Vol.29 : Learn from McLaren!!
Vol.29
: ---Tendency of Each Team in '84
(written on 2.Jun.1998, corrected on 10.Oct.1998)
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 マシン全体をひとつの流れでデザインする...。

 エンジンの細かなことにまで注文をつけ、ノーズからテールまで徹底的に自分の思想に基づいたマシン作りを許されたジョン・バーナードが完成させたMP4/2TAGポルシェは、非常に洗練されたマシンとなり、'84年シーズンを席巻しました。

 では、このシーズン、他のチームは一体なにをしていたのでしょう?ただ指をくわえてマクラーレンが独走するのを眺めていたのでしょうか?
 ...そんなわけがありませんね。タフなF-1デザイナー達はいつでも少しでも速く、少しでも速く、と開発を続けていました!

 というわけで、各チームを見ていく事にしましょう。

★ブラバムBMW
 前年度、ドライバーチャンピオンを輩出したブラバムは、この年もネルソン・ピケ、BMW、ゴードン・マーレイという強力な布陣に変わりはありませんでした。
 そして、前年度のキープコンセプトで製作されたBT53は、スペシャル燃料と高ブースト圧による相変わらずのBMWパワーにより、予選では爆発的な早さを発揮しました。マクラーレンを大きく上回る9ポールを獲得した事がそれを示しています。

 しかし、「バランス」をキーワードとした新世代のTAGポルシェV6エンジンが登場してきてしまった以上、「パワー依存」であるBMW直4エンジンはもはや時代遅れとなりつつありました。
 なんと言っても、この年から施行された途中燃料給油の禁止、燃料タンクの縮小によって、燃費無視でパワーを上げる事ができなくなったのが痛かったのです。

 また、空力デザイン的には、完全にベンチュリー効果(*注1)を捨て去った前年度よりは、多少伸びたサイドポンツーン(*注2)、となったものの、それでもアロウシェイプにするのか、それともディフューザ(*注3)によるダウンフォースを重視するのか、といった迷いの見られる、多少中途半端なデザインとなっていました。
 どうもマーレイはディフューザによるベンチュリー効果にかなり懐疑的で、この後もコークボトルを頑に拒み、ウィング重視のデザインを続けていくのです。

 さらに、マーレイは当時最新トレンドあったカーボンファイバー・モノコック(*注4)の導入にもかなり慎重で、依然としてカーボンモノコックよりも重量のかさむアルミハニカムモノコックを使用していました。

 で、結局ブラバムは決勝になると燃費制限に苦しみ、失速してしまう事が多く、シーズン中盤にピケが連勝したものの、結局ランキング5位が精一杯、チームもマクラーレンの4分の1以下のポイントで4位に甘んじてしまいました。
☆フェラーリ

 ドライバータイトルはピケに譲ったものの、抜群の安定感で'83年のコンストラクターズタイトルを得たフェラーリ。

 この年もハーベイ・ポストレスウェイト博士の指揮のもと、前年度型の改良である126C4を投入して来ました。


フェラーリ126C4
 投入直後の126C4はほとんど126C3と区別がつかないほど同じ姿をしていました。つまり、相変わらず短いサイドポンツーンで、言ってみればアロウシェイプに近いコンセプトのままだったわけです。
 よって、ラジエターやインタークーラーなどの冷却器類もすし詰め状態になっており、かなり冷却効率が悪くなっていました。

フェラーリ126C4M2

 しかし、洗練されたコークボトルボディ(*注5)のマクラーレンの圧倒的な活躍。フェラーリは慌てて126C4に、コークボトル化という大手術の敢行を始めたのです。

 結局シーズン途中にしてフェラーリは、ほとんど別のマシンとなった126C4M2というマシンを投入して来ました。
 これはマクラーレンに倣ってコークボトルを採用し、それに合わせてサイドポンツーンも長く、冷却器も整理され、ホイールベース拡大が図られました。

 しかしながら、シーズン途中でこんなに改造を施していては、やはりまともに熟成させることは不可能になります。
 また、初めから強いコンセプトをもとに製作されたマクラーレンと比べると、やはり各部分に急ごしらえの部分が出てきてしまいます。マシンの性能は、やはり初期設計でほとんどが決まるのです。

