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2001 Round.1
Australian
4th.Mar.2001

Autralia
Albert Park
Albert Park



1. オーストラリアGP コースレビュー & ヒストリー

* * * 不屈のオーストラリアンドライバー、ジャック・ブラバム * * *

 オーストラリアGPの歴史は比較的浅く、アデレードで開かれた1985年が最初のものである。
 しかし、それよりもはるか前に大活躍をした偉大なドライバーがいる。それが'59, '60, '66年と、3度のチャンピオンに輝いたジャック・ブラバムである。

 メカニックを経験してドライバーになった叩き上げ型のブラバムのドライビングテクニックは、ジム・クラークのように天才的なものではなかった。また、多くを語らないそのスタイルは決してスターと呼べるような華やかなイメージではなかった。
 しかし、彼は他のどのドライバーよりも「理想の車とは」という明確なイメージを持っていたようだ。そしてそうした車を作り上げる才能も持っていた。

 彼が'59, '60年と2年連続のチャンピオンを獲得したクーパー・クライマックスのマシンはF-1史上初のミッドシップエンジン搭載マシンだった。それまでフロントエンジンの大柄なマシンが主流だった中で、小柄で敏捷なクーパーが勝利したのは痛快ですらあった。
 だた、これに乗っていたのがブラバムでなかったら、ミッドシップマシンの大成は、もう少し遅かったかもしれない。


 ブラバムはその後、初めてチームを興したドライバーとなった。チームの代表者でありながら、現役でレースも続けたのである。だが、優勝からは'60年を最後に5年間遠ざかることになる。

 しかし、排気量規定が3リッターに変更されて各チームの体制が不安定になったのを尻目に、ブラバムは信頼性が高く扱い易かったレプコエンジンを真っ先に搭載し、シーズン中盤に4連勝して見事にチャンピオンに返り咲いたのである。
 ビジネスマンとしても抜け目なかったブラバムの面目躍如たるタイトル獲得劇であった。


 だが、ブラバムを語る時に最も的確に表す言葉は「不屈」という言葉かもしれない。彼はとにかくタフなドライバーだった。3度目のチャンピオンを獲得した時には既に40歳だったことからもそれは理解できるだろう。
 そして彼は44歳の'70年の最終戦まで現役で走り続けた。そのレースでも彼は予選4位からスタートして3位を快走していたのだ...。

 74歳となった彼は今も元気に存命である。昨年の日本GPにはホンダのセレモニーにゲストとして招かれ、RA272をドライブしたことも記憶に新しい。本当に、凄い男である。


* * * 悲劇のタイヤバースト * * *

 オーストラリアGPで最もインプレッシブだったのは、やはりアデレードでの'86年最終戦であろうか。

 このレースを迎えるにあたり、この年のドライバーズチャンピオン争いはマンセル(70点)、プロスト(64点)、ピケ(63点)の3人に絞られていた。
 だが、プロストとピケは優勝が絶対条件で、マンセルは3位に入りさえすれば他のドライバーの結果に関わらずチャンピオンが決定するというマンセル絶対優位という状況だった。そして、それまで9勝を挙げていたウィリアムズ・ホンダのマシンならそれは雑作もないことに思えた。

 レースは気温が高く、タイヤの消耗がキーとなる難しいレース展開となった。チームメート、プロストのために捨て身覚悟でトップを爆走したロズベルクも、案の定タイヤトラブルでストップした。
 そんな中、マンセルは堅実に行けば良かった。早めにタイヤ交換を済ませたプロストには抜かれたが、自分のペースで3位をキープしていた。

 ところが、マンセルのタイヤは予想以上に蝕まれていた。300km/h近いスピードの出るストレートで突然左リヤタイヤがバーストしたのだ。
 天才的なコントロールでクラッシュを回避したマンセルだったが、一挙に形成は逆転してしまった。

 マンセルを見て急遽タイヤ交換に入ったピケを尻目に、プロストは悠々とトップを走った。ピケの猛烈な追い上げを振り切ってプロストが優勝。大逆転でチャンピオンを獲得したのだ。


