Extra Volume: Arrows & Shadow
(written on 13.Aug.1997, corrected on 28.Sep.1998)

 もともとアロウズというチームはシャドウチームに参加していたジャッキー・オリバーとアラン・リースという人物がシャドウから分離して結成したものです('77年12月)。

 シャドウチームというのはなかなか怪しげなチームで、自称((^^;!)元CIAで米海軍将校のドン・ニコルスという人物が設立したチームで、その運営もかなりいい加減だったらしいです。
 で、嫌気のさしたシャドウチームの15名前後のスタッフもオリバーらと行動を伴にし、アロウズへ参加し、その中には'78年用のシャドウのマシン、DN9をデザインしていたデザイナーのトニー・サウスゲートもいた、という訳です。
 で、サウスゲートはその図面をアロウズに持ち込み、これを元にして例のアロウズFA1が完成したというわけです。こうして'78年の第3戦南アフリカGPにFA1はデビューし、R.パトレーゼとR.シュトメルンがドライブしたのです。

 しかし、さすがは自称元CIAのドン・ニコルス (^^;。そのFA1は盗作であり、本来はシャドウのものである、という裁判を起こしたのです。
 で、結局裁判は皮肉にもアロウズに遅れてシャドウがDN9を完成させて酷似したFA1と戦い始めた頃でした。

 サウスゲートはDN9とFA1には100以上の相違点があるから違うマシンだと主張しましたが、ロンドンの高等裁判所は「アロウズFA1は少なくとも40%の部分においてシャドウDN9のコンポーネントを用いており、同一のモデルだと認められる」という、シャドウの全面勝訴の結論を下したのです。
 で、アロウズはFA1の製造を禁止され、完成していたシャシーもシャドウ側に引き渡さなければならなくなりました。

 しかし、サウスゲートも裁判に負けることは最初からわかっていたようで、FA1の代替マシンA1の設計に早期にとりかかっています。とは言ってもFA1からDN9との共通部分を減らす程度のものだったのですが。そしてA1は裁判が終わった直後の8月13日の第12戦オーストリアGPに間に合ったのです。

 この直後の第14戦のイタリアでA1に乗ったパトレーゼは予選12番手からスタートしたものの、直後、ウルフのジョディー・シェクターと絡み、多重クラッシュの原因を作り、ロータスのロニー・ピーターソンの死亡事故のきっかけとなってしまったのです。
 本当にパトレーゼが悪かったのかどうかなどという論議はレースなのですから意味をなしません。しかし、当時はパトレーゼは危険なドライバーというレッテルを貼られ、随分と叩かれたようです。(まさかその彼がF-1最多出場ドライバーとなろうとは当時の人々は全く想像できなかったのではないでしょうか?)

 この大変不幸な事故は、以降のアロウズのいく様を暗示しているかのようでした。アロウズの独立の金銭面を支えた銀行家フランコ・アンブロシオが(FA1のFAは彼の名前からとっているのです)事業に行き詰まり、なんと鉄道のレールに括つけられた恰好で保護される。
 ジャッキー・オリバーの友人が大量のコカインを所持していたのを発見される。
 たしかにこれらの事件はアロウズとは直接の関係はありませんが、チーム創設直後の盗作裁判といい、なんともスキャンダラスな匂いがしますよね。

 で、それ以降は堅実なチーム運営となり、良くも悪くもなくグランプリシーンを生き伸びてきたのです。

 しかし、TWRに買収され、ジャッキー・オリバーら創設当時からのメンバーが離れたものの、創設から19年もの間GPを戦ってきて未だに優勝がないというのは、(パトレーゼが一度っきりポールポジションをとっていますが)F-1の歴史の中でも未勝利記録の金字塔と言えるでしょう (^^;。
 '97年のハンガリーでは非常に惜しいことをしましたが。

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