Vol.24: 2003 Technical Fashion Part.1
(written on 7th.Oct.2003)
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 このUnchiku Liteが2000年を最後にお休みしている間に、F-1マシンのトレンドはかなり様変わりした。...いや、ごく一般のF-1ファンにとってはほとんど変わっていないかもしれないが、私のような一部のマニア人にとっては興奮すべき変化があったのではないかと思う。
 今回は、ここ数年のF-1マシンに現れた、特に空力に関するトレンドに関して考察して行こうと思う。流れとしては、このUnchiku Liteでは半ば定番的であるが、マシンの前半部からなめるようにし展開していこうと思う。
 なお、空力に関する考察はあくまで1ファンである私の私見であり、多分に誤りが含まれている可能性すらあるので、一つの見解として軽く受け止めていただきたい (^_^;。

1. マシン前半部分 ... フロントウィング〜モノコックに関する変化

 このUnchiku Liteでニューマシンレビューを最後にしたのが2000年。
 2000年と言えば、超ハイノーズのフェラーリF1-2000とローノーズのマクラーレンMP4-15が激しく争った結果、フェラーリがシューマッハの手により21年ぶりのドライバーズタイトルを獲得した年である。
 興味深いことにこの翌年2001年にこの二チームはノーズ部分に関して、一見、その思想を交換したような形になった。フェラーリはF2001で先端が低くなったノーズに、マクラーレンはMP4-16で前年度のフェラーリを彷佛とさせる極端に高いノーズとなった。
 そんな彼らの意図がどこにあったかは、状況を順番に話していくことで紐解いて行くこととしよう。

1-1. 2001年のフロントウィングに関するレギュレーション変更

 2001年はフロント部分に関して比較的大きなレギュレーション変更が行われた年である。ウィングの最低地上高(実際にはレファレンスプレーンから)がこれまでの50mmから100mmに引き上げられたのである。

frontwing

 フロントウィングは基本的には地面に近ければ近いほどベンチュリー効果によるグランドエフェクトが発生して高いダウンフォースを確保できる(その分、姿勢変化に弱いなどの弱点もできるが)。また、翼端板によって地上ぎりぎりまでウィングのサイド部分をシールすることも、ダウンフォースを大きく高める効果があった。
 最低地上高を上げることで、マシンの性能の高騰を抑えるとともに、フロントウィングの特性をダルにさせて、追い抜きがしやすく、エキサイティングなレースにしようとしたとも考えられる。
 しかし、マシン中央線から左右に25cmずつの部分に関してはステップドボトム規制が優先され、その限りとはされなかった。

 この規制の網を縫って、多くのチームが独特のアイディアを持ち出してきた。
 ベネトンやジョーダンはこの50cm部分に完全に段差を設けて、地上に近い位置にウィングを配置した。理想的には、最もダウンフォースを発生できる形状だと言えるだろう。だが、彼らは姿勢変化による挙動の不安定さに悩まされることになる。
 もう一歩手前の控えめな形状を採用したのはジャガー、ザウバーであり、ステーの内側部分だけが湾曲して地面に近付いていた。

Benetton B201
最も積極的なフロントウィング
を持つベネトンB201
Jaguar R2
控えめながら段差を設けた
フロントウィングを持つジャガーR2

 一方でマクラーレンやウィリアムズと言ったトップチームは完全なストレート、もしくは僅かに曲げた程度のフロントウィングを採用した。彼らは、まさにベネトンやジョーダンが悩まされた、姿勢変化に対するナーバスさを恐れたのだ。
 彼らのマシンは軒並み、ノーズが高くなった。フロントウィングで失われるダウンフォースを、車体全体のダウンフォースで補おう、そのためには車体の下へ空気を少しでも多く送り込もう、という意図からだ。

McLaren MP4-16
フロントウィングにわずかな下反角のついた
マクラーレンMP4-16
Williams FW23
逆に、わずかな上反角のついた
ウィリアムズFW23
Ferrari F2001
極めて有機的なフロントウィングを
導入してきたフェラーリF2001

