Vol.27 : Tendency of Each Team
in '83 (written on 2.Jun.1998, corrected on 10.Oct.1998) | |
フラットボトム規制元年、'83年シーズン。 ブラバムのゴードン・マーレイがスッパリとベンチュリーを諦めて超ショートサイドポンツーン(*注1)で大成功をおさめる一方、ロータスのジェラール・デュカルージュがフラットボトム下でもベンチュリー効果(*注2)を発生させる「ディフューザ」という空力デバイスを導入していました。 ベンチュリーカーを禁止するはずのフラットボトム規制の施行からわずかに数カ月で早くもベンチュリー効果が復活してしまったのです。なんとも凄まじい開発スピードです。 では、他のチームの動向はどうだったのでしょうか?見ていくことにしましょう。 | |
・ルノー | |
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まずはターボの先駆者、ルノー。 前年度まででV6ターボも素晴らしいパワーを発揮するようになっており、必勝を期したシーズンでした。 ミッシェル・テツがデザインしたRE40は、マクラーレンやロータスに続いてカーボンファイバーモノコック(*注3)を導入した意欲作でした。 |
ダウンフォース関係の工夫としては、エンジンの排気をフラットボトム後端から上に向かって排出することで、なんとかベンチュリー効果を得ようとしていました。この効果は甚だ疑問ですが (^^;。 ルノーの場合は、ブラバムのコンパクトな直4ターボエンジンとは違い、補器類を納めるために大きなスペースを必要とされるV6ターボエンジンだったために、ベンチュリーをバッサリと切り捨てたアロウシェイプのような思い切りの良いデザインをできず、長いサイドポンツーンにせざるを得なかった、という都合もありますね。 | |
このルノーRE40を駆ってデビュー4年目のシーズンに挑んだアランプロストは、シーズン前半、快調に処理を重ね、ランキングトップをひた走ります。 ところが、中盤から特殊燃料によって大幅にパワーアップしたBMWエンジンに助けられてブラバムのピケが猛追してきます。 そして第12戦のオランダGPでプロストはピケに接触。それが原因で両者ともリタイヤとなってしまったのですが、これによって流れは完全にピケのものとなりました。 プロスト2ポイントリードで迎えた最終戦南アフリカ。プロストはターボのトラブルでリタイヤ。一方ピケは悠々と3位に入賞し、プロストの夢はあえなく潰えたのです。 この後、ルノーはチャンピオンをとれなかった戦犯がプロストであるとして、全ての責任を擦り付けて放出してしまいます。プロストはマクラーレンに移籍します。しかしルノーのその措置が誤りであった事は翌年、グランプりの結果が証明する事になったのです。 | |
・ATS | |
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小さなチームだったATSのデザイナー、グスタフ・ブルナー(現ミナルディ)は当時からシンプルなマシン作りが信条でしたが、この年のマシンATSD6もまさにそんなマシンでした。 |
小さなチームながらもカーボンファイバーモノコック導入を決意したブルナーは、カーボンモノコックのさらなる簡略化を目指しました。 | |
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それまでのマクラーレンらのカーボンモノコックは型の外側に樹脂を張り込んでモノコックを形成する、いわゆる「オス型成形」が主流でした(ロータスだけは一体成形しない特殊な方法)。 そこでブルナーは逆に、型の内側に樹脂を張り込んでいってモノコックを形成する「メス型成形」にトライしました。これならば、たしかにバルクヘッドの張り付けが弱くなり、強度の心配が残りますが、別個にカウルを必要としないモノコックとなります。 |
ATS自体はチームが小さいこともあって成功をおさめることはできませんでしたが、実は今のF-1マシンは全てこの「メス型」です。「オス型」よりもより自由な成形が可能で、ハイノーズ全盛の現在には適しているからです。 | |
・フェラーリ | |
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ルノーと同じくV6エンジンのフェラーリのハーベイ・ポストレスウェイトがデザインした126C2Bも、やはり長いサイドポンツーンにせざるを得ませんでしたが、こちらはベンチュリー効果にはもはやこだわらず、前後のウィングでダウンフォースを稼ごうとしました。 その結果生まれたのがウィングレットです。 |
