Lotus Honda
99T

Lotus Honda 99T

 '85年後半からメキメキと力をつけ、'86年にはついにコンストラクターズタイトルを手にしたホンダ。セナは早い段階から、チャンピオンになるためにはホンダエンジンが必要であると感じ、ホンダに、ロータスへエンジン供給するように働きかけてきた。

 念願叶ってホンダエンジンが供給される'87年。ジェラール・ドゥカルージュ率いるロータス側も車体側で大きなトライに打って出た。創設者コーリン・チャップマンの遺産とも言えるアクティブサスペンションの搭載である。
 これはこれまでのコイルスプリング部分に変わり油圧のアクチュエータが搭載されたもので、路面からの入力をコンピュータが解析してこのアクチュエータを動かすことで、空力的に理想的な姿勢を保ちつつ、タイヤの性能を限界まで引き出そうという大掛かりなシステムであった。前年度コンストラクターズチャンピオンのウィリアムズを破るために、非常に意欲的な試みをしてきたと言えよう。

 一方でサスペンションとエンジン以外のシャシー自体は前年型の98Tから大きな変更はなかった。相変わらずカーボンファイバーシートを折り畳む独特の背の高いモノコックで、メス型のプリプレッグのカーボンモノコックでかなり低重心化を進めていたウィリアムズに比べると見劣りするものになりつつあった。実際、空力性能はウィリアムズよりもかなり遅れていたと言わざるを得ない。

 しかし、99Tの致命的欠点となったのは皮肉にも最大の武器のはずだったアクティブサスペンションであった。長い開発機間を経て投入されたアクティブサスであったが、まだその機能、信頼性とも未発達で、しかも致命的に重かった。

 アクティブサスに足を引っ張られながらもセナは、それでもホンダパワーに支えられて1つのポールと2回の優勝を飾り、シーズン中盤まで時にはランキングトップを引っぱりながらタイトル争いに踏みとどまってみせた。
 だが、結局ランキング3位に終わることになったこのシーズン中、セナは、ロータスではチャンピオンになれないことを悟る。そして、F-1界で最もプロフェッショナルなチームと言われるマクラーレンへの移籍を、ホンダエンジンとともに決めたのであった。それは、後の宿命のライバルの待つチームへの移籍を意味する。

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