーナーの位置どり争いに失敗し、ジョーダン勢にも後れをとった。



 だが後方では早くも混乱が起きていた。コーナー手前でイン側のサロとツバ競り合いの末接触したアーバインが、今度は外側のディニーズにも接触。、コーナーにまっすぐ突っ込み、ブロックに接触し、リタイヤしてしまった。サロとディニーズもマシンにダメージを負った。

 しかし、混乱はここでは終わらなかった。第二シケインとなる「ロッジア」に団子状態で突入したトップ集団の中で、バリッケロのインをうかがったフレンツェンは、早めのブレーキングをしたフェラーリに突っ込んでしまう。スピン状態に入った彼はチームメートのトゥルーリやクルサードをも巻き込んでコースアウト。

Crush

 この多重クラッシュでロッジアは砂塵が巻き起こり、後方集団を混乱に陥れた。状況を把握できぬままロッジアに進入したデ・ラ・ロサのアロウズがハーバートのジャガーのリヤタイヤに乗り上げて横を向きながらコースアウトした。
 縁石にリヤタイヤを引っ掛ける形になったロサのマシンにはもんどり打つかのような凄まじい回転が加わった。そしてそのままエスケープゾーンに止まっていたクルサードのマシンにヒット!ロサのマシンは宙に舞い上がり、そのままさらに先に止まっていたバリッケロのマシンのリヤ部分にひっかかるように逆さまに落ちた。


 だが、奇跡的なことに、この大きなクラッシュでも、ドライバー達には怪我がなかった。しかし、飛び散ったホイールに頭部を直撃された消火マーシャルが、必死の治療も空しく、レース後に死亡してしまったのだ。


* * * 中盤戦 〜 逃げるシューマッハ * * *

 この多重クラッシュによるマシンの回収と、破片の撤去、そして怪我をしたマーシャルの手当てのために、9周の長きにわたってセーフティカー先導のラップが続いた。

 10周目の終わりにセーフティカーが消灯し、次の周からレースが再開することになった。最終コーナー、パラボリカへと向うバックストレート、各車のスピードが上がってくる。
 ...だが、ポールポジションに位置するシューマッハがブレーキの温度を上げるために強くブレーキを踏んでスピードを落とした。そのため、その後方の上位陣はつまる格好となり、6位にいたバトンは行き場を失ってアウト側のガードレールに接触。結局彼はパラボリカでマシンを止めた。
 あのタイミングでの急減速は確かに多少迂闊な点もあったかもしれないが、これもローリングスタートの駆け引きの一つである。バトンは再び若さを露呈してしまったか。


 さて、スタートで順位を下げたヴィルヌーブであったが、逆にそれが功を奏し、接触を避けて3位に浮上していた。
 ところがレース再開後、彼をトラブルが襲う。奇しくも、クラッシュのあったロッジアで駆動力を失った。わずかな白煙から想像するに、トランスミッションのトラブルか。ホンダ200戦目を祝う表彰台のチャンスはあっけなく逃げていった。

 一方、レース再開後に素晴らしい走りを見せたのが、フェルスタッペンとゾンタだ。ともに、素晴らしい最高速を武器に、次々にオーバーテイクシーンを披露していく。



Zonta vs Verstappen


 特に、多重クラッシュでフロントタイヤのパンクに見舞われて一度ピットに入ったゾンタだが、当初から2ストップ作戦を採っており、軽いマシンで凄まじいハイペースで追い上げていた。フィジケラやラルフを抜き、3位に上がっていたフェルスタッペンと、ハイスピードのバトルを繰り広げた末、これをパスしてみせた。



 だが、その直後にゾンタは1度目のピットに入る。その後も2ストップによるハンディを取り戻す程のペースで走ることはできず、再び表彰台圏内に復帰することはなかった。


 さて、トップ争いはシューマッハがファステストラップを連発してジリジリとハッキネンとの差を開いていた。ハッキネンは高速コーナーでのアンダーステアに悩まされ、なかなかペースを上げることができなかったのだ。

 10秒のマージンを築いたシューマッハは満を持してピットイン。いつも通り燃料を多めに積んでいたハッキネンはシューマッハより3周ピットインを遅らせ、逆転を狙ったが、ピットアウト後のシューマッハのペースも思いのほか速く、差を詰めることすら叶わなかった。
 残り周回数は11周しかなかった。


* * * 終盤戦 〜 逃げ切ったシューマッハ久々の美酒 * * *

 ハッキネンのピットインした次の周回で、今度は3位ラルフと、4位地元のフィジケラがピットイン。
 ラルフは順調に作業を済ませた。ところが、フィジケラはクラッチのトラブルからエンジンストールしてしまった。1分半もピットに留まることになってしまったが、諦めることなく、ピットクルーの必死の押しがけでレースに復帰した。それほど、地元グランプリへの思い入れがあったのだろう。

 一方、ピットイン後、ハッキネンのペースがグッと上がった。タイヤ交換時に空気圧などの調整を行うことで、アンダーステアを軽減させたためだ。猛烈なファステストラップを刻みつつ、シューマッハとの差がジリジリと詰まっていく。
 だが、シューマッハもマシンに鞭打ち、必死のラップを叩き出して逃げる...!