* * * 美しい緑と水に囲まれたアルバートパークサーキット * * *

 アデレードの市街地コースは、ハイスピードで魅力溢れるサーキットとして評判も高かったが、'95年を最後に、現在のメルボルン・アルバートパークへと舞台を移すこととなった。

 しかし、アルバートパークという国営公園の外周道路を利用したサーキットもまた全開率が高く、非常に高いアベレージスピードを誇っていて、コーナーも多彩でドライバー達の評判もなかなか上々であった。
 だが、非常に美しい風景とは裏腹に、パーマネントサーキットではないために、路面状態は必ずしも良くなく、ストップアンドゴーでブレーキの消耗も激しい、マシンに負担のかかるサーキットでもある。ただ、アップダウンが少なく、平坦であることも特徴だ。

 また、自然保護団体による反対運動も根強く、今回も抗議団体がサーキットに現れていたようである。

 それにしても今後、F-1はどう環境と折り合いをつけていくのであろうか?自動車業界の象徴としてそうした風潮に適応していくのだろうか、それとも孤高の「エンターテイメントショー」として今の路線を貫くのであろうか...?


2.レース・レビュー

* * * 予選 〜 速さにおいても圧倒しはじめたフェラーリ * * *

 ここ3年間、開幕戦のフロントローを独占し続けたのはマクラーレン。それは、開幕の段階から非常にマシンの完成度高く仕上げて来るマクラーレンの技術力の高さ、そしてマシン自体が持っているスピードを如実に示すものであった。

 ところが、今年はまるで様相が違う。シューマッハが、マシンが数回転する大クラッシュを演じたり、バリッケロがエンジントラブルに見舞われたりしたものの、フリー走行の段階から、良いタイムをたたき出していたのはむしろフェラーリの方だったのだ。

 予選に入っても完全に流れはフェラーリである。昨年までのように速さでひけをとることがない。どのパートでもコンスタントに速いのだ。中盤にはシューマッハが昨年のハッキネンのポールタイムを3秒半上回る圧倒的なタイムをたたき出す(ただし、これは昨年までFIAの要請でブリヂストンタイヤの性能が抑えられていたことももちろん考慮に入れていただきたい。大幅なタイムアップはタイヤ戦争によるところが大きい)。

 マクラーレン勢も精力的にタイムアタックを行うが、どうにもタイミングが悪い。ハッキネンが第2セクターまでベストをマークしていたアタックはブルチのクラッシュによる赤旗によって台なしにされてしまった。

 それどころか終盤、バリッケロが2番手となるタイムを叩き出し、フェラーリがフロントローを独占してしまったのだ。
 さらに、どうにもタイムを出せなかったクルサードは、ホンダワークスエンジンを得たフレンツェンにも敗れ、5番手に甘んじることになってしまったのだ。戦術面などで遅れを取るマクラーレンにとっては厳しい開幕グリッドとなった。
 オフのテストでも速さでは素晴らしいアドバンテージを持っていると見られていただけに、ショックは大きい。


* * * 前半戦 〜 序盤から波瀾含みの開幕戦 * * *

 華やかな舞台は世紀をまたぐことになった。美しいメルボルンパークはその舞台に相応しいのではないか、とさえ思えた。さあ、いよいよ21世紀初のグランプリのスタートだ。



start


 ポールポジションのシューマッハは真っ直ぐに飛び出す。しかし、2番グリッドのバリッケロは完全にスタートを失敗した。3番グリッドのハッキネンはシューマッハの後ろに張り付くようにして飛び出し、2番手に上がる。だが、シューマッハに並びかけるには至らない。
 バリッケロは集団に飲み込まれ、フレンツェンやラルフらにも抜かれて5位まで落ちた。そのあおりを食う形でクルサードもトゥルーリの後ろ、7位にまで落ちた。