 各チームが暗中模索の中、フェラーリは極めて高度な解答を打ち出してきた。
 フロントウィング中央部分が地面に近くなっているのは中堅チームと同じだったが、フェラーリのものはなだらかな曲線で構成された3D形状になっていたのである。
 この形状は、中央部分を地面に近付けることでグランドエフェクトを増大させるだけでなく、コーナリング中のダウンフォース発生も安定していたことから、2001年シーズン中にも多くのチームが模倣することとなり、2003年シーズンに至ってほぼ全てのチームがこれに準じたウィングを採用しているのである。

1-2. フロントノーズ&モノコックに関するフェラーリの新たなトライ

 見た目も流麗な3Dフロントウィングでライバルに先んじたフェラーリであるが、そのフロントウィングには先端が非常に低くなったノーズが組み合わされた。ノーズを必死に高くしてきたライバルチームを嘲笑うかのようである。
 先述のように、それは一見すると前年までのマクラーレンと思想を入れ替えたように見える。だが、フェラーリのそれはマクラーレンMP4-15の低いノーズとは違うものであった。

MP4-13 Side View
モノコック全体が低いマクラーレンMP4-13
F2001 Side View
フロントウィング後方に広いスペースがあるF2001
(かなり誇張している...)
F2000 Side View
極めて高く持ち上げられたF2000のノーズ
大量の空気が押し込まれることで
乱流が発生していたと考えられる

 マクラーレンMP4-12〜15の低いノーズは、モノコック下面も低く作られており、サスペンションのロワアームも直接モノコックに接合されている。彼らの狙いはどちらかというとできる限り低重心にすることにあり、ノーズ下に積極的に空気の流れを作ろうというよりも、いかに空気抵抗を少なくして左右サイドポンツーンへ空気を流すか、という部分にフォーカスしていたと考えられる。

 それに対し、フェラーリF2001はノーズの先端部こそ低くなっているが、実はモノコック自体の底部は、極めて高いノーズを誇った前年のF1-2000とほぼ同じ高さを保っていたのである。
 このことから、F2001は明確に、ノーズ下にも空気を積極的に流そうという意図が読み取れる。彼らの意図は、フロントウィングの下面を通り流速の速くなった空気の流路を、ノーズ下を非常に広くすることで確保する一方、比較的流速の遅いウィング上面からの空気によってそれが乱されないよう、ノーズ上面を非常に低くしてウィング上面の空気を制限したのではないか、と考えられるのである。

 想像するに、F1-2000のような極端なハイノーズは、確かに車体下面へ押し込む空気の量が増えてグランドエフェクトによるダウンフォースが増加しただろう。だが、フロントウィングのせいでその空気流は複雑になって抵抗も増え、ノーズを高くした割に期待したほどのダウンフォースを得られなかったのではないか。そこで、ウィング下面を通った速い空気の流路は確保しつつ、上面の空気はなるべく通さないハイモノコック&ローノーズの思想が芽生えたのだと考えられるのである。
 すると翌2002年にはマクラーレンやルノーをはじめとする多くのチームがこの思想を模倣したマシンを投入するに至ったのである。

1-3. フェラーリのさらに先へ...超空力偏重なハンギングマウントモノコック

C19's monocock
初めてハンギングマウントを採用したザウバーC19

 フェラーリがフロント部分の空力の新たな思想を切り開いた2001年。
 だが、その前年からフロント部分に関して新たな試みが他チームでも行われていた。UnchikuLite第20回でも取り上げた、レオ・レス&セルジオ・リンランドによるザウバーC19である。
 このC19はフロントサスペンションのロワアームを受け止めるバルジが左右で独立していたのだ。他のマシンはこれがモノコック中央に突き出た船のキールのような部分で受け止めていたのだが、C19はこれがモノコックの左右両端に設けられた小さな突起となり、モノコック下面はフラットに整形されていたのである(雑誌などでは翌年のC20から採用だと書かれているケースが多いが、実はC19からなのである。騙されないよう (^_^;)。

C20's monocock
フロントサスペンションロワーアームの基部が
左右で分離しているザウバーC20のモノコック形状
=ハンギングマウント
F2001's monocock
現代F-1で一般的なF2001のモノコック形状
中央部の突起が空気の邪魔になることが
容易に想像できるだろう