 結局、前年4勝を挙げたフェラーリはこの年、新加入のミケーレ・アルボレートによる1勝のみに留まりました。

 しかしそれでも、マクラーレンの1/3ほどの獲得ポイントとはいえ、コンストラクターズでは2位をキープしました。

★ウィリアムズ・ホンダ

 '83年、マクラーレンがTAGポルシェV6ターボエンジンを投入するのに相前後してホンダの、同じくV6ターボエンジンを投入して来たウィリアムズ。
 ようやく手に入れたメーカーターボエンジンに、ウィリアムズの'84年は期待に包まれて始まりました。
 ところが、破竹の快進撃を始めたマクラーレンと対照的にウィリアムズは未完成のターボエンジンに苦しみ抜きます。ホンダは高回転を目指し、かなりのショートストロークとしてきたのですが、それが裏目に出て、ノッキング(異常燃焼)に苦しめられたのです。
 また、ウィリアムズ側も、初めてのターボエンジンに戸惑っていたのです。吸・排気系の取り回し、冷却系の配置...これらの前に、もともと手堅い手法が得意だったパトリック・ヘッドは、非常に保守的なマシン作りを余儀無くされたのです。

ウィリアムズFW09
 結果、走り始めたマシンはアロウシェイプにするでもなく、コークボトル、ディフューザも装備していない、コンパクトではあるが、非常に中途半端なマシンとなっていました。

 さらに、ヘッドもブラバムのマーレイ同様、カーボンファイバー・モノコックの強度にかなり懐疑的で、やはりアルミハニカムモノコックを依然として使用していました。しかし、これもFW09を時代遅れのマシンとさせる要因の一つでした。

 それでも、苛酷な暑さのダラスGPで、次々と脱落するライバル達を尻目に、ケケ・ロズベルグの見事なドライビングで、記念すべき初優勝を挙げます。ただ、これは文字どおり、ロズベルグの「腕」で勝ち取ったものだと言えました。


ウィリアムズFW09B
 その後、ウィリアムズもフェラーリ同様シーズン途中にしてコークボトル化大手術を施したFW09Bの投入に踏み切りました。
 しかしながら、コークボトルは車体の後端を絞り込みます。すると、車体内部が良く整理されていなければ、空気の抜けが非常に悪くなり、冷却効率を著しく悪化させます。
 結果、ウィリアムズFW09Bは非常に信頼性の低いマシンとなり、成績も惨憺たるものとなってしまったのです。
☆トールマン・ハート

トールマンTG184
 '84年はセナがデビューした年として知られています。そのセナが乗ったのが、現在フェラーリのチーフデザイナーとなっているロリー・バーンが製作したトールマンTG184でした。

 前年度はフロントグランドエフェクトという斬新なアイデアを投入したバーンでしたが、この年はそれを廃止。しかし、地面スレスレのフロントウィングは、明らかにその思想を受け継いでいました。

 エンジンはプライベートエンジンビルダーであるハートの直列4気筒ターボエンジン。プライベーターながら、よく練られたこのエンジンはそこそこの性能を発揮。これをもとにバーンは細身でコンパクト、空力的にも洗練されたマシンを完成させたのです。

 これに乗ったセナはたびたび上位に食い込む活躍を見せました。第6戦のモナコでは、豪雨の中、凄まじい走りで2位、赤旗さえ出なければ、既にスローダウンしていたトップ、マクラーレンのプロストをパスしていた勢いでした。

 その後もセナは2度も表彰台に上がる活躍を見せ、トップドライバーへの道を駆け上がることになったのです。

★ティレル・フォード

 ティレルはターボエンジンを使用しない唯一のチームとなりました。それでもコンパクトなマシンを完成させたティレルは二人の新人、ステファン・ベロフとマーティン・ブランドルのドライブでそこそこの活躍をしました。

 ティレルは'82年のウィリアムズらの水タンクと同じ発想で、マシンに鉛を積んでおき、車検をパスし、走行する時にはそれを落としてマシンを軽くして走っていたました。(ちょっと資料不足でかなり怪しいですが、このへん (-_-ゞ)

 しかし、シーズン終了後、これはレギュレーション違反と解釈され、ティレルは全ての成績を失ってしまいました。


雨のモナコを駆ける
ステファン・ベロフ

 しかし、この年のティレルと言えばベロフのモナコGPでの走りに触れなくてはならないでしょう。

 先程トールマンで触れたように、豪雨のモナコで2位のセナがトップのプロストを猛追していましたが、実は3位を走っていたベロフはセナよりさらに1秒速いペースで追い上げていたのです。

 しかし、赤旗によって、それも及ばずに終わります。

 赤旗で及ばなかったとは言え、プロストを追い込んでの2位で一躍脚光を浴びたセナ。それを上回るペースで走りながら、そのセナの影に隠れてしまったベロフ。これが時代を掴めるか掴めないかの、ドライバーの運の差なのでしょうか?

