Vol.6: Why has the regulation be changed?
(written on 21th.Dec.1997)
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 今回は、23さんという方からの「素朴なギモン」に応えてみたいと思います。

「素朴なギモンなんですけど...
 なんで毎年毎年レギュレーションって変更になるんですか?」

 ということで、レギュレーション変更についての質問なわけですね。

 たしかに、ほとんどルールの変えようのない野球だとかサッカーに比べ、毎年のようにコロコロとレギュレーションの変わるF-1は奇異に見えますよね。

 なぜそんなにルールを変えていかなければならないのか。主にテクニカル面に関して考えてみることにしましょう。

 第一に、やはりそれは、F-1が機械を伴うスポーツだからですよね。そしてまた、選手たるドライバーが非常に死に近いところで戦うからでもあります。
 野球だとかサッカーだとかのスポーツ、まして陸上競技などは結局のところは人間の体力がモノを言う世界であり、いくら高度なトレーニングを積んだところで、ドーピングでもしないかぎり、1年やそこらで劇的に力が変わるものではありません。
 ところがF-1ではドライバーの力よりも(特に近年は)機械であるマシンの戦闘力がものをいうわけです。人間の体と違って、機械はあらゆる面で開発の余地を残しています。ですから、わずか1年でも大予算で開発すれば劇的にマシンの力が変わってしまうのです。

 その最たる例が'97, '98年に見られたブリヂストンvsグッドイヤーの「タイヤウォーズ」ですね。

 '96年から'97年にかけてのレギュレーションの変化はリアの空力など、あまり大きなものではありませんでした。普通例年ではそのような時には前年に比べてラップタイムが2〜3%程度短縮されるのが普通でした。
 ところが'97年はブリヂストンの参入によって非常に激しいタイヤ戦争が勃発し、タイヤの性能が劇的に上がりました。そのため、アルゼンチンGPなどでは7%ものアップ率を記録したのです。
 このように、一旦厳しいレギュレーションを作ってしまっても、F-1マシンの開発は放っておけばどこまでも速いものを作ってきてしまうわけです。

「でも、速さを追求するのがF-1なんでしょう?
 なら、速くなっていくことのどこが悪いわけ?
 マシンもドライバーも世界最高峰っていうのがF-1なんじゃないの?」

 確かにその通りですよね。しかし、性能が良くなって速くなるということは同時に、事故が起きた時のその大きさも飛躍的に大きくなってしまうのです。物体のエネルギーというのは速さの2乗に比例するからなんですね(これ、免許とった方ならば聞いたことあると思いますよ)。だから、速くなることはかなりの安全性を切り捨てていることに等しいわけなのです。ですから、モノコックのサイズをでかくするのも、性能を下げるような方向で設定されていくのも、この安全性のためなんですね。
 現に、レギュレーションの大幅な変更は性能が向上しすぎて、死亡を含め危険な事故が多発した後に施行されている場合が多いのです。'94年のセナ、ラッツェンバーガーの事故の後、'95年にステップドボトム規制が施行されたのが最たる例であり、'82年のジル・ヴィルヌーブの事故後のフラットボトム規制然りです(前々々回参照)。

 もう一つには各チーム間の力を均衡させる意味あいもあるようですね。
 あるチームだけが突出した力を持っていてはそのチームだけが連戦連勝を重ねるだけで、レースとしては単調なものになってしまいます。そこで、そのチームが優れている技術を禁止してしまおうというわけです。

