1.ドイツGPコースレビュー&ヒストリー
* * * ホッケンハイムリンク * * *
このドイツGPの舞台ホッケンハイムの特徴、それは「超高速」。これに尽きる。
深い森の中に1kmを越えるストレートが4本。当然ここでは純粋なエンジンパワー競争となる。ここに「ジム・クラーク」「オスト」「アイルトン・セナ」という名の3つのシケインがある。これらシケインの飛び込みでは最高速からのフルブレーキング競争が発生する。ドライバーのテクニック、そして勇気が試される。
しかし、その4つ目のストレートが終わって森を抜けると、風景は一変する。12万人を収容するスタンドに囲まれたテクニカルなスタジアムセクションだ。ストレートスピードを稼ぐべく、ダウンフォースを最小限に抑えたマシンには酷な、小さなコーナーが組み合わされている。ここを走らせるのは完全にドライバーのテクニックだ。
* * * ジミーの眠るホッケンハイムの森 * * *
これまで、多くの波瀾と感動のあったホッケンハイムだが、それらのエピソードは来年以降に譲ろう (^^;。今回は是非、天才ジム・クラークについて書きたい。
ホッケンハイムの第一シケインは「ジム・クラーク」の名が冠せられている。そう、このホッケンハイムこそ、不世出と言われるあの天才ドライバーを飲み込んでしまった悪魔の森なのだ。
ジム・クラークの名は、F-1ファンならば誰もが一度は聞いたことのある存在であろう。だが、その神話は決して本来のインパクトをもって彼らに伝えられていない。それほど、彼の死から刻は流れてしまった。
72戦25勝33ポール。恐ろしいまでの勝率、ポール獲得率である。そして、彼が獲得したチャンピオン回数は2。しかし、その存在にとってこれらの記録は余りに少ない数字だったと言える。それほど、彼の存在は際立った存在で、誰として彼にはかなわなかった。彼はどんなマシンやコースでも、すぐにその状況を感覚的に把握し、他のどんな経験のあるドライバーよりも速く走ってしまったのだ。
「F-1史上最高のドライバー」。そんな声も未だに根強い。
彼はF-1での全てのレースをロータスで挑んでいる。数々の技術的革命を起こしたロータス。フェラーリと並んでF-1の歴史に名を刻む名チームだ。クラークはそのロータスの代名詞だった。
技術的にも革命的と言われたロータスのマシン群。ブリティッシュ・グリーンに黄色のラインの入ったこれらのマシンは非常にシンプルかつ美しかったが、決して、常に信頼性に恵まれていたわけではない。だがとにかく、これらにクラークが乗り込んだ瞬間、彼らは他と別次元だった。
これを象徴するのが'67年のイタリアGP。ロータス49に乗るクラークは、トラブルによるピットインで一旦は周回遅れになりながら、凄まじい走りでごぼう抜きを敢行し、再びトップに立ってしまったのだ。
物静かな普段の彼からは想像もつかないような壮絶なこのレースは、彼のベストレースとの声も多い(しかし、結局再度のトラブルでリタイヤし、ホンダのジョン・サーティースが劇的な優勝を果たしている)。
この'67年デビューのロータス49は、F-1史上最高のエンジンDFVと共にデビューし、 後年になって不朽の名作と言われるようになるマシンだが、初年度は、素晴らしい速さを誇りながらトラブルも非常に多かった。
だが、'68年に向けて49の完成度も上がり、1月1日に開催された開幕戦南アフリカでクラークは圧倒的な勝利を飾った。誰しもがクラークの圧倒的チャンピオンを予感したのだった。
しかし。
第2戦までの長いインターバルの間の4月7日に行われたホッケンハイムでのF-2レース。深い森は暗い雲に覆われ、雨に煙っていた。
このレースに、やはりロータスで参加していたクラークは、突然の不可解なトラブル(タイヤトラブルだと言われている)に襲われる。バイブレーションする彼のマシンはコントロールを失って森に吸い込まれて行き、そして、帰って来ることはなかった。
