Vol.30 : "PAST MASTERS" vol.1
Vol.30
: High Lights of Past "U-N-C-H-I-K-U"
(written on 11.Oct.1998)
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Chapter0 : What's "U-N-C-H-I-K-U"!?

 "U-N-C-H-I-K-U"は今回からついたサブタイトルの通り、F-1のエアロダイナミクス、つまり空力の歴史を中心に話を進めてきました。

 具体的には、1968年にF-1マシンに初めてウィングが搭載されてからのF-1マシンテクノロジーの進化を中心にして、その中のキーマシンを詳しく紹介したり、その時代のF-1グランプリのエピソードなどを紹介してきました。

 第一回から順に読んでいけば、F-1グランプリが時代とともにどのように変化していったか、きっとおわかりになれると思います。

Chapter1 : Invention of Wing (vol.1 - vol.2)

葉巻き型ボディの
マクラーレンM9
 1960年代半ばまでのF-1マシンは葉巻き型のシンプルな形状をしていました。
 風洞実験室も一般的ではなく(もっと詳しく言うと、ムービングベルトつきの風洞が少なかった。)、なんとなく空気抵抗の少なそうな形状に設計されていたわけです。

 ところで、グランプリレースとは、直線とコーナーの入り乱れたサーキットでの速さを競うものです。

 直線はただ単純にエンジンのパワーを増していけば速くなっていきます。

 しかし、コーナーはそうはいきません。速度の2乗に比例した遠心力によってマシンには横方向の力がかかります。すると、ある一定以上の速度になると、タイヤのグリップが耐えられなくなって、マシンは横に吹っ飛ぶことになってしまいます。

 ...となると、より速くコーナーを走るためには、その遠心力よりも強い力でマシンを押さえ付ける必要があります。

 一番単純な方法としては、マシンを重くすることです。一般に、社長さんや政治家さん達が乗るような高級車は、重い車体にパワーのあるエンジンを積んで、どっしりと安定した走りを実現させています。

 しかし、敏捷性が命のレーシングマシンでは、重くなることは命取りです。それに重くなっては、直線のスピードも落ちてしまいます。

 そこでマシンの重量をそのままに、タイヤにかかる力だけを大きくする方法が考え出されました。それが、これまで抵抗に感じる対象に過ぎなかった空気の流れを利用する方法...つまり、「翼」〜ウィングだったのです。

ウィングの周りの空気の流れ
 ウィングは横から見ると、その上下で空気の流れる部分の距離が違います。
 よって片方を通る空気はもう一方よりも早く流れることになり、ここにウィングの上下で空気の圧力の差が発生し、空気の流れが速い、つまり圧力の低い方に向かってウィングを寄せていく力が発生します。
 つまり、上に凸のウィングなら上に向かう力、揚力が発生し、下に凸ならば逆揚力、ダウンフォースが発生するというわけです。

ウィングを取り付けた
フェラーリ312

 F-1で最初にこれに目をつけ、取り付けてきたのが'68年ベルギーGPのフェラーリ312でした。

 これが事実上、「F-1で初めてダウンフォースを意識したマシン」となったのです。


ハイマウントウィングを
装備したマシン達

 その後瞬く間にウィングは他チームにも浸透し、より高く、より多くの翼を装備するようになり、グランプリは、物干竿のようなウィングが濫立する異様な光景になっていきました。

 しかし間もなく、ウィングの剛性不足による事故が目立つようになり、やがてウィングのサイズに関して様々な規制が施されるに至ったのです。

Chapter2 : Get Downforce by Whole of Body ! (vol.3 - vol.4)

 ウィングのサイズが規定されると、チーム間でのダウンフォースの格差がまたなくなってしまいました。しかし、各チームのデザイナーは、また敵を出し抜こうと様々なアイディアを練ってきます。
 ところで、ウィングは、あくまで従来の葉巻き型のボディに後付けした、ダウンフォースを得るための付加物に過ぎません。

 「...ならば、もとからボディ全体をダウンフォースを得るための形状にしたらどうだろう」という発想にデザイナー達が至るのには、そう多くの時間を要しませんでした。


ロータス72
 天才コーリン・チャップマンが'70年に登場させたロータス72は、まさにその思想を具現化したマシンでした。
 それまでフロントにあったラジエターをサイドに配し、フロントノーズは幅広く、平たくし、横から見るとマシン全体がくさび状になるよう整形されていたのです。
 つまり、マシン全体を斜面のように整形し、猛スピードで走れば、斜面によって空気は上に跳ね上げられます。そうすると、反作用としてマシンには下向きの力、つまりダウンフォースが得られるということになります。
 この「ウェッジシェイプ」と呼ばれた形状も、ウィングほどではありませんが広く他チームに広まり、F-1創成期から続いた葉巻き型ボディから、現在へ続くF-1マシンフォルムの大きな転換点になったのでした。
 逆に言えば、最もバラエティーに富んだボディフォルムが溢れていたのが、この70年代だということもできますね。
Chapter3 : Ventury Magic (vol.5 - vol.13)
 マシン全体でダウンフォースを得ようというウェッジシェイプの思想は十分進んだものでしたが、デザイナー達はそこに留まる事を善しとしませんでした。
 ウェッジシェイプは、確かに得られるダウンフォースは強大なものになりましたが、しかし、抵抗も非常に大きかったのです。ライバル達を出し抜くには、さらに一歩踏み出したダウンフォース獲得手段が必要だったわけです。
 そして革命は起こりました。再びロータスの天才、コーリン・チャップマンの手によって。

