1. オーストラリアGP コースレビュー & ヒストリー
* * * 不屈のオーストラリアンドライバー、ジャック・ブラバム * * *
オーストラリアGPの歴史は比較的浅く、アデレードで開かれた1985年が最初のものである。
しかし、それよりもはるか前に大活躍をした偉大なドライバーがいる。それが'59, '60, '66年と、3度のチャンピオンに輝いたジャック・ブラバムである。
メカニックを経験してドライバーになった叩き上げ型のブラバムのドライビングテクニックは、ジム・クラークのように天才的なものではなかった。また、多くを語らないそのスタイルは決してスターと呼べるような華やかなイメージではなかった。
しかし、彼は他のどのドライバーよりも「理想の車とは」という明確なイメージを持っていたようだ。そしてそうした車を作り上げる才能も持っていた。
彼が'59, '60年と2年連続のチャンピオンを獲得したクーパー・クライマックスのマシンはF-1史上初のミッドシップエンジン搭載マシンだった。それまでフロントエンジンの大柄なマシンが主流だった中で、小柄で敏捷なクーパーが勝利したのは痛快ですらあった。
だた、これに乗っていたのがブラバムでなかったら、ミッドシップマシンの大成は、もう少し遅かったかもしれない。
ブラバムはその後、初めてチームを興したドライバーとなった。チームの代表者でありながら、現役でレースも続けたのである。だが、優勝からは'60年を最後に5年間遠ざかることになる。
しかし、排気量規定が3リッターに変更されて各チームの体制が不安定になったのを尻目に、ブラバムは信頼性が高く扱い易かったレプコエンジンを真っ先に搭載し、シーズン中盤に4連勝して見事にチャンピオンに返り咲いたのである。
ビジネスマンとしても抜け目なかったブラバムの面目躍如たるタイトル獲得劇であった。
だが、ブラバムを語る時に最も的確に表す言葉は「不屈」という言葉かもしれない。彼はとにかくタフなドライバーだった。3度目のチャンピオンを獲得した時には既に40歳だったことからもそれは理解できるだろう。
そして彼は44歳の'70年の最終戦まで現役で走り続けた。そのレースでも彼は予選4位からスタートして3位を快走していたのだ...。
74歳となった彼は今も元気に存命である。昨年の日本GPにはホンダのセレモニーにゲストとして招かれ、RA272をドライブしたことも記憶に新しい。本当に、凄い男である。
* * * 悲劇のタイヤバースト * * *
オーストラリアGPで最もインプレッシブだったのは、やはりアデレードでの'86年最終戦であろうか。
このレースを迎えるにあたり、この年のドライバーズチャンピオン争いはマンセル(70点)、プロスト(64点)、ピケ(63点)の3人に絞られていた。
だが、プロストとピケは優勝が絶対条件で、マンセルは3位に入りさえすれば他のドライバーの結果に関わらずチャンピオンが決定するというマンセル絶対優位という状況だった。そして、それまで9勝を挙げていたウィリアムズ・ホンダのマシンならそれは雑作もないことに思えた。
レースは気温が高く、タイヤの消耗がキーとなる難しいレース展開となった。チームメート、プロストのために捨て身覚悟でトップを爆走したロズベルクも、案の定タイヤトラブルでストップした。
そんな中、マンセルは堅実に行けば良かった。早めにタイヤ交換を済ませたプロストには抜かれたが、自分のペースで3位をキープしていた。
ところが、マンセルのタイヤは予想以上に蝕まれていた。300km/h近いスピードの出るストレートで突然左リヤタイヤがバーストしたのだ。
天才的なコントロールでクラッシュを回避したマンセルだったが、一挙に形成は逆転してしまった。
マンセルを見て急遽タイヤ交換に入ったピケを尻目に、プロストは悠々とトップを走った。ピケの猛烈な追い上げを振り切ってプロストが優勝。大逆転でチャンピオンを獲得したのだ。
* * * 美しい緑と水に囲まれたアルバートパークサーキット * * *
アデレードの市街地コースは、ハイスピードで魅力溢れるサーキットとして評判も高かったが、'95年を最後に、現在のメルボルン・アルバートパークへと舞台を移すこととなった。
しかし、アルバートパークという国営公園の外周道路を利用したサーキットもまた全開率が高く、非常に高いアベレージスピードを誇っていて、コーナーも多彩でドライバー達の評判もなかなか上々であった。
だが、非常に美しい風景とは裏腹に、パーマネントサーキットではないために、路面状態は必ずしも良くなく、ストップアンドゴーでブレーキの消耗も激しい、マシンに負担のかかるサーキットでもある。ただ、アップダウンが少なく、平坦であることも特徴だ。
また、自然保護団体による反対運動も根強く、今回も抗議団体がサーキットに現れていたようである。
それにしても今後、F-1はどう環境と折り合いをつけていくのであろうか?自動車業界の象徴としてそうした風潮に適応していくのだろうか、それとも孤高の「エンターテイメントショー」として今の路線を貫くのであろうか...?
2.レース・レビュー
* * * 予選 〜 速さにおいても圧倒しはじめたフェラーリ * * *
ここ3年間、開幕戦のフロントローを独占し続けたのはマクラーレン。それは、開幕の段階から非常にマシンの完成度高く仕上げて来るマクラーレンの技術力の高さ、そしてマシン自体が持っているスピードを如実に示すものであった。
ところが、今年はまるで様相が違う。シューマッハが、マシンが数回転する大クラッシュを演じたり、バリッケロがエンジントラブルに見舞われたりしたものの、フリー走行の段階から、良いタイムをたたき出していたのはむしろフェラーリの方だったのだ。
予選に入っても完全に流れはフェラーリである。昨年までのように速さでひけをとることがない。どのパートでもコンスタントに速いのだ。中盤にはシューマッハが昨年のハッキネンのポールタイムを3秒半上回る圧倒的なタイムをたたき出す(ただし、これは昨年までFIAの要請でブリヂストンタイヤの性能が抑えられていたことももちろん考慮に入れていただきたい。大幅なタイムアップはタイヤ戦争によるところが大きい)。
マクラーレン勢も精力的にタイムアタックを行うが、どうにもタイミングが悪い。ハッキネンが第2セクターまでベストをマークしていたアタックはブルチのクラッシュによる赤旗によって台なしにされてしまった。
それどころか終盤、バリッケロが2番手となるタイムを叩き出し、フェラーリがフロントローを独占してしまったのだ。
さらに、どうにもタイムを出せなかったクルサードは、ホンダワークスエンジンを得たフレンツェンにも敗れ、5番手に甘んじることになってしまったのだ。戦術面などで遅れを取るマクラーレンにとっては厳しい開幕グリッドとなった。
オフのテストでも速さでは素晴らしいアドバンテージを持っていると見られていただけに、ショックは大きい。
* * * 前半戦 〜 序盤から波瀾含みの開幕戦 * * *
華やかな舞台は世紀をまたぐことになった。美しいメルボルンパークはその舞台に相応しいのではないか、とさえ思えた。さあ、いよいよ21世紀初のグランプリのスタートだ。
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