 この一番の例がターボエンジンです。

 '85年の後半あたりから力を発揮したホンダターボエンジンは素晴らしい性能によって他チームを圧倒し、'86年は9勝、'87年11勝、そして'88年にはなんと15勝と、無敵の強さを誇ったのです。
 ターボエンジンが禁止されたのは、一応建前上は先ほど述べたような「性能を下げて危険性をなくすため」だとされました。たしかにそれも一理あるのですが、実のところはホンダバッシングが一番の理由ではないかと言われているのです。ターボエンジンには自然吸気エンジンよりもまだまだ開発の余地が残されており、可能性のある技術でもあるし、厳しい燃費規制が施されていたため、高燃費エンジンの開発技術も試されるという点で非常に意義のあるものであると思われていました。にも拘らず禁止されるのはやはりホンダに対するバッシングではないかという意見もあるわけです。
 それに、「性能を下げて云々...」とは言え、ターボが禁止された翌年の自然吸気エンジンは最後の年のターボエンジンを凌ぐ性能を持っていたことも記しておくべきでしょうか。
 とはいえ、ターボの開発には非常に開発費がかかったのも事実であり、持つ者と持たざる者の格差を広げてしまったのも事実でしょう。しかし、自然吸気になったところでそれが変わっていないのは皮肉ですね。

 また、'93年を最後に禁止になったアクティブサスペンション、アンチロックブレーキ、トラクションコントロールなどの電子制御デバイスも、開発費がかかり、チーム間格差が広げるものだったため、という意味が強かったと言えるでしょう。
 ただ、同時にこれらの装置(アクティブサス以外)は「これまでドライバーが行っていた操作をコンピューターが肩代わりする」ことから、「最高峰のレースたるF-1のドライバーの華麗なテクニックの争い」という要素を削ぐものだったからという意味あいがありました。あまりにも電子技術が発達しすぎたためにこうしたレギュレーションも必要になってしまったのですね。

 あとは、レースのスペクタクル性を増すためにレギュレーションが書き換えられる場合もあるようです。

 例えば'94年施行の途中燃料給油。

 前回取り上げたように最近のF-1マシンは、あまりにも空力に依存しすぎたために、コース上での追い越しが非常に難しいものになってしまいました。そのため、もっとチームの作戦によって大きく順位の変動が起こるように途中燃料給油を許可したということなのです。
 途中燃料給油には当然危険が伴うわけで、実際、何度かそれが原因による火災が発生しています。それでも未だに禁止されていないのは、やはり追い越しできない「F-1マシン」という背景が変わっていないからでしょう。
 また、'94年に大きな事故が多発したのは、途中燃料給油が許されたことで、ある程度燃費を無視した高出力エンジンが開発され、それによって急激にマシンの性能が上がってしまったからだとも言われています。
 そういった点で、途中燃料給油は最初の方で述べた「安全性のために..」というレギュレーション変更の目的とは完全に矛盾してはいますね。

 実際僕自身は、溝付きタイヤや全幅縮小よりもまず途中燃料給油を廃止すべきではなかろうかと思います。そしてもっとサーキット側を改良して追い越しも増やすべきではないかと。

 話が逸れましたが、スペクタクル性を増すという意味あいでは、'93年導入のセーフティーカーもこれにあたるでしょう。どんなに1位と2位の差が開いていても一挙に縮まってしまいますから、その後のレース展開も大いに盛り上がりますし、レースが止まっている間も観客はマシンが走っているところを見られるわけですからね。これはアメリカのインディから取り入れたものですね。

Summaries of this issue

  1. レギュレーションの変更は大抵の場合は性能が低下する方向で行われることが多く、それは敢えてそうすることで事故が起きてしまった時の規模を小さくするためである。

  2. また、あるチームが突出してアドバンテージを持った技術を禁止することで各チーム間の格差を無くそうという意図も見える。また、開発に非常にコストのかかる技術を禁止して、下位チームの負担を減らそうという名目もあるようだが、どうもそれはうまく働いていなそうだ。

  3. あまりに高度化し、ドライバーの領域さえ侵し始めた電子デバイスに関する規制も最近多い。「ドライバーのテクニック」と「技術の進化」の天秤具合が難しい。

  4. 追い越しの少なくなったレースを盛り上げるために導入されるレギュレーションもある。


 こんなところでしょうか?

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