Vol.23: F-1 Designers' Battle (3)
(written on 4th.Feb.2001, make HTML on 28th.Sep.2003)
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7. 冬...前哨戦

 さあ、ようやく話は2000年開幕前のオフシーズンに進む。

 3チームの中でもっとも早くニューマシンのテストを始めたのは、やはり最も体制の安定しているジャガーである。
 前年度ランキング2位にして4勝を記録しているアーバインに、通算3勝を記録しているハーバートの二人のレギュラーに加え、前年度激戦のイギリスF-3で僅差の2位を獲得したテストドライバーのルチアーノ・ブルティという豪華な顔ぶれが積極的にテストを行う。

 しかし、タイムこそ概ね上位で安定しているものの、潤滑系にトラブルが発生し、なかなか周回数を伸ばせない。
 だが、ドライバー達のコメントは極めてポジティブを貫いた。「焦ることはない。素晴らしいポテンシャルを秘めたマシンだ」。

 次にマシンをシェイクダウンしたアロウズは、真っ黒なマシンで現れた。それは、当時彼らが直面していると見られた資金的な状況を暗示するかのような姿だった。

 だがアロウズは最初からいきなりセンセーショナルだった。きらびやかなジャガーと対照的な地味極まりない外見ながら、トップチームも参加したテストデーで、最速ラップを連発してみせたのだ。
 とはいえ、全くトラブルフリーだったわけではない。また、他チームからも、大口スポンサーを獲得するために車重を大幅に減らして走っているのだ、という声も多く聞かれた。しかし、どちらにしても彼らがカタルーニャサーキットの最速タイムを記録したことだけは事実だった。

 最後にマシンを発表したのはプロスト。
 闘志溢れるベテラン、ジャン・アレジを迎え、大手IT企業のYahoo!のスポンサーもとりつけ、華やかに行われた発表会であった。
 しかし、その直後に行われたテストから、いきなり彼らは躓くことになった。
 初日からトラブルの連続。特に、今回導入した新しい循環系が壊れ、全く走り込むことができない...。

 結局プロストは全く走り込みをできぬまま、不安だらけの中で開幕戦オーストラリアGPを迎えることになった。

 一方、アロウズは開幕直前、大手通信関連企業であるオレンジの大口スポンサーを獲得し、開幕戦の行われるメルボルンで華やかな発表会を改めて行った。冬のテストで好タイムを連発したことが功を奏したのだ。それは、チーム全体の志気向上にもつながるのであった。

 またジャガーも、信頼性に若干の不安を抱えてはいたが、フォードから大量の資金も流入し、豪華なモーターホームとともに意気揚々と開幕戦に乗り込んで来たのだ。

8. アロウズのブレークスルー

 そしてついに、F-1マシンに関わった技術者達のプライドもかかった戦いの幕が上がった。

 開幕戦の3チームのレースは悲惨であったと言えよう。

 記念すべきジャガーの初参戦は、エンジントラブルとアクシデントで、二台とも序盤に早々と姿を消してしまったし、アロウズは、あろうことか自慢のプルロッドサスペンションに起因するステアリングのトラブルでこれも二台とも序盤で姿を消してしまったのだ。
 残るプロストも、アレジが、やはり冬の間悩まされ続けた油圧系統のトラブルでリタイヤし、ハイドフェルドだけがしぶとく完走を果たしたのである。しかしながら、それもレースの大半を最下位を走り続けてのものであった...。

 結局開幕後の数レースは3チームにとって非常に厳しいものとなった。どのチームも信頼性に問題を抱えていたのは明らかであった。
 ジャガーは、アーバインがそこそこのグリッドを獲得するものの、ハーバートのスランプは深刻であった。アロウズも、時折光る速さを見せながらもグリッド中盤より上への壁はなかなか厚かったし、完走も少なかった。
 しかし、もっとも深刻なのはプロストであった。グリッド最下位をミナルディと争うことすらしばしばであったのだ。

