Team: Toleman Hart
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Grand Prix | Qualify | Final | ||
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Round.1 | Brazilian | 16th | DNF | |
Round.2 | South African | 13th | 6th | |
Round.3 | Belgian | 19th | 6th | |
Round.4 | San Marino | DNQ | ||
Round.5 | French | 13th | DNF | |
Round.6 | Monaco | 13th | 2nd | |
Round.7 | Canadian | 9th | 7th | |
Round.8 | U.S.A. East | 7th | DNF | |
Round.9 | U.S.A. | 6th | DNF | |
Round.10 | British | 7th | 3rd | |
Round.11 | German | 9th | DNF | |
Round.12 | Austrian | 10th | DNF | |
Round.13 | Dutch | 13th | DNF | |
Round.14 | Italian | DNE | ||
Round.15 | European | 12th | DNF | |
Round.16 | Portuguese | 3rd | 3rd | |
DNE : Do Not Entry, DNQ : Do Not Qualify, DNF : Do Not Finish (Retire)
セナのF-1デビューシーズン'84年。
前年改良型のTG183Bで臨んだ地元での開幕戦は予選16番手に沈み、決勝もマシントラブルでリタイヤ第一号となってしまう幸先の悪いスタートであった。
翌戦のベルギーでも連続6位入賞となったセナだが、サンマリノではタイヤメーカーのピレリとチームとの契約問題でタイヤ供給にトラブルが生じ、生涯で唯一の予選落ちの屈辱を味わう。
そして、この年のハイライトとなるモナコGPを迎える。
その後も、大メーカーワークスのターボエンジンを向こうに回しての奮闘が続く。2ヒート制となったイギリスではこの年無敵であったマクラーレンの2台に続く3位表彰台を獲得。 新人らしからぬ素晴らしい活躍に、トールマンとの3年契約があるにも関わらず、トップチームへの移籍が急速に現実味を帯びてくる。そして第13戦のオランダGPでロータスへの移籍を発表。だが、その罰則として、翌戦イタリアGPの出走を停止させられた。だが、彼のキャリアにとっては成功のための出走停止に他ならなかった。 最終戦ポルトガルGPは、予選から絶好調。3番グリッドを獲得し、チームも優勝を狙う雰囲気になる。結局ドライバーズタイトルを争ったプロスト、ラウダの2台のマクラーレンの後ろで3位となったが、そのタイトル争いの横で、次代チャンピオンとして強烈なアピールを果たし、翌年のロータスでのシーズンに臨むことになった。 |
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85 season > |
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