Vol.2: Restriction of Wing
(written on 22.May.1997, corrected on 28.Sep.1998)
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 '68年にウィングが初めてF-1に登場し、その効果をまざまざと知った各チームのデザイナー達は早速自分達のマシンにもウィングを取り付け、より大きなダウンフォースを得ようと工夫を凝らしてきました。
 具体的には、ボディ付近を流れる乱れた空気を避けるため、より高い位置へ取り付けるようになっていったのです。当初のロータスのようなリヤだけではなくフロントウィングまでもステーでハイマウントにするチームも見受けられました。

 しかし、あまりにも高く設定されたウィングは様々な弊害をもたらし始めます。
 幸いなことに死亡事故は発生しなかったものの、ウィングやウィングステーが強度不足で壊れ、突如ダウンフォースを失ってクラッシュする事故が多発したのです。
 特に'69年のスペインGPでは上位を走行していたロータスのグラハム・ヒルがウィングを折ってリタイヤし、続いて同じくロータスのヨッヘン・リントがウィングの破損が原因でクラッシュし、負傷してしまったのです。

 これらはウィングのステーをリヤのアップライトに取り付けていたことから、路面の衝撃が直接ウィングにかかっていたことが問題だったのでしょう。もともとウィングにはダウンフォースによって大きな力が掛かっているのですから。

wing
規制されたウィング
 かくして、その次戦のモナコGPの予選が終わったところで急遽、ウィングに関しての規制が敷かれることとなったのです。
 リヤウィングの高さと幅に制限が与えられ、フロントウィングもサスペンションより前、タイヤの内幅、ボディの高さ以下と規定されました。

 しかし、F-1界のデザイナー達も黙っている訳はなく、規制されたダウンフォースを規定内で稼ごうと様々なアイディアを持ち込んで来ます。翼端板や複葉のウィング、フラップなどが次々と現われました。

 そしてやがてまた大きなF-1マシン改革が待っていたのです。革命児は...やはり、いち早くウィングの効果に目をつけたロータスのコーリン・チャップマンだったのです。

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