1.オーストリアGPコースレビュー&ヒストリー
* * * A-1リンク * * *
A-1リンクサーキットでオーストリアGPが再開されたのは'97年のこと。地元であるゲルハルト・ベルガーの熱心な活動によって復活した。
それ以前は9年間休止されていた。なぜなら'87年、A-1の前身であるエステルライヒサーキットの時代に危険な多重クラッシュが発生し、赤旗が連発されたためだ。だが、一方ではより興行的に有利な国で開催したいという政治的思惑もあったと言われた。つまり、クラッシュが都合の良い口実として使われたということだ。
かつてのエステルライヒリンクは森に囲まれた美しい高速サーキットとして名高かった。だが、非常に狭いホームストレート(先の多重クラッシュ発生場所)など、設備的には貧弱な面もあった。
だが、A-1という通信業界の企業の資金援助により、最新鋭の設備を備え、レイアウト的にもテクニカルな近代的なサーキットとして生まれ変わった。
サーキットとして大きな特徴は、山の斜面を利用した高低差だ。そこに長いストレートとバラエティ豊かなカーブが組み合わされている。実はエンジンの全開率は70%を越えるエンジンサーキットという性格はエステルライヒ同様である。
1コーナーであるカストロールをぬけてからの長いストレートの終わりにあるレームスと、その先のゲッセルはパッシングポイントだと言えるだろう。
それに続く左の二つのコーナーにはラウダ、ベルガーと名がついている。
また、大きく下った後のヨッヘン・リントと、続く最終A-1コーナーは非常に難しいカーブと言われ、コースアウトするマシンが非常に多いポイントである。
* * * チャンピオンを賭けたバトル * * *
初年度の'97年は、プロストやスチュワートといったブリヂストン勢中堅チームの躍進が目立った。特に、プロストのトゥルーリは3番グリッドからスタートし、1周目でエンジンブロウしたハッキネンを尻目に、レース中盤までトップを快走。
だが、そのトゥルーリも結局エンジンブロウ。優勝したのはポールポジションのジャック・ヴィルヌーブだった。
'98年はチャンピオンを賭けた白熱のバトル。雨の予選を制してポールを取ったのはフィジケラであったが、スタートで瞬く間に1, 2位となったのはこの年のタイトル争いを展開していたハッキネンとシューマッハ。展開されたのは仁義なき戦いであった。
前を行くハッキネンをあらゆるコーナーでプッシュするシューマッハ。だが、鉄壁の守りでそれを許さないハッキネン。非常に濃密な接近戦はしかし、17周目の終わり、あの難しいヨッヘン・リントカーブでシューマッハがオーバースピードでコースアウト!
フロントウィングを傷めたシューマッハはその後3位に追い上げるのが精一杯。
一方、ハッキネンはクルサードを従えて優勝。'98年チャンピオンシップの大きな節目のひとつであった。
'99年もその年を象徴するレースだった。ポールからスタートしたハッキネンは直後のレームスでなんとチームメート、クルサードの意表をついたアタックを受けて接触、スピン。さらに、ピット作業でクルサードは、チャンピオン争いのライバル、アーバインに逆転を許してしまう。
シューマッハの怪我による脱落で油断したマクラーレンはチームメート同士の争いを許した。そして間隙を縫ったアーバイン。ここから、ハッキネンとマクラーレンの歯車は大きく狂い始めてしまったのだ。
* * * 語り種レース * * *
さてさて、恒例の「語り種レース」のコーナー。
今回は'82年のレースに触れよう。
50年の歴史の中でも稀に見る大混戦であったこの年であるが、エステルライヒでのオーストリアGPもそれを象徴するかのようなレースであった。
この年から大きく勢力を拡大したターボ勢、ブラバムBMWとルノーがトップグループを形成したこの高速レース。
しかし彼らがトラブルで脱落した後、トップに立ったのは不振に喘いでいたロータスのエリオ・デ・アンジェリス。マシンは伝統のNA、DFVエンジンを搭載するロータス91だ。そして、それを同じくDFVのウィリアムズFW08、ケケ・ロズベルグが猛追する。
凄まじい接近戦の最終ラップ、高速の最終コーナーでスリップストリームに入ったロズベルグはデ・アンジェリスの右に出る!マシンが並ぶ!しかし、わずか0.05秒差、先にゴールしたのはデ・アンジェリスだった。
このリザルトは多くの意味を持っていた。
デ・アンジェリスにとっては嬉しい初優勝。そして、不振のロータスにとっても、4年ぶりの優勝だったのだ。そして、この年の12月に死亡することになる偉大なる創設者、コーリン・チャップマンにとっては最後の優勝となったのだ。優勝のゴール時にハンチング帽を投げていた彼のアクションもこれが最後となってしまったのである。
一方、この年のチャンピオンとなるロズベルグにとっても大きな2位であった。驚くべきことに、この第13戦の段階で、ロズベルグは優勝がなかったのだ(もっとも、彼は前年度ノーポイントのドライバーだったのだが)。
この2位を足掛かりに翌戦のスイスで優勝したことで、彼は既に事故で脱落していたフェラーリのディディエ・ピローニのポイントを逆転し、一挙にチャンピオン争いのトップに立つことになるのである。
2.レース・レビュー
* * * 予選 〜 悩めるポイントリーダー * * *
今回の予選は、直前から小雨がぱらつき始めたことから、本降りになる前にタイムを出そうと、ほぼ全車が開始と同時にコースインする異例の展開となった。だが、すぐに雨は収まり、以降は普段通りの落ち着いた展開となった。
その中で、ポイントリーダー、シューマッハが悩んでいた。バラエティ溢れるコーナーが散りばめられたこのA-1サーキット。どうしてもフェラーリF1-2000のバランスが出ない。
ここまでの好調を支えたのは、どのサーキットに行っても大きく変更を加えなくてもすんなり走れたシャシーの素性の良さだった。しかし、ここA-1では予選中にリヤウィングを変更するなど、かなり苦労したようで、大事なアタック中にレームスコーナーでスピンを喫してしまった。
結局彼はチームメート、バリッケロの後塵すら拝して4番手に留まってしまった。
一方、順調な予選をこなしたのはマクラーレン勢である。筆者には、よりアグレッシブな走りをしていたのは絶好調のクルサードのように見えた。特に最終コーナーの立ちあがりは非常に迫力あるものであった。
だが、このコースを得意とするハッキネンはコンスタントにタイムを刻み、クルサードを寄せ付けず、見事に7戦ぶりのポールポジションを獲得した。前戦フランスでディフューザをはじめとする変更により、MP4/15の挙動は以前よりも安定しており、ハッキネンも余裕を取り戻したようである。
ところで、前戦予選6位と気を吐いたジャガーのアーバインだが、金曜のフリー走行後、盲腸の疑いがあるということで、土曜からはテストドライバーのルチアーノ・ブルチが出走することになった。
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