 こうした閉塞的状況を最初に打破したと言えるのがアロウズであろう。

 第6戦、ニュルブルクリンクでのヨーロッパGP。途中からレインコンディションとなったこのレースで、ドライセッティングで臨んだデ・ラ・ロサが素晴らしい走りで上位に進出し、終盤まで3位を堅持してみせたのだ。
 最終的には6位に終わったものの、オレンジ色のインパクトをF-1界に与えたことは間違いなかった。当然、チームの志気も再び上がったというものである。

 そして、アロウズA21シャシーの実力がついに炸裂したのが、第8戦カナダGPである。1.5kmに及ぶストレートを持つこのモントリオールのコースで、素晴らしい空力バランスがもたらす最高速を武器に、二人のドライバーが大活躍を演じたのだ。

 前半戦はデ・ラ・ロサ。序盤でジョーダン勢やゾンタらを料理したデ・ラ・ロサは、なんとチャンピオン、ハッキネンのテールに食らい付いて揺さぶりさえかける程の積極的なレースを展開した。しかし彼はタイヤ交換の混乱などで遅れ、最後は接触事故でリタイヤとなった。

 しかし、代わってフェルスタッペンがレインコンディションで大活躍する。素晴らしいペースで追い上げた彼はブルツ、トゥルーリをあっさりと撃破し、5位入賞を果たしたのだ。

 その後もアロウズは高速サーキットで素晴らしい速さを披露し、入賞を連発することになる。

9. くっきりと分かれた明暗

 一方で他2チームの悩みは日増しに濃くなっていた。

 ジャガーは、モナコでアーバインが値千金の4位をゲットしたものの、新機軸のリヤサスペンションの影響か、どうにもマシンが神経質で、時折速さを見せても、全くそれが結果に結びつかなかった。なんとか入賞圏内に上がるチャンスがあっても、それをゴールまで持続する力がなかったのである。
 新たに採用した潤滑系のトラブルもなかなか消えることはなかった。
 チームは必死でマシンに大幅な改良を加えた。だが、それも大きく功を奏することはなく、モナコ以降ポイントは最終戦まで待たなくてはならなかった。

 プロストはより深刻であった。速さの面でも信頼性の面でも大きな問題を抱え、そしてその解決の糸口さえつかめなかったのだ。
 また、チーム内のフランス人勢力はイギリス人であるジェンキンスを良く思っておらず、成績不振が続くにつれその風潮は増し、結局アラン・プロストはその圧力に屈してシーズン途中にてジェンキンスを解雇するしかなかった。
 さらに、二戦連続してチームメート同士で接触という失態まで犯してしまう。
 チームとプジョーとで、責任のなすりつけあいまで始める始末では、良い方向に向かうはずもない。

 彼ら3チームの2000年の最終成績は以下のようになった。

  • アロウズ:7ポイント(コンストラクターズ7位)
  • ジャガー:4ポイント(コンストラクターズ9位)
  • プロスト:0ポイント(コンストラクターズ11位)

 予算がひっ迫した中、ニューマシンの開発に全てを賭け、シンプルな手法で低重心化に成功したアロウズ。豊富な資金に恵まれながら、組織の混乱、開発の方向性の欠如を招いてしまったジャガー。全てにおいて泥沼にはまってしまったプロスト。
 なんともくっきりと分かれた明暗ではなかろうか?

 しかし、実際にレースで与えたインパクトでは、この数字以上の差があったと言っても過言ではなかろう。

 結局、スチュワートSF-03に関わった3人の中で、2000年に目覚ましい活躍を果たしたマシンを作ったのはハミディということになる。こうして、ハミディは大きく評価をあげることとなったのである。

 また、久々の師弟コンビとして注目されたジェンキンスとバーナードであったが、ジェンキンスはシーズン途中に解雇されたばかりか、バーナードとの不仲も囁かれていた。結局プロストでまともな仕事もできず、ジェンキンスの評価は大きく下がることとなった。

 そしてゲーリー・アンダーソンも、R1の失敗の責任をとらされ、シーズン末に解雇された。エンジン部門であるコスワースとの不仲も終始囁かれていた。
 「何でも自分が把握していなければ気が済まない彼は大形チームのリーダーにはなれない」という評価はますます強くなってしまったかもしれない。