 だが、ラルフの履くミシュランは序盤が苦しいようだ。きついアンダーステアに苦しめられて、2周目であっという間に7位まで転落する。


 3位を快走するフレンツェン。第3期ホンダ初の表彰台に驀進するかに見えた。しかし、それはたった2周の夢に終わる。3周目、4位に上がりファステストラップを出して追ってきたバリッケロに多少強引に追い越しをかけられて接触し、コースアウトしてしまったのだ。
 フレンツェンは14番手にまで順位を落とし、表彰台は絶望的になってしまった。昨年のイタリアGPの事故でも因縁のある二人だけに、また遺恨を残すことになりそうだ。

 しかし、ホンダにとってさらにショッキングな画像が飛び込んでくる。ラルフにしかけたヴィルヌーブのマシンがラルフのリヤタイヤに乗り上げて飛び上がり、フェンスに激突する激しい大クラッシュを演じてしまったのだ。

crush

 この事故に関してはまた総括で触れることにしよう。事故の影響で10周の長きにわたってセーフティカーの先導による周回となった。


* * * 中盤戦 〜 ハッキネン、またしても開幕戦は脱落 * * *

 セーフティカーが抜けた再スタート後も、やはりトップの2台が抜け出してバリッケロ以下の後続を一挙に引き離していく。

 だが、20周を過ぎた辺りからハッキネンのタイムがばらつき始め、徐々にその差が開きつつあった。



Mika out


 そんな26周目、突如ハッキネンがクラッシュでリタイヤする。奇妙なスピン。サスペンション、あるいはブレーキのトラブルであろうか?ハッキネンにとっては3年連続で厳しい開幕戦となった。




 シューマッハはハッキネンが消えて一挙に楽になった。2位バリッケロに10秒の差をつけて悠々とトップを走る。途中、ロス・ブラウンと奇妙なサインを送るシーンもあったが、その走りには全く不安が見られない。

 一方ハッキネンの脱落によって、ホンダ勢もトゥルーリが4位、パニスが5位と上がってきた。しかし32周目、トゥルーリはエキゾーストパイプにひびが発生してパワーダウンし、脱落していく。
 こうして、昨年プロストで辛酸をなめた'99年度国際F3000チャンプのハイドフェルドが5位に上がる。今年のザウバーは見かけは無骨で不格好だが、かなり軽量でコンスタントな走りをするようである。



David over take


 さらにトップグループにも動きが見られる。34周目、ずっと接近戦を続けていたクルサードが、ペースの上がらないバリッケロを抜いて2位に上がった。
 だが、既にシューマッハは既に15秒も前方であった。




* * * 終盤戦 〜 シューマッハ、圧巻の5連続ポール・トゥ・ウィン * * *

 トップチームはほとんど1ストップを選択したピット戦略。38周目に入る-ところでシューマッハがまずピットイン。ここでトップに立ったクルサードは実質上の差を縮めようと、懸命に飛ばした。
 その努力のおかげで、確かに差は縮まった。しかし、それでもクルサードが41周目にピットインした後の差は依然として10秒あった。

 一方、大物ルーキーと言われる、'99年度CARTチャンピオンのモントヤは40周目にエンジントラブルでリタイヤしていた。ドライバーは初グランプリを無難にまとめていたが、BMWエンジンはかなり攻めの開発をしているようで、音を上げてしまったようだ。

 終盤、スピンから這い上がってきたフレンツェンが5位を走るハイドフェルドに迫る。なんとか仕掛けようとするが、抜けない。最後の見せ場であったが、結局そのままゴールすることになった。



David's over take


 シューマッハは最後はペースを落とし、クルサードに1秒台まで迫られたが、全く危な気なくポール・トゥ・ウィンを決めた。チャンピオンらしい、素晴らしい勝利である。これでなんと、昨年から5戦連続のポール・トゥ・ウィンである。
 追い上げたクルサードだったが、結局、スタートの駆け引きに失敗したツケが最後まで響いた。ペースが上がらなかったバリッケロだが堅実に3位を確保してみせた。