 当時はその低迷ぶりもあって、さほど注目を浴びなかったこの「ハンギングマウント」であるが、その狙いは、フロントノーズ下に、乱れのない空気の流路を少しでも多く確保することにあった。
 この方式ではロワアームが短くなるためにストロークを確保しづらく、サスペンション本来の性能としては低くなる。また、左右に分割するため、強度を確保するのも難しくなるだろう。
 だが、現代F-1ではロールを嫌ってもともとストロークは非常に小さい。さらに、カーボンファイバー成形技術の発達で、強度の問題もクリアされるようになってきた。F-1の性能で支配的である空力のためであれば、多少のリスクを負ってでもトライする価値はあったのだ。

 翌2001年のC20がハイドフェルドとライコネンの手によりコンストラクタース4位という活躍を演じると、にわかにこのハンギングマウントが注目されはじめる。
 2002年にはこのハンギングマウントを採用したマシンがグリッドに多く並ぶようになる。ジョーダンがほぼザウバーと同様の造形を施してきたのに加え、より積極的なアプローチでマクラーレンとアロウズが導入してきたのである。

EJ12's monocock
佐藤琢磨も乗ったジョーダンEJ12
ハンギングマウントの採用が
ノーズ下の大きな空間をもたらしたが
上面を高くし過ぎドライバーの視界を圧迫した
MP4-17's monocock
ハの字ハンギングマウントと
整流板が組み合わされたMP4-17
(写真は2003年型MP4-17D)

 空力の鬼才アドリアン・ニューウィーが技術部門を統率するマクラーレンはMP4-17で、ハンギングマウント部分をハの字型に整形した上で、整流板と一体で設計することで、空力パーツとしても利用してしまった。マクラーレンは同時にフェラーリF2001式の先端が低くなったノーズも採用してきており、一気にフロント部の空力に関する最先端トレンドを纏ったマシンとなったのだ。
 だが不幸なことに、この年から採用されたVバンク90度の新メルセデスエンジンのパワー&信頼性不足と、急遽ブリヂストンから変更したミシュランタイヤとのマッチングに苦しみ、その本来の性能を発揮するのは皮肉にも型遅れとなった翌年まで待たなければならなかった。

Arrows A23
アロウズA23の極めて高く薄いノーズに
地面近くまで延びたハンギングマウント
その間を通った大量の空気が
サイドへ抜けていくのが容易に想像できる

 一方、アロウズのテクニカルディレクターは、かのジョン・バーナードの忠実な弟子であったマイク・コフランが務めていた。その作品A23はマクラーレン以上の衝撃をもって迎えられた。恐らくF-1史上最高に高く持ち上げられ、非常に薄く整形されたノーズ。これにハンギングマウントが組み合わされた。ハンギングマウント部は、まるでフロントウィングの支柱部分をなぞるかのように地面すれすれまで延ばされており、完全に空力を意識した造形となっていた。結果、高くなったモノコック底部と相まって、空気の流路となる巨大なトンネルが形成されていたのだ。

 A23はOrangeのスポンサーによるオレンジ+ブラックのカラーリングもあって、かなり際立った特徴のあるマシンだった。さらに、こうした先進的な空力解釈とコンパクトでそこそこのパワーもあったコスワースエンジンのおかげで非常にバランス良く仕上がっており、ハインツ・ハラルド・フレンツェンの手により入賞圏内を何度も走行した。その性能は明らかに、同じエンジンの最新型を積むジャガーを上回っていた。
 だがこちらも不幸なことに、オーナーであるトム・ウォーキンショウの強気すぎるチーム運営のツケがとうとう回ってきてしまった。資金は底をつき、シーズン途中にしてアロウズは活動を休止、そして解散となってしまったのである。

 こうしてアロウズ最後のマシンとなったA23。極めて高く整形されたノーズの処理はフェラーリF2001の作ったトレンドとは逆行するものではあったが、前方から見て大きく開いたトンネル状の処理は極めてインパクトのあるものだった。そして、その結果としての性能を見る限り、F2001とは違った可能性を感じさせる処理であったことも事実だ。
 アロウズが活動を休止するのと時を同じくして、A23の生みの親であるマイク・コフランはなんと、同じハンギングマウントを採用したマクラーレンへと移籍した。そして彼の手によって特にフロント部が洗練されたMP4-17Dは2003年、ライコネンとともに本来の実力を発揮することとなったのだ。

