- 1988 Round.15 Japanese GP - (written on 15th.Sep.2000) |
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1.初タイトルを目指した'88年シーズンの激闘
ターボF-1最後の年'88年は完全にマクラーレン・ホンダの独壇場となった。16戦15勝15ポールポジション、そして10回の1-2フィニッシュ。全く文句のつけようのない強さである。「マクラーレン退屈症候群」という言葉まで生まれたほどだ。
当然、この年のドライバーズチャンピオンはマクラーレンのドライバー二人の間で争われた。いわずもがな、アラン・プロストと、アイルトン・セナである。「退屈症候群」と言われながらも、この二人の戦いは激しく素晴らしいドラマを演出した。
先行したのはキャリアでもチーム内でも先輩であったプロストだ。
第13戦のポルトガルではセナはホームストレートでプロストをピットレーン近くまで幅寄せするという危険な行為を行っている。勝負のためならなりふり構わない彼の「鬼」の部分を垣間見るシーンであったが、結局このポルトガルとスペイン、精彩を欠いたセナはチャンピオン決定を目前にしながらプロストの連勝を許した。
だが、先にも見たように、タイトルを目前にしながらも、セナは大きなプレッシャーの中にあった。そして、この日本GPを落とせば一挙に不利な形成に追い込まれることもわかっていた。
2.致命的に出遅れたセナ
いよいよ迎えた鈴鹿サーキットにおける第15戦日本GP。
だが、スタートまでにはそれも収まり、各車ドライタイヤでグリッドにつく。決戦の時は、来たり。
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だが、これが致命的な遅れであることに何の変わりもなかった。セナが再発進した時にはプロストは悠々と1コーナーに突入し、セナは1コーナーの時点でなんと14位にまで順位を下げていた。 勝負、あったか...? 3.チャンピオンを賭けた鬼神の追い上げ
2位ベルガーとの差を保ってプロストが悠々とトップを走る。
加えて、セナは前を追うためにターボのブースト圧を上げて走っていた。当時はターボ車に対し、150リットルという厳しい燃費規制が施されていた。燃費無視の全開走行はガス欠を招く自殺行為ともなりかねなかった。
鈴鹿に小雨が降ってきた。
だが、それは一瞬の出来事に過ぎなかった。再び加速力を取り戻したプロストが1コーナーまでに再びカペリをかわし、トップに立ったからだ。
しかし、27周目の終わり、シケインを立ち上がったプロストの前方を、周回遅れのチェザリスとグージェルミンが塞いだ。プロストの加速が遅れた! |
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4.「神を見た」アイルトン・セナ、戴冠の時
ついにトップに立ったセナ。だが、彼はここからゴールまでひた走れば良かったというわけではない。先にも言った、燃費の問題である。ここまでハイペースで飛ばしてきたセナはプロストよりも多くの燃料を消費していた。
ところが、セナには思い掛けない援軍があった。雨である。レース前半から降り続いていた霧雨が、徐々にその強さを増してきていた。これはペースの低下を招き、そして、燃費には良い影響を与えたのだ。
加えて、雨を得意とするセナにとってはまさに恵みの雨であった。
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...果たしてそうだったのだろうか?
筆者は、もしセナがレースにおいて神の力を借りるために神を信じていたのなら、彼はこうした強靱な精神力を持ったドライバーにはなれなかったと思っている。
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