 ドイツ人初のチャンピオンを期待されたベロフ。しかし彼は翌年、ベルギー・スパでのグループCカーでのレース中にクラッシュし、他界してしまったのです。

 結局、ドイツ人初のチャンピオンはシューマッハまで待たなくてはならなかったのです。

 さてさて。
 このように、'84年は、とにかく「マクラーレンに倣え!」というシーズン途中の大改造が目についた年だったのです。それほど、マクラーレンMP4/2の活躍は鮮烈だったのです。
 しかし、ウィリアムズの失敗からわかるように、マクラーレンの素晴らしさは、やはりコークボトルに限らない、エンジンまでも含めた確信に満ちた先進的な初期設計があったからこそ、花開いたものだったのです。

 また、先程も申しましたように、この年はよりターボエンジン化が進み、なんと、ターボエンジンを搭載していないのはティレルチームのみとなりました。数年前、嘲笑に曝されたターボエンジンすらも、もはやF-1の標準装備となりつつあったのです。

 早くも「マクラーレンMP4/2」という、偉大な「お手本」が登場し、各チームがそれに右に倣え!という形になりました。しかし、マクラーレンの優位性は、付け焼き刃で身につくものではありませんでした。
 しかし、この年、シーズン途中で大改造を施したチームも、決して無駄ではなかったのです。翌年以降の開発に、これは大きく影響してきたからです。

 そして、翌年もマクラ−レンの優位はゆるぐことはないのですが、しかし、少しずつ他のチームがそれに追い付き、追い越そうという動きが目立つようになっていくのです。

*注1:


ウィングの周りの空気の流れ


ベンチュリーの原理

 ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。

 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである(この場合、地面とマシンの間に力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。

 ベンチュリーの場合は負圧になる部分のみが存在すれば良く、ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がない。

*注2:

 サイドポンツーンとは車体側面の箱のような部分のことであり、現在ではラジエターや、車載コンピュータなどを収め、側面衝突時の衝撃吸収の役目もある。ベンチュリーカー時代以降、空力上非常に重要なアイテムとなった。
 もともとポンツーンとは水上飛行機のフロートのことを指す。

 フラットボトム規制が開始された'83年のブラバムBT52らは、ベンチュリー効果をばっさり切り捨て、これを思いきり短くすることで、車体の底の空気の流れを短くし、空気抵抗を少なくしようとした。

 しかし、ディフューザ(*注3)の登場により、フラットボトムでもベンチュリー効果(*注1)が得られることがわかった。

*注3:


ロータス94Tのディフューザ
 '83年に施行されたフラットボトム規制でベンチュリーカーは禁止されたが、ボトムの後端にディフューザという坂状になったデバイスを取り付けることで、マシンの底に負圧を発生させ、結果的にベンチュリー効果を得られることが分かったのである。

*注4:


マクラーレンMP4の
軽量かつ高剛性な
カーボンファイバーモノコック

 モノコックはマシンの背骨とも言え、ドライバーや燃料タンクを収める一方、 後部にエンジンが連結されるなど、非常に重要な部分である。ここの強度によってもマシンの操縦性能は大きく変わる。
 もともとは「一つの殻」を意味する。力を外皮全体で受け止めるため、軽量で丈夫な構造が可能となったというわけである。

 ベンチュリーカーの時代になって、細くて剛性の高いモノコックが求められるようになり、'81年にはマクラーレンがカーボンファイバーモノコックをF-1で初めて導入し た。

*注5:

 マクラーレンのジョン・バーナードは、ディフューザ(*注3)の上の空気にも着目して、マシンサイドの流速の速い空気を流し込むようにするため、コークボトルを考案した。


マクラーレンMP4/2のコークボトル
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