生涯、ほとんどクラッシュすることなく、トラブルが発生したマシンでも天才的コントロールで事故を回避してきたクラーク。そんな彼が大して重要度も高くないF-2のレースで命を落としてしまった...。この事実は他のドライバーにとっては大きな衝撃だったという。「あのジミーですら、事故でこんなにもあっけなく命を落としてしまうのか」と。
だが、それ以上に衝撃を受けたのは紛れもなく、ロータスチームの総帥コーリン・チャップマンだったろう。実際、ロータスのレース活動休止もあり得るほど、失意の底につき落とされたのだ。
しかし、そのクラークの事故の処理の段階から、チームの先頭に立って指揮をとって引っ張って行ったのが、この年に移籍してきたグラハム・ヒルだった。
クラークの死直後の第2戦スペインGP、彼はロータス49で優勝を飾る。続くモナコでも見事連勝したことは、失意のチャップマンを奮い立たせ、チームの士気を再び高めるのに十分であった。そしてヒルはこの年、二度目のチャンピオンに輝くのである。
奇しくもこのスペインGPは、ロータスがプレイヤーズタバコとスポンサー契約を結び、F-1にコマーシャリズムを初めて持ち込んだレースであった。マシンは、それまでのナショナルカラーに替わって、金と赤のスポンサーカラーに塗られた。(この契約は、ロータスがレース活動を休止できなかったもう一つの原因でもある)
そしてまた、この年の第5戦にはフェラーリがウィングを持ち込み、空力ダウンフォースという概念がF-1に持ち込まれている。
まるで...『コマーシャリズム』と『空力』という、近代F-1を象徴する二つの要素が導入されるのを嫌うかのように逝ったジム・クラーク。実際F-1はその後、あらゆる意味で激動の時代を迎えることになったのだ。
彼の死から四半世紀が過ぎようとしている。大きく変革した今のF-1を見て、彼はなんと言うのだろう?
あれからF-1が得たものは多いが、失ったものもまた、多い。
そして、ジミーは静かにホッケンハイムに眠る。
2.レース・レビュー
* * * 予選 〜 雨に翻弄されたタイムアタック合戦 * * *
今回の予選は開始から雨が降りどんどん路面が濡れていくという状況だった。そのため、状況の良いうちにタイムを出すべく、コースオープンと同時にほぼ全車が殺到して大渋滞となった。
そんな中、前車との間隔を開けて巧みにクリアラップを得たクルサードが2位に1.5秒もの大差をつけるダントツのトップタイムを叩き出してポールポジションを獲得した。同様にタイミング良くアタックしたアロウズのデ・ラ・ロサが5番グリッドを獲得する。
一方では、こうしたコンディションに抜群に強いはずのバリッケロは序盤でスピンを喫したためにタイムを出せず、なんと18番グリッドに沈んでしまう。
雨のために、もはや以降のタイムアップは不可能かと思われたこの予選だが、終盤になって少しコンディションが上向いたところで、シューマッハとフィジケラが起死回生のアタックを成功させて2, 3番手に飛び込み、グリッドが確定した。
前戦復活の優勝を果たしたハッキネンは4番手に留まった。
* * * スタート・前半戦 〜 またしても消えたシューマッハ * * *
地元であるシューマッハは一度しかここで優勝がない。これまでフェラーリのV10エンジンがどうしても出力不足だったからだ。しかし、今年はフロントローという絶好のポジションを得た。
ホッケンハイムを埋め尽くした熱狂的なシューマッハのファンが息を飲んでスタートの瞬間を待つ。
ここで、フォーメーションラップのスタート時にエンジンのかからなかった16番グリッドのバトンは、最後尾スタートに回されることになった。パートナーBMWの地元で、ウィリアムズ勢はここまでいいところがない。
さあ、スタートだ。
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