 一方で、復帰戦を見事に4位でゴールしたパニスは、黄旗追い越しのペナルティで25秒を加算され、7位になってしまった。
 結果、ハイドフェルドが4位、フレンツェンが5位、そしてルーキーのライコネンが見事にデビュー戦6位入賞を果たした。


3.NOBILES Eye

* * * 驚くべきフェラーリの強さ * * *

 正直、開幕戦でのフェラーリの強さには驚いた。今年のマクラーレンのマシンは非常に洗練されたマシンで、かなり速さでアドバンテージを有しているのではないかと筆者は予想していたが、フェラーリF2001が、昨年と比べてもはるかに完成度の高いマシンに仕上がっていたとは衝撃ですらあった。
 これほどフェラーリが強いとなると、筆者の予想も大きく変更せざるを得まい。だが、第二戦以降もシューマッハとハッキネンの戦いが中心となるであろうことは想像に難くない。

 それにしても、ウィングに関して大きな変更があったにも関わらず、オーバーテイクシーンはさほど増えないようだ。残念なところである。


* * * 再びマーシャルが犠牲となった大クラッシュ * * *

 昨年のイタリアGPを思い起こさせるようなヴィルヌーブの大クラッシュ...。大幅に強化されたセーフティレギュレーションによって、またしてもドライバーはほぼ無傷で済んだ。それは素晴らしいことだ。
 しかしながら、またしてもボランティアのコースマーシャルが、外れたタイヤの犠牲になった。ホイールとボディをつなぐケーブルを2本に増やして強化されたはずにも関わらず、それを嘲笑うかのような大クラッシュでタイヤが外れてマーシャルを直撃したのである。

 ここ数年、セナやラッツェンバーガーらの事故を教訓に、事故時にドライバーを保護するべく、大幅にレギュレーションが改定されてきた。しかしながら、マシンのスピードは上がる一方にもかかわらず、その周りのサーキットの安全性に関してはほとんど変化がなかったと言って良い。
 そんな中、わずかな期間に二人もの尊い勇気あるマーシャルの命が奪われてしまったことは、我々モータースポーツファンとしても憂える事態だ。21世紀最初のグランプリでこんな事故が起きてしまったことは、あまりにも悲しいことである。コース側の安全性の早急な改善が望まれる。

 最後ではあるが、亡くなったマーシャル、グラハム・ビバリッジ氏の御冥福をお祈りしたい。




Result
1 M.Schumacher Ferrari 1:38'26.533
2 D.Coulthard McLaren Mercedes +01.717
3 R.Barrichello Ferrari +33.491
4 N.Heidfeld Sauber Petronas +1'11.479
5 H-H.Frentzen Jordan Honda +1'12.807
6 K.Raikkonen Sauber Petronas +1'24.143
7 O.Panis BAR Honda +1'27.050
8 L.Burti Jaguar -1lap
9 J.Alesi Prost Acer -1lap
10 E.Irvine Jaguar -1lap
11 J.Verstappen Arrows Asiatech -1lap
12 F.Alonso European Minardi -2laps
13 G.Fisichella Benetton Renault -3laps
14 J.Button Benetton Renault -6laps (engine)
- DNF -

J-P.Montoya Williams BMW 40laps (engine)

J.Trulli Jordan Honda 38laps (exhaust)

M.Hakkinen McLaren Mercedes 25laps (accident)

R.Schumacher Williams BMW 4laps (accident)

J.Villeneuve BAR Honda 4laps (accident)

T.Marques European Minardi 3laps

E.Bernoldi Arrows Asiatech 2laps (accident)

G.Mazzacane Prost Acer 1lap (Engine)

Fastest Lap : M.Schumacher (Ferrari) 1'28.214 (34lap)

Drivers
Chanpionship
Constructors
Chanpionship
1 M.Schumacher 10 1 Ferrari 14
2 D.Coulthard 6 2 McLaren Mercedes 6
3 R.Barrichello 4 3 Sauber Petronas 4
4 N.Heidfeld 3 4 Jordan Honda 2
5 H-H.Frentzen 2
6 K.Raikkonen 1




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