規制が及ばない範囲に翼端板を延ばし、その外側に小形のウィングを取り付けたのです。これはメインのリヤウィングへの整流効果もあり、意外に大きな効果を得ることができました。これはすぐに他のチームも模倣することになりました。 | |
またこの年の第9戦より投入された126C3からはルノー同様のカーボンファイバーモノコックを導入。しかもこのモノコックは先のATSと同様の最新トレンドであるメス型カーボンモノコックとなっていました。 そして安定した成績を残したフェラーリは、ドライバーズポイントこそルネ・アルヌーが3位、パトリック・タンベイが4位だったものの、2年連続のコンストラクターズチャンピオンに輝くことになったのです。 | |
・トールマン | |
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トールマンチーム(現在のベネトンチーム)はプライベーターのハートのターボエンジンとともに'81年にデビューしたばかりの注目すべき新進チームでした。 しかし、'82年の9月に堂々と発表したデザイナーのロリー・バーン(現フェラーリ所属)の自信作であったベンチュリーカーは、そのわずか数週間後に発表された「フラットボトム規制」により、大幅な変更を強いられる事になります |
バーンは、フラットボトム規制の及ばないフロントタイヤの後端より前の部分にラジエターを内蔵した巨大なベンチュリーを構成することで、フロントでダウンフォースを得ようとしました。(写真は翌年の前半に使用されたセナのデビューマシンTG183B。フロントウィングではなく「フロントベンチュリー」になっている。) しかしながら、この試みは失敗で、マシンの姿勢変化に非常に敏感だったこと、また、フロントに巨大なダウンフォースが発生してしまうために、リヤとのバランスをとるのが困難で、非常にセッティングのしにくいマシンとなってしまったのでした。 | |
・ウィリアムズ | |
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前年度のドライバーズチャンピオン、ケケ・ロズベルグ(今はハッキネンのマネージャですね)を輩出したウィリアムズは、というと、成功作となった前年度のマシンFW08をフラットボトム規制に合わせた程度、という消極的なマシンでした。モノコックもカーボンンファイバーではなく、相変わらずアルミハニカムモノコックでした。 |
テクニカル・ディレクターのパトリック・ヘッドも、ベンチュリ−効果をすっぱりと切り捨てた一派でした。FW08も非常に短いサイドポンツーンに改造されていました。 この年ウィリアムズは依然としてコスワースのDFVエンジンを使用しており、シーズンが進むにつれ、ターボエンジン勢に押され気味の戦いを強いられ、ウェット路面をドライタイヤでギャンブルしたモナコで一勝を挙げるに留まりました。 しかしながら、だからこそ、「前年度のチャンピオンがフロックである」と言われたロズベルグの激しい走りが再注目される事にもなりました。 | |
このように各チームの動向を見てみますと、空力上決して積極的な対策をしたわけではないルノーやフェラーリが活躍したことから、もはやターボエンジンでなければ勝てない、という風潮が漂いはじめていたことがわかります。 実際、シーズン途中から前号で取り上げたロータスもルノーエンジンを搭載しましたし、ウィリアムズもホンダを、マクラーレンもTAGポルシェを搭載しはじめ、もはやF-1はターボエンジンのパワーゲームに突入しようとしていたのでした。 | |
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ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである(この場合、地面とマシンの間に力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。 ベンチュリーの場合は負圧になる部分のみが存在すれば良く、ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がない。 |
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モノコックはマシンの背骨とも言え、ドライバーや燃料タンクを収める一方、
後部にエンジンが連結されるなど、非常に重要な部分である。ここの強度によってもマシンの操縦性能は大きく変わる。 ベンチュリーカーの時代になって、細くて剛性の高いモノコックが求められるようになり、'81年にはマクラーレンがカーボンファイバーモノコックをF-1で初めて導入し た。 |