 だが、一方でこのハンギングマウントを採用するチームは増えず、アロウズが撤退したことにより減ってしまった格好になっている。ザウバーC23はほぼ変わらないシェイプで採用しているが、ほぼ水平に生えているジョーダンEJ13のものは、果たして採用する意味があったのかどうかさえ疑わしい。採用することによる空力効果のアップ分と失われるサスペンションの働きとを天秤にかけると、リスクはやはり大きく、他チームは踏み込めないのだろう。だが明らかに、これがより先進的な思想であることは間違いないだろう。

1-4. 2003年最大の徒花...さらに過激に突き詰めたマクラーレンMP4-18

 コフランの加わったマクラーレンが用意した、本来の2003年用マシンこそが、MP4-18である。ここまで述べてきたフロント部コンセプトをさらに過激に進化させたマシンである。

McLaren MP4-18
極めて前衛的なマクラーレンMP4-18
セクシーで危うい魅力があるマシンだ
McLaren MP4-18 side
急激に落ち込むサイドポンツーンと高く薄いモノコック
MP4-18のエキセントリックさが分かる
McLaren MP4-17
第14戦になって登場したMP4-17改
お世辞にも綺麗な処理とは言えないが
明らかに大幅な空力性能アップを果たしただろう

 ハンギングマウントを採用したモノコックは上面が低くなるばかりか、底面も高くなっている。つまり、極めて上下に薄い形状になった(その分、断面積規定を満たすためにサイドの張り出しがやや大きくなったようだ)。
 そこに、細く薄く整形されたノーズが取り付けられる。その先端の高さは4-17よりもさらに垂れ下がった形になっている。

 そればかりかフロントウィングはフェラーリ式とは逆に中央部分がわずかに持ち上げられた形状になっており、ウィングとノーズの隙間はほぼなくなった形になった。これは、先に述べた、ウィング上面の空気を制限するという思想をさらに押し進め、ほぼ完全に遮断してしまった形である。

 この中央部がわずかに持ち上がったフロントウィングはウィリアムズFW25でも採用されており、前車の発生したタービュランス(乱気流)の影響を抑え、追い抜きを容易にするという効果もあるようだ。
 さらに、このフロントウィングは翼端板付近が持ち上げられた極めて複雑な造形が施されている。これはフロントタイヤによる乱流を抑える目的があると思われる。現代F-1のフロントウィングに求められる性能を、非常に複雑な形状にすることで全て盛り込んでしまった、という感じである。

 しかし悲しいかな、このMP4-18は2003年シーズン中の実戦投入を断念されてしまった。あまりに過激な設計により、ギヤボックスなどに致命的なトラブルを抱えている他、この薄いモノコックがクラッシュテストをパスできなかったのだ。鬼才アドリアン・ニューウィーが放つ久々の超攻撃的な意欲作だけに、単なる徒花として終わらせるにはあまりにも残念なマシンである。

 2003年の第14戦、超高速サーキットモンツァのイタリアGPにてMP4/17Dは大幅改修を受けた。そこには、後述するMP4-18のリヤ部分の特徴を多く盛り込まれたMP4/17.5とも言える姿があった。

1-5. サイドディフレクターに見られるトレンドの変化

 フロントからサイドへ抜ける空気の制御をする重要なパーツがディフレクター、もしくはバージボードなどと呼ばれるパーツである。

 2000年の時点では、そのトレンドは大きく分けて2つあった。大部分を占めていたのがマクラーレンタイプで、三角形の巨大な平面タイプ。対抗が、ウィリアムズ、ジョーダンらが採用していた小型のディフレクターとボーダーウィングと言われるアイテムを組み合わせたタイプ。

Deflector
ディフレクターの働き
フロントタイヤの発生した乱流を弾き飛ばし
ボディサイドの空気の流れを作り出す
McLaren MP4-14's Deflector
マクラーレンMP4-14の巨大な平面三角形ディフレクター
Jordan 199's Border Wing
ジョーダン199のボーダーウィング
(フロントタイヤの後ろに小型ディフレクターがある)
Ferrari F1-2000's Deflector
フェラーリF1-2000の3Dディフレクター
MP4-16's Deflector
複雑極まりないMP4-16のディフレクター

