1. ブラジルGP コースレビュー & ヒストリー
* * * 悲劇のヒーロー、カルロス・パーチェ * * *
過去のブラジル人のF-1ヒーローと言えば、圧倒的な人気を誇るアイルトン・セナに、彼と同じ3回のタイトルを獲得したネルソン・ピケ、そして何と言っても、彼らの先駆けであるエマーソン・フィッティパルディらが挙げられよう。
だが、このブラジルGPが「カルロス・パーチェ」の名を冠せられたサーキットで開催される以上、彼について触れないわけにはいかない。
カルロス・パーチェは1972年、ウィリアムズがエントリーしたマーチからデビューした。その年は、同じブラジルのエマーソン・フィッティパルディがロータスに乗り、25歳で史上最年少チャンピオンを獲得した年でもあった。パーチェは27歳だった。
しかし、プライベーターであるウィリアムズからの参戦ながら、初年度から2回の入賞を果たすなど才能を見せつけたパーチェは'74年半ばに、トップチームの一つであるブラバムに移籍するチャンスに恵まれる。
ブラバムチームは、現在ではF-1の全てを牛耳っているバーニー・エクレストンが、創始者のジャック・ブラバムからチームの全権を譲り受けて間もない時期であった。
エクレストンは新進気鋭のデザイナーであるゴードン・マーレイにマシン製作を任せた。後に「鬼才」として名を馳せることになるマーレイは非常にコンパクトで堅牢な「ピラミッドモノコック」を持つBT42という優秀なマシンを製作し、その期待に応えた。
パーチェが移籍してきた頃には、マーレイのマシンはBT44という進化型となっており、非常に熟成された素晴らしいマシンになっていた。彼はいきなりトップドライバーの仲間入りを果たした。
そして翌'75年、インテルラゴスサーキットで行われた地元ブラジルGPでパーチェは、同郷にして前年度チャンピオンのエマーソン・フィッティパルディとのバトルの末に、念願の初優勝を飾り、サーキットは興奮のるつぼと化した。彼はサーキットのあるサンパウロの出身であったのだ。
ところが、翌'76年からアルファロメオエンジンに替えたチームは不振に陥る。だが、人柄が良いことでも知られた彼は、辛抱強くアルファエンジンの熟成に努力した。そして'77年の開幕戦アルゼンチンでは2位になるなど、ブラバムは確実にトップグループに復帰しつつあった。
だが第3戦の後、悲劇は突然訪れた。彼と友人の乗せた軽飛行機は、チームスタッフの目の前で墜落し帰らぬ人となったのだ....。
そして彼が生涯唯一の、しかし最高の勝利を挙げたインテルラゴスのサーキットは 、彼の死後「ホセ・カルロス・パーチェ・サーキット」の名が冠せられることになったのだ。
* * * ホセ・カルロス・パーチェ・サーキット * * *
'80年代に一時リオ・デ・ジャネイロで行われていたF-1が再びインテルラゴスのサーキットに戻ってきたのは'90年のことだ。
以前のインテルラゴスは8km近い複雑な形状をしたコースだったが、大きく改修された結果、長いストレートにインフィールドを持つ4.3kmのコースに生まれ変わった。
ホームストレートは緩やかな最終コーナーと合わせ、長い全開区間となる。登りのきついエンジンパワーがモノをいうポイントで、1コーナーでは毎年多くのオーバーテークが見られる。
しかしなんと言ってもこのインテルラゴスを特徴付けているのはあまりにもバンピーな路面だ。毎年ドライバーやチームから苦情が出るたびに、鋪装がやり直されるが、一向に良くなる気配がない。マシン自体に高いポテンシャルがなければ、この路面では高い性能を発揮することができない。
それだけではなく、主催者側の体制にも常に不安が残る。昨年などは予選中にホームストレートの看板が落ちてアレジのマシンに直撃するなど、再三赤旗が出るハプニングがあった。
