Vol.22: F-1 Designers' Battle (2)
(written on 4th.Feb.2001, make HTML on 28th.Sep.2003)
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4. スチュワートからジャガーへ

 まずは、このストーリーの序章となったスチュワートである。
 快進撃を続けるスチュワートは、もともとフォードとのつながりが非常に強いチームとして知られたが、ついに'99年6月、フォード本社に近いカナダGPの際に、フォードに買収されることを発表した。そして、翌年からフォード傘下の「ジャガー」として参戦することも決定した。

 上層部の顔ぶれがフォード色が強まるということ、そして予算大幅アップが予想されたとはいえ、ジェンキンスとハミディを追い出したゲーリー・アンダーソン中心の技術陣の陣容に大幅な変更はなかった。

 アンダーソンは後半戦、ジェンキンスとハミディの置き土産であるSF03に矢継ぎ早に多くの改良を加えていった。
 ハミディによる独特の斜め形状のサイドポンツーンを、オーソドックスな箱型に置き換え、フェラーリが先鞭をつけた上方排気も投入した。空力面でも多くの変更が行われ、しかもそれは効果的にSF03を進化させた。

 '98年の終盤にチームに参加したアンダーソンはSF03の設計にはほとんどタッチしていない。
 しかし、2000年用マシン新生ジャガーR1の開発に関しても、アンダーソンは自分流のオールニューマシンを投入するのではなく、SF03の進化系で行くことを決定した。

 いくらSF03が好調とはいえ、あれほどガンコなアンダーソンが、なぜ自分流のマシンに改めなかったのか?読者諸兄も疑問に思われるかもしれない。

 現代F-1チームはマシンに関する膨大なデータを貯えている。それらをもとにマシンの改良を行ったり、サーキットごとのセッティングを行ったりするわけである。
 だが、これらは同系列のマシンだからこそ使えるものであって、マシンが大きく変わっては全く意味のなさないものになってしまう。

 また、現代のF-1マシンは、とても一人で開発できるものではなくなっている。多くのスペシャリスト達の共同作業によって一つのマシンにまとめあげるのがテクニカル・ディレクターであるアンダーソンの仕事であって、彼一人の影響でマシンが大きく変更されることは考えにくく、SF03進化系という方向性はごくごく当然の決定だとさえ言えた。

Jaguar R1
華やかな発表会で登場したジャガーR1

 結果、美しいメタリックグリーンを纏って登場した2000年ニューマシンR1は、そのカラーリング以外ほとんどSF03と変化のない外観となった。マクラーレンと同様の非常に低く設定されたノーズ、上方排気、ラジエターインテークの形状の凝ったサイドポンツーンなど、あらゆる点においてSF03を継承していた。

 だが、細かな部分の仕上げなどは非常に美しく、アンダーソンならではのこだわりが感じられた。
 また、マクラーレンがMP4/14で行ったように潤滑系の大幅な見直しが行われ、エンジンとギヤボックスがオイルを共有する仕様に変更するなど、マシン内部でも着々と改良が加えられていた。

 新たな船出となるジャガーの前途は誰が見ても洋々に見えたものである。

5. 海を超えた協調関係から生まれたプロストAP03

 一方、ジェンキンスが加入したプロストチームだ。
 名門リジェチームを買収して発足したプロスト。初年度こそブリヂストンタイヤと熟成なった無限エンジン&シャシーのおかげで、かなりの活躍を見せたが、以降はマシン開発の失敗や、チーム移転のごたごた、プジョーエンジンの開発の遅れなどから、まったく思い通りの成績を残せないでいた。

 そこへ加入したジェンキンスは、アンダーソンとは逆に、マシンパッケージを一新することにした。前年度型のAP02は、重く大きいプジョーエンジンの影響で、大柄で性能も低く、現代F-1の中では取り残されたような存在だったからだ。

Prost AP03
前年度から一気にシェイプアップされたプロストAP03

 結果彼は、自身がスチュワートで製作したSF03と同様のパッケージングを目指した。現代F-1エンジンのスタンダードを追って軽量コンパクトになったプジョーエンジンに合わせ、各部を徹底的にシェイプアップし、低重心化も進めた。

 また、提携しているジョン・バーナードからも多くの技術供与を受けた。
 その一つがサスペンションであるが、バーナードはアロウズ時代からサスペンションに独自のアイディアを持っていた。

 現代F-1では、ストローク(動作幅)を大きくとれることや、レイアウト上の関係から、前後輪ともプッシュロッドというサスペンション形式が一般的である。
 しかしプッシュロッドでは重量物であるスプリングやダンパーを高い位置に置かざるを得ないため、重心が高くなってしまうという弊害があった。また、年々F-1マシンのレイアウトはタイトになってきていたのだ。

 バーナードはベルクランク(てこ)から直接スプリング・ダンパーにプッシュロッドの入力を伝えるのではなく、そこからさらにロッドを介することでスプリング・ダンパーのレイアウトの自由度を広げた。
 結果、アロウズA19をはじめ、このプロストAP03でもトーションバースプリング(捻りバネ)はほぼモノコックの底に近い場所に置かれ、低重心化に貢献していた。しかし、余計なロッドが加わることで、仕組みが複雑になることや絶対的な重量が増えてしまうというネガティブ要素もあった。