 最後は僅かに3.8秒の差でシューマッハがトップでゴール。ハッキネンは2戦連続の逆転劇はならなかった。
 一方3位は着実に走ったラルフが2戦連続の表彰台を獲得し、目を見張る最高速を誇ったフェルスタッペンが4位、ブルツが久々の入賞で5位。序盤素晴らしい速さを見せたゾンタは結局6位だった。


3.NOBILES Eye

* * * 帝王シューマッハが流した涙 * * *

 カナダ以来の3ヶ月ぶりの勝利を得たシューマッハ。そしてその勝利数は、彼がF-1を目指すきっかけとなったヒーロー、アイルトン・セナと並ぶ41となった。



Schumacher


 レース後の記者会見で、その気持ちをを記者から尋ねられたシューマッハは、感情の昂りを抑えることができずに、言葉を詰まらせて嗚咽を漏らした。...意志の強いプロ意識に溢れたあのシューマッハが、公式の場で涙を流したのだ!
 それほど、彼の中でセナの存在は大きなものだったということなのだろうか。



 ようやく互角に一騎討ちができる環境が整った直後に、セナは逝ってしまった。シューマッハにとって、彼と戦うことができるのは「記録」しかなくなってしまったと言える。
 そのセナの記録に並んだという感動と、それにも増して、記録が並んだところで、セナはこの世にはいないという悲しい現実が、彼に涙を流させた。そう筆者は思う。


 「たまたまセナの質問のところで泣き始めただけで、ここのところの不調や、彼のドライビングに対する批判など、辛いことがあったからなのでは?」という見方もある。
 だが筆者はそれに真っ向から反対したい。なぜなら、このモンツァで勝ったところで、ハッキネンとの激しいチャンピオン争いが終わったわけでもなければ、彼のドライビングの批判が収まるわけでもないからだ。
 彼ほどのプロが、まだ解決しなければならない問題を前にして、それから逃げるように公の場で泣き崩れるなど、「あり得ない」と筆者は断言する。

 たしかに、それらの出来事が彼の感情をさらに昂らせた可能性は否定できまい。だがあの彼の涙は、セナに対する深い敬愛が流したものだと筆者は確信している。


* * * 再び起きてしまった死亡事故 * * *

 今回、'94年のセナ以来の死亡事故が発生してしまった。
 事故の当事者のひとりであるバリッケロは、彼に追突して当事故の引き金となったフレンツェンを猛烈に非難し、「10レースの出場停止にすべきだ」と主張している。

 しかしあのオープニングラップのロッジアは狭いスペースに多くのマシンが殺到する状態であった。ひとりのドライバーの責任ではなく不運なレーシングアクシデントであったと言うべきだろう。
 危険なクラッシュに遭遇しながら、無事に帰還したデ・ラ・ロサが言うように、300km/hを越えるハイスピードでレースを繰り広げるF-1では、残念ながら起こりうる事故...モータースポーツの悲しい宿命なのである。
 だが、だからといって今回の事故を無駄にしてはならない。今後も主催者らにはレースの魅力を損なわないまま、怪我人や死者をださないように改善していく義務がある。


 なお、イタリアの特殊な法律により、この事故は刑事事件として捜査されることになった。また、来年以降のイタリアGPの開催を危ぶむ声さえ聞かれることになってしまった。

 一方、FIAはドライバーの責任に関して、「事故は誰の責任でもなかった」との公式コメントを発表しており、フレンツェンは22年前のパトレーゼの二の舞とはならずに済みそうである。


 最後に、モータースポーツを愛し、最後までその役目を全うした消火スタッフの Paolo Gislimberti氏の冥福を祈りたい。




Result
1 M.Schumacher Ferrari 1h27'31"638
2 M.Hakkinen McLaren Mercedes +00'03"810
3 R.Schumacher Williams BMW +00'52"432
4 J.Verstappen Arrows Supertec +00'59"938
5 A.Wurz Benetton Playlife +01'07"426
6 R.Zonta BAR Honda +01'09"293
7 M.Salo Sauber Petronas -1lap
8 P.Diniz Sauber Petronas -1lap
9 M.Gene Minardi Fondmetal -1lap
10 G.Mazzacane Minardi Fondmetal -1lap
11 G.Fisichella Benetton Playlife -1lap
12 J.Alesi Prost Peugeot -2laps
- DNF -

N.Heidfeld Prost Peugeot -38laps (Spin Out)

J.Villeneuve BAR Honda -39laps (Transmission)

J.Button Williams BMW -43laps (Accident)

J.Herbert Jaguar -52laps (Accident)

R.Barrichello Ferrari -53laps (Accident)

D.Coulthard McLaren Mercedes -53laps (Accident)

J.Trulli Jordan Mugen-Honda -53laps (Accident)

H-H.Frentzen Jordan Mugen-Honda -53laps (Accident)

P.De La Rosa Arrows Supertec -53laps (Accident)

E.Irvine Jaguar -53laps (Accident)

Fastest Lap : M.Hakkinen (McLaren Mercedes) 01'25"595

Drivers
Chanpionship
Constructors
Chanpionship
1 M.Hakkinen 80 1 McLaren Mercedes 131
2 M.Schumacher 78 2 Ferrari 127
3 D.Coulthard 61 3 Williams BMW 34
4 R.Barrichello 49 4 Benetton Playlife 20
5 R.Schumacher 24 5 Jordan Mugen-Honda 13
6 G.Fisichella 18 6 BAR Honda 13
7 J.Villeneuve 11 7 Arrows Supertec 7
8 J.Button 10 8 Sauber Petronas 6
9 H-H. Frentzen 7 9 Jaguar 3
10 J.Trulli 6
11 M.Salo 6
12 J.Verstappen 5
13 E.Irvine 3
14 A.Wurz 2
15 P.De La Rosa 2

R.Zonta 2


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