Vol.13 : Fan Car - Brabham BT46B (2)
Vol.13 : --- Lotus 79 & Rivals (4)
(written on 29.Aug.1997, corrected on 30.Sep.1998)
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 そもそもロータスのベンチュリー・カー(*注1)とは、サイドポンツーン(*注2)のベンチュリーによって車体底面の空気の流速を上げ、負圧を作り出すことで巨大なダウンフォース(グランドエフェクト)を車体全体で得るというものでした。

 幅広い水平対向エンジンを持つブラバムのパッケージではベンチュリーは作れない。ならばベンチュリー以外の方法で負圧を作ってやればよい...。ならば、車体と地面の間の空間から空気を抜いて真空を作り出してやろう...。

 マーレイの結論は「逆ホバークラフト」とでも言えるアイディアでした。ホバークラフトは車体底面と地面の間に圧搾した空気(圧力の高い空気)を送り込んで車体を浮かせて走るものです。マーレイは逆に、車体底面と地面の間の空気を引き抜いて、空気を薄くしてマシンを地面に吸い付かせようとしたのです。ちょうどビンから口で空気を吸い出していくと、舌や唇が吸い寄せられるあの現象と同じです。

 そのためにまずはマシンの回りにスカートが取り付け、車体底面の空間を外部と遮断し、そのうえで改造したギヤボックスにより駆動される大きなファンを車体後部に取り付け、内部の空気を吸い出すようにしたのです。


マーレイのアイディア


ブラバムBT46の後部に
取り付けられた巨大なファン

 そう、歴史に残る問題車「ファン・カー」の正体とはファンによって路面との間の車体内部に真空状態を作り出し、大きなダウンフォース/グランドエフェクトを得るためのものだったのです。


シャパラル2Jの後継機2K

 そもそもこのファンのアイディアは遡ること8年、'70年にCan-Amというレースに出場したシャパラル2Jというマシンで、既に実戦で試されていたのです。
 これはブラバムとは違い別の補助エンジンによって二つのファンが車体内部の空気を吸い出すというものでした。
 シャパラルは石油会社社長のジム・ホールが自社サーキットで開発していたレーシングカーのことなのですが、最新の革新的な技術に取り組むことで非常に注目されていました。


シャパラルが初めて導入したウィング

 なにしろウィングの概念もF-1よりも先に取り入れたほどです(F-1では'68年のフェラーリ(第1回参照)が最初だが、シャパラルはその前年に既にハイマウントウィングを試していた)。
 しかも、シャパラルのそれは可動するという、非常に先進的なものでした。

 話を元に戻すと、このシャパラルの「元祖ファン・カー」は車両規格違反で出場できなくなってしまったのです。Can-Amのレギュレーションは可動する空力部品を認めておらず、このファンは明らかにダウンフォースを獲得するための空力部品であると判断されたために違反となったのです。また、動力源は一つでなければならない、と条項も新たに加えられたようです。

 F-1のレギュレーションにもこの可動空力部品を禁止する規則は存在しました。これではファンの付いているBT46Bは明らかに規則違反です。

 しかし、マーレイには更なるアイディアがあったのです。
 それは真空となるべき密閉空間の上部、つまりエンジンの上部に開口部を作り、そこにラジエターを置いたのです。つまりそのファンはラジエターの冷却風を取り入れるための部品であり、空力用ではない、というわけなのです。

 たしかにラジエターが設置された時点で車体内部は密閉空間ではなくなり、多少なりともファンの空力的効果は少なくなります。(マーレイはラジエターのための働きが70%で、空力的な効果は30%に過ぎなかったと語っています)
 前年型のBT45Cで同じようにエンジンの上に水平に置いたオイルクーラーの補助に電動モータを使用していたこともこの言い訳の一つとなりました。


'78年スウェーデンGPで独走するBT46B

 こうして'78年第8戦スウェーデンGPに持ち込まれたBT46Bは圧倒的な強さでニキ・ラウダが優勝をさらいます。
 マシンはまるで路面に吸い付いたかのように(まさに吸い付いていたのですが)安定して走り、しかも、ファンのおかげで薄くすることのできたウィングと、アルファロメオのフラット12エンジンのハイパワーのお陰でストレートも抜群に速かった。

 マーレイの言葉とは裏腹に、明らかにファン・カーの絶大なグランドエフェクト効果が走りで、そして結果で証明されたのです。

 当然、これに対して、各チームから抗議の声が挙がります。結局、その抗議が受け入れられ、ファン・カーは禁止され、このGPが唯一の出走となったのです。
 なにしろ、停止時にエンジンを吹かしてファンが回転すると、それでググ〜〜ッと車体が沈み込むほどだったそうですし、そもそもラジエター用であったら車体の周りのスカートを取り付けていることもおかしいわけです。

 このスカートにしても、車体を上から手で押す程度で路面とすりあって「ゴリゴリ」という音がするほどだったと言います。車として異常な事態であるとは思えませんか?