 ともかくも、バーナードはブレーキなどでも多くの技術を提供した。ジェンキンスの働くプロストの本拠地はフランス、バーナードはイギリスと、海を隔てた協調関係はニューマシン開発の段階では無事機能し、当初の狙い通りコンパクトにまとまったAP03が完成したのである。
 また、プロストもジャガーと同様に、エンジンとギヤボックスで潤滑系を共有するシステムにトライしている。

6. 一からデザインしなおしたアロウズA21

 そして、ハミディの加入したアロウズである。

 アロウズもプロスト同様、2000年にむけて全く新しいマシンを投入することになった。それは、前年度マシンが絶不調だったプロストと同様の理由の他に、マシンの設計データを設計者であるバーナードの会社(B3テクノロジー)に握られていて、アロウズには残っていなかったことも大きな要因だ。

 アロウズはバーナードが予算を無視した開発をしたために資金がなかった。そのため、高木虎之介もドライブしていた'99年は現行マシンのA20の開発をほとんど行わず、2000年マシンの開発に資金も人材も、全てを注いだ。エンジンも自社開発エンジンから高価なスーパーテックに変更した。

 そこへ、ハミディが加入してきた。
 実はこの時点で、マイク・コフランを中心として、2000年マシンA21の基本骨格はほぼ固まっていたのだという。しかし、その空力的性能に不満を持ったハミディは、一からデザインし直すことを進言し、限られた時間の中でそれをやり遂げた。

Arrows A21
プッシュロッドサスペンション採用のアロウズA21

 その結果完成したA21は、旧型A20とは全く異なるスタイリングを持ち、現代F-1マシン群の中でもかなり先進的なマシンとなっていた。

 まずA21の外観からもわかる大きな特徴として話題になったのがフロントのプルロッドサスペンションである。

 これはプロストの章で述べたプッシュロッドとは上下逆の仕組みを持つもので、'80年代から'90年代初期までは割と一般的な手法であった。
 ところが、'90年代にハイノーズが流行すると、低い位置にスプリング・ダンパーを置く必要のあるプルロッドは、プッシュロッドによって、完全に駆逐されてしまったのである。プッシュロッドは、高い位置に置くほどストローク(作動幅)が大きくなってサスペンションとしての性能が上がるというメリットがあり、ノーズが高くなってもレイアウト上のメリットがあったのだ。

 しかしコフランらは、ここ数年マクラーレンの影響でノーズの高さが一時期よりも低く設定されるようになってきたことと、姿勢変化を好まない現代F-1ではサスペンションのストロークはさほど重要ではないことに着目した。
 プルロッドは、プッシュロッドよりもロッドにかかるストレスが少ないために、ロッドをずっと細くすることができるし、低い位置にスプリング・ダンパーユニットを置くことは、そのまま低重心化に貢献することになる。空力的にも、重量的にもデメリットを補うだけの大きなメリットがあったと言える。

 結果、バーナードと同じ低重心を目的としながらも、よりシンプルで斬新なプルロッドサスペンションを実現させたのだ。

 また、A21は業界でも唯一の先進的なカーボンファイバーギヤボックスを採用した。これはバーナードデザインのA19から採用しており、他素材のものを開発する余裕がなかっただけ、との陰口も聞かれたが、軽量で小型化しやすい先進的なものであることには変わりはない。

 空力面でも、ハミディの果たした仕事は大きい。
  プルロッドの採用により、ノーズの先端の高さ自体は相当低くなっているA21だが、後方、ドライバーの側面付近に向かってモノコックの底部分が大きく抉られており、積極的な整流をしようとしている。モノコック上面に設けられた大きなレギュレーションフィンがそれを証明している。

 多少話が逸れるが、'98年にマクラーレンが採用してきたこのレギュレーションフィンは「モノコック上面の高さを抑えるため」と安直に解釈されがちであるが、実はそれは正解ではない。
  なぜなら、コクピット開口部の縁の高さに最低550mmという規則があるからだ。そこから常識的なデザインをする限り、他チームと比べて大幅に低いモノコックを作成することはほぼ不可能だ。(そんな中、2000年型ジョーダンEJ10は巧みに上面を凹凸させてかなり低いモノコックを実現させてみせたが)

 この場合問題となっているのは、モノコック側面の平面規定である(「モノコック先端から後方に65cmの部分にかけては、前端で25cmからテーパー状に後端で35cmという、地面に対して垂直の面がなくてはならない」)。
 この規定によって、ノーズ上面の高さを抑えればモノコック底の造形に制限が出てくる。逆に、ノーズ下の空力を優先してデザインすると、上面の高さを上げなければならない、というジレンマが発生した。

 そこで、ノーズ上面にフィンを設けることで側面の平面を確保しつつ、ノーズ上面の高さを抑えた断面積の小さなモノコックを可能にしたのが'98年チャンピオンマシンのMP4/13だったわけだ。

 しかし、ハミディのA21は他チームと比べても大きなフィンを持っている。それだけ、積極的な空力処理を行ったことがここからわかるわけである。

 さあ、次回はついに彼らのマシンが実戦で激突することになる。

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