10. そして戦いは2001年へ。

 このストーリーの最終章は終幕ではない。
 なぜなら、彼らF-1マシンデザイナー達の戦いは2001年という新たな土俵の上で間もなく始まろうとしているからだ。

 まず、アロウズA21の素晴らしい空力バランスに大きく貢献したエグボール・ハミディは、その才能を高く評価され、ワークスホンダエンジンを獲得したジョーダンに招かれるようだ。当然、アロウズはこれに抵抗しているが、移籍はほぼ確実視されている。
 そのジョーダンの2001年ニューマシンは非常に特徴的な空力処理を持ったマシンとして登場した。かなりの意欲作だと言えるだろう。ここに、今後ハミディのエッセンスがどのように加えられていくのか、非常に楽しみなところである。

 一方、ハミディを失いそうなアロウズには、なんとゲーリー・アンダーソンが加入するという情報がある。
 アロウズは皮肉にも、昨年までプロストが使っていたプジョーの生まれ変わりたるAMT(アジアテック)エンジンで2001年に臨む。
 ニューマシンA22は、なんとプルロッドが廃止され、プッシュロッドに戻っていた。シンプルに低重心化を図ったということで画期的だったプルロッド採用であったが、低速コースでの不振を見ると、やはりストロークなどに問題を抱えていたのかもしれない。
 AMTの実体が未だに不明瞭なだけに、実力未知数なアロウズであるが、スタッフの流出が続いているのが気にかかるところである。

 そのアンダーソンを切り捨てたジャガーは、その後釜として、マクラーレンのスティーブ・ニコルスを招聘した。

 彼もまたジョン・バーナードの弟子と言える人物で、名車マクラーレンMP4/4やフェラーリ641/2などの製作をテクニカルディレクターとして指揮した男である。
 だが、それらのマシンが全てバーナードが残した母体をもとに発展させたものだったことも否定できない。彼が1から製作したマシン、フェラーリF92Aは大失敗作となっていることも忘れてはならない。
 また、彼には「優秀な才能を持ちながら怠けてしまう」という評価もある。果たして、もう失敗の許されないジャガーで、そうした評価を覆すことができるのであろうか?

 ジャガーのニューマシンR2は、ゲーリー・アンダーソンの置き土産である。リヤ・サスペンションや潤滑系などR1で試された新機軸はことごとく廃止され、従来手法に戻した消極的なニューマシンとなってしまった。
 既にあるマシンの開発はニコルスの得意とするところであるが、R2は彼の手によって素晴らしい速さを見せることができるのか?

 そしてジェンキンスを解雇したプロストも、奇しくも同じマクラーレンから、アンリ・デュランを後釜として迎え入れた。'90年にフェラーリから引き抜かれて以来、長くマクラーレンの空力を支えてきたのがデュランだ。
 結果、プロストのニューマシンAP04はマクラーレンMP4/15と瓜二つの外観を持つマシンとなった。
 さらに、エンジンだけでなく、ギヤボックスもフェラーリから供与される。昨年トラブルの温床となった部分を丸ごとチャンピオンチームから供与を受けるわけだ。とにかく、なりふり構わず成績を残す構えである。

 どちらにしても、ここに、同じマクラーレンから袂を分かったニコルスとデュランの対決という新たな構図ができあがったことは確かだ。そして、プロストチームのデュランのバックには、依然、ニコルスの師匠たるバーナードがいることも忘れてはならない。

 一方、プロストを解雇され、評価も相当落ちてしまったジェンキンスは、依然として最就職先が決まっていない。

 だが、そう遠くないうちに彼も最前線に戻ってくるだろう。もし、彼にその気があるならば。なぜなら、マシン全体を見渡して技術陣を指揮できる人間は限られているからだ。どんなに評価を落としたところで、彼の人材を欲しがるチームは多くあるはずなのだ。

 結局、F-1界は技術部門においても、かなり限られた人間どうしの間で戦われているのである。チームを替え、自分の能力を信じマシンを作り上げ、少しでも良い成績を残そうとする。彼らの戦いは彼らがリタイヤするまで終わることはないのだ。

 さあ、もう2001年シーズンは目の前である!

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