 その一方で、最強ベンチュリー・カー79を持っていたロータスは、ファン・カーについて抗議する一方で、もしそれが容認された場合のために急遽この79にファンを取り付ける改造車を製作していました。しかも、ただ単にファンを取り付けるよりも、ベンチュリーに取り付けたほうが更に大きな効果が得られることがわかったのです。

 この時代のロータスの開発陣の中心人物であったピーター・ライトによると、この「ファン・カー」バージョンのロータス79の写真をコーリン・チャップマンが敢えてブラバムの代表のバーニー・エクレストンに見せたため、ショックを受けたバーニーがファン・カー禁止に応じたのだ、と言ってます。
 自分のロータス79に絶大な自信があったからこそ出来たのでしょうね。

 ともかく、絶対的有利なはずだった立場から、いきなり叩き落とされたゴードン・マーレイはその中で与えられた道具で、ベンチュリー以外の方法によるグランドエフェクトの獲得の方法を編み出しました。その点はマーレイは技術者として大いに認められるべきでしょう。
 しかし、「ファン・カー版ロータス79」の逸話が示すとおり、コツコツと研究を長年続け、そのためのモノコック(*注3)、ギヤボックス、エンジンを揃えたロータスが作り上げたベンチュリー・カーは、そんなマーレイのアイディアさえも飲み込んでしまうほど絶大なものだったのです。
 時代は確実にベンチュリー・カーの時代へと向かっていたのです。「ファン・カー」はその流れの中で逆らおうとして生まれた異形児にすぎなかったのかもしれません。

*注1:


ウィングの周りの空気の流れ


ベンチュリーの原理

 ウィングはその上面と下面に空気が流れ、飛行機の場合は上面、F-1の場合は下面の空気の流速を上げて負圧を作り、その方向に向けた力(揚力/ダウンフォース)を発生させるものである。

 それに対し、ベンチュリーは凸状の構造物が向かい合ったもので、その間を空気が通り抜けることで流速が上がり、そこに負圧が発生するものであり、ベンチュリー・カーの場合はその片方の凸状構造は路面になっているわけである(この場合、地面とマシンの間に力が発生するのでその力をグランドエフェクトとも呼ぶ)。

 ベンチュリーの場合は負圧になる部分のみが存在すれば良く、ウィングのように上面/下面の空気を考慮する必要がない。

*注2:

 サイドポンツーンとは車体側面の箱のような部分のことであり、現在ではラジエターや、車載コンピュータなどを収め、側面衝突時の衝撃吸収の役目もある。もともとポンツーンとは水上飛行機のフロートのことを指す。

*注3:

 モノコックはマシンの背骨とも言え、ドライバーや燃料タンクを収める一方、後部にエンジンが連結されるなど、非常に重要な部分である。
 もともとは「一つの殻」を意味する。力を外皮全体で受け止めるため、軽量で丈夫な構造が可能となったというわけである。

 従来のツインチューブモノコックはドライバーの両脇の二つの箱型をバルクヘッド(隔壁)でつなげた構造をしていて、ドライバーの上方が開いていた。そのため風炉桶のような外観で、バスタブモノコックともいわれた。幅が広く、ベンチュリーを構成するには無理があった。


ブラバムBT46の三角モノコック


ロータス79の細身の
シングルチューブモノコック

 ブラバムの三角モノコックもバスタブ式ではあるが、その断面を三角(正確には台形)にすることで高剛性かつ低重心、コンパクトなマシンにすることができた(コラム第5回参照・右上の写真)。

 それに対しロータスでは78で単純なシングルチューブモノコックを採用し、そのことで失われる強度を、ドライバーの足の部分も完全に覆うフルモノコックとすることで補った上で、ベンチュリーによって発生する巨大なダウンフォースを受けとめようとした訳である(下の写真はロータス79)。

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