今年も地元出身のバリッケロに「あそこのレースの運営はひどい」「仕方なく行くんだ」とまで言われてしまうほどだった。それほど稚拙な運営なのだろう。
'72, '74年のチャンピオン、フィッティパルディの走りを見てピケやセナらの才能がF-1を目指し、そしてまた彼らチャンピオンの走りに憧れてバリッケロらが現れた。この素晴らしい歴史を誇る、ブラジル人F-1ドライバーの系譜を継ぐ若き才能の芽を絶やさないためにも、早急な改善が求められるところだ。
2.レース・レビュー
* * * 予選 〜 ウィリアムズ勢の台頭 * * *
開幕2戦、完全にフェラーリに遅れをとったマクラーレンは、早速このブラジルに新しいフロントウィングを持ち込んだ。フェラーリ同様により中央部分が大きく湾曲したものである。だがフェラーリらとは違って、中央部分は依然として100mmの高さを保っているようで、むしろ翼端部分を高くしたように見える。
どちらにしても、開幕以来フロントのダウンフォース不足に悩んでいたマクラーレン勢は好調に転じたようで、ここブラジルに入ってからはしっかりトップ争いをするタイムを記録していた。
しかしそれでもやはり速いのはフェラーリだ。秀逸なリヤサスペンションは十分なトラクションを与え、特に曲がりくねったインフィールドセクションで抜群の速さを見せる。
ヘルメットにブラジル国旗をあしらって気合いを入れた地元バリッケロはそれが空回りしたのか6番手に沈むが、シューマッハは圧倒的な速さを見せつけ7戦連続ポールの座についた。
それ以上にセンセーショナルだったのはミシュランタイヤ勢のウィリアムズだった。コーナーの速いフェラーリ勢とは逆に、素晴らしいストレートスピードを見せた彼らは、フェラーリ、マクラーレンのトップ4を完全に切り崩し、ラルフがついにフロントローとなる2番グリッドを獲得。モントヤも予選開始早々にトラブルで止まりながらもスペアカーで4番手に食い込んでみせた。
マクラーレン勢はこのあおりを喰う形で3、5番手に留まることになる。しかし、2位のラルフから6位バリッケロまでの5人はわずかに1秒差に収まっていることから、まさにウィリアムズがトップ2並の速さを身につけつつあると見るべきかもしれない。
* * * 前半戦 〜 大物ルーキー・モントヤ炸裂 * * *
史上初となる兄弟フロントロー独占となったシューマッハ兄弟。世界最高峰のレースで兄弟によるトップ争いが展開されるのだろうか?
しかし、レースはスタート前から波瀾含みだ。
フォーメーションラップの前、ピットクローズまでのインストレーションラップにおいて、バリッケロがトラブルでストップ。急遽シューマッハ用のスペアカーで決勝に臨むことになってしまった。
さらに、スタートでもハプニングが起こる。3番グリッドにつけたハッキネンに突然クラッチトラブルが襲い、エンジンがストールしてしまったのだ。なんとこれでハッキネンは開幕3戦でわずか1ポイント。昨年よりも深刻な開幕ダッシュの失敗である
一方ミヒャエルは順当に飛び出してトップで1コーナーに飛び込む。だがラルフは遅れ、モントヤ、クルサード、トゥルーリにまでかわされ5位まで落ちた。
ところが、トラブルでマシンを降りたハッキネンが、外したステアリングを元に戻さなかったためにマシンの撤去が遅れ、3戦連続のセーフティカー導入となってしまった。ハッキネンは5000ドルの罰金の憂き目にあった。
セーフティカーランはわずかに1周で終わり、すぐにリスタートが切られた。ここで、2番手につけていたルーキー、モントヤがウィリアムズのトップスピードを生かして一挙にシューマッハにしかけた。さすがは、セーフティカーランが多いCARTの元チャンピオンである。
|