 しかし'99年第15戦よりフェラーリが、さほど高さはないがモノコックの形状に沿うような複雑な3D形状を採り入れたことから、既にトレンドは動き始めていた。マクラーレンタイプを採用していたチームがこぞって3Dタイプへ移行しはじめたのだ。
 蛇足ながら、実際にはこうした3Dタイプのディフレクターは控え目な形ながらザウバーが'96年のC16で既に採用していた。そういう点ではこれまでザウバーは意外に多くの空力トレンドを作り出してきたことがわかる。

 特に、本家たるマクラーレンの2000〜2002年のディフレクターの変化は凄まじいものがあった。
 2000年シーズン開幕時には旧来の大型一枚タイプだったものが、第2戦からはその下部中ほどにマシン外側へ向けたダクトがついたタイプに変化。さらに、2001年のMP4-16になると、このダクトとフェラーリのような3D形状が組み合わさった複雑な形状に。さらに第4戦ではここにもう一枚小型の整流板が組み合わされ、極めて複雑怪奇な形状となった。
 そして2002年のMP4-17に至って、先述したハンギングマウントと組み合わされ、他チームに例を見ない魑魅魍魎なディフレクターを構成してしまったのである。この時期のマクラーレンがいかにフロント部分の空力に関して混乱し、迷走していたかがよく分かる変化ではなかろうか。

 しかしそのマクラーレンもマイク・コフランの加入によって、2003年のMP4-17Dではハンギングマウントとそこに付属した小さなディフレクター+フェラーリタイプに近い背の低い3Dタイプのディフレクターという二つのパーツにスッキリと集約された。そのMP4-17Dは型落ちとは思えない素晴らしい戦闘力を維持している。やはりマシンの外観から分かるまとまりと成績は比例するのである。

 このように、マクラーレンタイプを採用していたチームは多かれ少なかれ同じような経過を辿ってフェラーリタイプの3Dディフレクターに落ち着いた感がある。
 だが、まだまだ進化は止まっていないようである。2003年シーズン途中から、元祖であるザウバーや、火付け役たるフェラーリらが、3Dディフレクターの直前に小さなディフレクターを取り付けてきたり、メインディフレクターの中ほどに水平な小型整流板が取り付けたりしてきたのである。比較的シンプルな3Dタイプを採用していたチームが段々と複雑化してきた感もある。それほど、この辺りの空力は注目され、様々なアイディアが投入されているのだ。

 だが一方で、ウィリアムズやジョーダンらボーダーウィング採用組はあまり大きな変化がない。それどころか、元ウィリアムズのジェフ・ウィリスの手になるBAR005をはじめ、2002年に一時試していたトヨタも2003年第12戦よりボーダーウィングを採用しはじめている。こうして見ると、ボーダーウィング方式の方が安定して空気を制御できる方式なのかもしれない。
 また、3Dディフレクターを採用しているチームの多くも、その内側に小型のボーダーウィングを設置しているのも興味深い。

1-6. F2001の隠れた大トレンド...ブレーキカバー

Ferrari F2001's brake cover
フェラーリF2001で採用されたブレーキカバー

 フロント部空力にトレンドを作ったフェラーリF2001は、実はもう一つ大きなトレンドを作り出した。ほとんど外見からは見えない部分...それはブレーキである。

 2001年開幕戦に現れたF2001は、前後のブレーキ部分をすっぽりと覆うカバーが取り付けられていた。こうして、ホイールとブレーキキャリパーの隙間をシールするようになっていた。これは、ブレーキ部へ乱れた空気が乱入するのを防ぎ、ブレーキ部の空気の流れを整えて効率を大きく高めるためのものだった。
 大きな効果のあるこのブレーキカバーであるが、アップライトも隠れてしまうため、サスペンションの調整などの作業性が低くなってしまう欠点もあった。

 さらに2003年、フェラーリはさらにライバルに先んじるべく、これまでの内側だけでなく、ブレーキ外側にも同様のカバーを取り付けてきた。外見上、非常にスマートではあるのだが、F-1のメカメカしい部分がどんどん減っていくのは少し寂しいような、複雑な気分もある。

 しかし、マクラーレンだけは従来の手法に固執している。2003年シーズン途中にわずかに実戦に投入したものの、また元の方式に戻している。

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