ロータス78の断面図
 その'77年に登場した革命児ロータス78はマシンの底全体が逆翼状に整形されていました。

ベンチュリー効果の原理

 これは「ベンチュリー効果」と言って、真ん中が狭まっている通路に勢い良く空気を流すと、その狭まった部分で空気の流速が早まって負圧が発生し、通路の両側を引き寄せる力が発生する力学的効果を狙ったものでした。

 つまり、78は勢い良く流れる空気の通路の片側をマシンの底、もう片側を地面と見立て、マシンと地面を引き寄せる力が発生するようにしたわけです。

 ベンチュリーはウィングと比べて、はるかに抵抗も少なく、また車体全体で発生するダウンフォースも強大なものでした。つまり、ベンチュリーカーは、「ウィングの限界を超えたマシン」という言い方ができるかと思います。
 ま、ですから構造的、起源的に見ても、ベンチュリーカーはあくまで「ベンチュリーカー」であって、一般的に言われている「ウィングカー」という言い方は正しくありません!ずぇったいっ!!(ワタシの強烈なこだわりですぅ (-_-ゞ)
 78のさらにすごいところは、ベンチュリー構造を導入するために、またその強大なダウンフォースに耐えられるように、モノコックからギヤボックスなど、マシンの至る部分に革新的な機構を持ち込まれた事です。それはウィングなどと違い、他チームが見てすぐに導入できるほど生半可なものではなかったのです。

ブラバムBT46Bのファン
 78がグランプりで力を発揮しはじめた頃、従来のマシンの後端にファンをつけて強制的に負圧をつくってダウンフォースを発生させたブラバムBT46Bなるマシンもありましたが、これは一戦のみ圧勝を飾った後、禁止されました(一説には、ロータスがファンつきのベンチュリーカーのイラストをちらつかせたからだ、という話もあります)。

ロータス79

 そして78の改良版であるロータス79はいきなりベンチュリーカーの決定版ともいえる秀逸なマシンとなりました。

 然るべくして、'78年シーズンはロータスが圧倒的な強さで制しました。そのインパクトは、以降の各チームのマシンがロータスに瓜二つになっていった事からも伺い知れます。当時、エンジンパワー重視の時代に傾きかけていたマシン開発の流れを、またシャシー先行に引き戻す、まさに「革命」でした。

 逆を言えば、現在の「どのマシンも全部同じに見える状態」は、この79の功罪だとも言えるわけですね。それほど、偉大なマシンだと言えるでしょう。
Chapter4 : Second Genelation Tripped Up (vol.14 - vol.19)

 文字どおり革命だったベンチュリーカーの登場。F-1界は'78年を境に大ベンチュリー・ウォーズに突入したと言えるでしょう。その中で、多くのチームの野望がうずめきあう事になります。

 政権についたロータスは、よりライバル達との差を広げるべく、ベンチュリーカーをさらにワンレベル高い次元に押し上げようとして、また、幾つかのチームも、いきなりロータスを追い越すために、ロータス79よりも、より踏み込んだコンセプトのマシンを投入してきます。


「第二世代」ロータス80
 彼らのコンセプトは「ウィングレス」でした。すなわち、ベンチュリーのみで必要なダウンフォースを全て稼ぎ、抵抗になるウィングを排してしまおう、というわけです。
 ロータス80、ブラバム48、アロウズA2などがこれにあたり、どのマシンも大柄で、大きなベンチュリー空間を確保しており、ウィングを付けない姿で登場しました。

 しかし、これら「第二世代」と呼べるベンチュリーカー達は、ベンチュリーカーの限界の大きな大きな壁にぶつかる事になったのです。

 一つに、ベンチュリーカーは、その効果が非常にマシンの姿勢に左右されるということがありました、つまり、マシンの姿勢によってダウンフォースが増えたり減ったりして、一旦マシンが不安定になると、その繰り返しをして、細かい縦揺れ(ピッチング)が止まらないという「ポーパシング」という症状が発生したのです。

 第一世代でもポーパシングは発生していました。しかし、第一世代は、ウィングでもダウンフォースを得ていたので、その影響を小さくする事ができました。
 しかし、ウィングを排し、またそれをカバーするだけの巨大なダウンフォースをベンチュリーで発生させようとした第二世代達は、もろにその影響を喰らう事になったのです。

 また、ベンチュリーはマシンの底に取り付けられており、ウィングのように立てたり寝かしたりする事で発生するダウンフォースの量を調節する事は当然できません。
 ということは、ほぼ全てのダウンフォースをベンチュリーで発生させる第二世代は、ダウンフォース発生量の調整がほとんどできないことを意味しているわけです。
 結果、第二世代ベンチュリーカーは、ジャストなセッティングを出すのが極めて困難なマシンになってしまっていたのでした。

 で、結局第二世代達はすぐにウィングを取り付ける事になってしまいました。

 ウィングがついてしまったら、第二世代達は、もはや彼らの当初のコンセプトを失っています。それどころか、もはや、大柄でしかも不安定なだけの二流のベンチュリーカーに過ぎなくなってしまったのです。


フェラーリ312T4

ウィリアムズFW07

 結局ロータスはあっという間に政権をおわれ、お蔵入りのはずの旧型79で戦うしかありませんでした。

 その間隙を縫ってグランプリの主役になったのは、保守的な手法を採ったフェラーリ312T4や、「ロータス79を追い抜く」ことよりも「ロータス79に追い付く」ことからスタートし、そしてそれをより高い次元に磨いていったウィリアムズFW07やリジェJS11達、第一世代のベンチュリーカーだったのでした。

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