- 1989 Round.15 Japanese GP - (written on 18th.Jan.2000) |
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筆者にとって、セナは、F-1を語る上で絶対に避けて通ることのできない大きな存在である。筆者はセナの走りを見てF-1の素晴らしさを知り、虜になっていったからだ。
セナファンにとっては、このレースは本来、決して良い思い出ではないだろう。なぜなら、セナは素晴らしい走りを見せてトップでチェッカーを受けながら、失格裁定を喰らい、その年のタイトルを逃すことが決定的となってしまったレースであるからだ。 しかし、セナの走りは本当に鬼気迫るものであった。まだ「F-1に興味がある」程度であった筆者をF-1の奥底へと引きずり込むには十分すぎるほどの鮮烈さを放っていた。 さて、まずはこのレースを前にした状況を振り返ってみよう。
プロストはサンマリノGPでセナが紳士協定を破ったとして激昂。これはセナに対する精神的攻撃の意味もあった。それほど、セナの成長が著しかったのだ。しかし、その結果彼らにチームメートとしての会話はなくなった。さらに、プロストはセナをひいきした(少なくともプロストはそう感じたであろう)チームに対して批判を繰り返し、既にフェラーリへの移籍を決めていた。
チャンピオンシップポイントを見てみよう。
どちらにしろ、セナには2連勝しかなかった。セナは、ただならぬ覚悟でこの鈴鹿に乗り込んできていたのだ。 |
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そして始まった予選、セナは凄まじいまでの気迫を見せつける。土曜までの全てのセッションでダントツのトップタイムを叩き出し、最終的には2位プロストに1.7秒もの大差をつけポールポジションを獲得したのだ。 |
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しかし、プロストはあくまでも冷静であった。彼にとっては何秒離されようが、2番グリッドを獲得したことが重要であった。
凄まじい緊張感の中、決勝を迎える。
スタート!! |
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アウト側の2番グリッドからプロストがスルスルと抜け出す!
これこそがプロストの狙いであった。
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さらに、プロストはここぞとばかりに思いきりスパートをかけた。セナは抜き返すどころか、じりじりと引き離されていく。わずか6周で4秒差。
誰もが勝負あったと思った。
しかし、セナはまったく勝負を諦めてはいなかった。
だが、抜けない。コーナーでぴったりとついても、ストレートではプロストが伸び、どうしても前に出られないのだ。依然としてレースはプロストの掌の上にあった。
そして運命の47周目、勝負をかけたセナは、あの超高速コーナーの130Rで、異常なほどプロストに食い付いて立ち上がり、シケインに向かう。
さらに加速したセナはプロストのインにマシンをねじ込んでいく!
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しかし。
次の瞬間、車載カメラに再びプロストのマシンが飛び込んできて、大きく画面がぶれた。
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プロストのマシンはさほどダメージはないように見えたが、彼はすぐに、シートベルトを外し、マシンを降りた。既に、勝負がついたと言わんばかりに。
むしろ、ダメージが大きかったのはセナの方だった。プロストの右前輪によって、左のフロントウィングを潰されていたのだ。
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再び走り始めたセナのマシンであったが、ズルズルとフロントウィングを引きずるうち、完全にもげてしまった。残りは6周。セナはやむなくフロントウィング交換のためにピットに向わざるを得なかった。 そのピットロードには、奇しくも、ピットに向って歩いていたプロストの姿があった。プロストは、全く諦めていないセナの姿を見てか、ピットには戻らず、そのままコントロールタワーに上り、抗議を行った。 |
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ピットに戻ったセナの傷付いたマシンにピットクルーが群がる。セナの気持ちに応えようと、迅速に作業をこなしていく。しかしその間に、1分3秒も後方にいたベネトンのナニーニがホームストレートを通過していった。
だが、ここから再びセナは鬼神の追い上げを見せる。わずか一周で4秒も差を縮めたセナは、次の周なんと、先程プロストと絡んだシケインでためらいもなくナニーニのインに飛び込むと、凄まじい勢いで立ち上がり、抜き去っていった! 奇跡的な逆転で、セナはトップでチェッカーを受けた。 涙を拭きながら、ガッツポーズを繰り返し、セナがウィニング・ランを行う。観客は盛大な拍手で彼を祝った。2年連続で彼は大逆転の優勝を遂げたのだ!誰もがそう思った。
だが、戻ってきたセナからは既に笑顔は消えていた。このまますんなりと正式に優勝が確定するとは、この時点で思っていなかったのであろう。
正式結果のトップには、セナの名前はなかった。
その理由は、シケインのショートカットであった。あれはやむなきショートカットではなかった、と判断されたのである。
しかし、まだF-1を深く知らなかった筆者にとって、その姿は衝撃以外の何ものでもなかった。
ところで、この後、マクラーレンチームは、セナの失格裁定に対し、取り消しを求めてFIAに提訴を行った。
当時のFIAは、完全にプロスト親派のフランス出身、ジャン・マリー・バレストル会長の独裁であったのだ。セナはドライバー生命の危機と言えるところまで追い詰められてしまったのだった。
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